コラム

    • このままではまずいぞ!日本の医療

    • 2010年04月13日2010:04:13:01:19:47
      • 岡光序治
        • 会社経営、元厚生省勤務

 まずは、筆者の経験から。 

 中国・北京・清華大学医学部某教授「中国の医療水準は日本のそれに見劣りしない。日本で興味をひかれるのは、がん治療における“重粒子”による放射線治療と頭蓋骨を外す外科的手術をしないで行う脳内出血の治療のみ。」北京にて、同大学や関連施設を視察後のミーティングの席上で、この発言を聞いた。 

 最近ちょくちょく「メディカル・ツーリズム」なる言葉を目にする。一昨年からこれをなんとかものにしようと、仲間と動いてみた。 

 中国の富裕層を対象に日本に呼び込み、とりあえず、都内の一流病院において検診・その結果把握された疾患の最先端治療・治療期間中ないし治療後、患者や同行者の希望に応じ観光地を案内、こんなコンセプトで先方と協議開始した。(こうした動きに経済産業省が反応し、その研究会を立ち上げてから、この言葉が散見されるようになった)その結果が、上記の発言に集約された。 

 もちろん、日中友好病院にも行った。ここには国際部が設置され、外国へのアンテナがすでに設置されてもいた。 

 メディカル・ツーリズムの成立要件は、低コスト、世界水準の医療の質・サービス、言葉が通じること、手術までの待ち時間が短いことなどである。 

 医療の質を世界的に保証するためには、国際的な認定機関である米国のジョイント・コミッション・インターナショナル(JCI)から「JCI認証」を受ける必要がある。現在、世界25カ国以上に125を超える認証病院があるとのこと(東京厚生年金病院・溝尾朗医師)。シンガポール16、インド15、タイ9、台湾9、マレーシア6、中国5、韓国2など。ちなみに、日本では昨年、鴨川の亀田総合病院が日本初の認定を取得。国内ではここだけだという。 

 アジアの各国は、それぞれの強みを生かした戦略で、国策としてこの方面にも力を入れている。しかし、日本の状況はさみしい限りである。 

 国民皆保険体制の堅持という旗印のもと「広く平等な医療」を提供するというドグマが横行している。国際競争とは無縁。医療界は、病院も診療所も横並びのみんな仲良しの護送船団である。 

 大病院の本音は、次のようなものだろう。医療行為・使用薬剤・医療機械や用具などすべてが制度において承認された範囲に限定され、それに対応した診療報酬も安く、かつ、未承認の最先端の分野を取り入れようとするとこれに関連するすべての医療行為が保険として認められず、進歩を試みる方策がない。せめて、外国の富裕層を受け入れ、各種制度による規制を受けないで大胆な最先端医療を試みてみたい、と。 

 医師会は、混合診療は否定、医師・従事者の資格の国際化も否定している。ちなみに、先の3月15日の参議院予算委員会でも、岡田外相は医療目的のビザ発給について「検討課題」と答弁した。長妻厚労相は「日本の患者に支障がないことも重要」などとへっぴり腰である。そこには、国家戦略として取り上げ、国を挙げて取り組むような姿勢は皆無である。 

 そこで迷惑を受けるのは、国民である 。難病などで苦しむ人は外国へ行くしかない。外国へ行く資力のない人は苦しみ続けるのみだ。まさに、国民不在の医療政策である。(政権政党が変わってもこの点は変わらない) 

 現代では、医療の世界で「黒船来航」はないから、日本の医療はこのまま沈没してしまうのだろうか? 

 先端医療への対応と並行して忘れてならないのは、日本が多死社会になっていることに対する医療側の役割の明確化と取り組みである。 

 2005年から死亡者数が誕生数を超える人口減少社会になっている。2008年では114万人余の死亡に対し109万人余の誕生。そして、全死亡者の80%が高齢者である。また、死亡はそのほとんどが病院死である。 

 かのマザー・テレサ氏は「死に行く人は何も望んでいない。ただそばにいて手を握っていてほしいと思っているだけ」と言った。70%の高齢者は“本当は家で死にたい”と望んでいる。死を忌み嫌うのではなく、死と向き合う必要がある。 

 高齢者の意思が軽視され、社会や家族の都合が優先される社会であってはならない。「老いの価値」「死の意味」を考えることのできる余裕ある社会になるよう社会の成熟度を高めなければならない。医療もそうした成熟社会の実現に寄与するものであってほしい。「老い」や「死」を認め、無意味な延命を避け、人生を豊かにする(生活の質を高める)医療が必要なのではないか。 

 『いのちのレッスン』(内藤いずみ・米沢慧 著、雲母書房)で内藤さんが言う、医療の「グランドデザイン」が欠如しているのではないか。つまり、⟨病めるしくみ⟩を前にして少しでも早く治すという治療の領域と、⟨病めるすがた⟩に寄り添い見守り癒やす領域は密接・不可分の関係にあり、両者の連携関係がきちんと組み立てられているような「デザイン」が早急に確立されねばならないのではないか。 

 先端医療の開拓にも死への対応にもまるで中途半端な今日の日本の医療は、国民にとって不幸を通り過ぎている。

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