コラム

    • 65歳は"年寄り"だ

    • 2012年10月02日2012:10:02:00:00:05
      • 楢原多計志
        • 福祉ジャーナリスト

 

 私事で恐縮だが、10月で65歳になる。いわゆる「高齢者」の仲間入りだ。働き詰めだった。「年寄り」の1人として、少しは大事にしてもらえるか―と、かすかな期待を抱いていたが、案の定と言うべきか、失望に変わった。政府が「人生90年時代」「65歳以上は支える側へ」と本気で言い出したからだ。
 
 

■支える側へ?

 
 9月7日、政府は11年ぶりに高齢社会対策大綱の見直し(新高齢社会対策大綱)を閣議決定した。年寄りを敬い、国を挙げて大切にするよう国民に呼び掛けるのかと思いきや、とんでもなかった。意欲と能力のある65歳以上の者には、“支えられる側”から“支える側”に回ってもらうという。その具体策が再就職や起業への支援だというのだ。
 
 65歳は年寄り―という決めつけには、異論があるだろう。個人差があり、第一線でバリバリやっている人が少なくない。
 
 だが、一見、若く見えても(見せても)、肉体的には若者とは違う。せっせとスポーツジムやエステに通い、筋トレやアンチエイジングに励んでも、確実に老いている。外見や社会的地位がどうであれ、肉体的には、間違いなく、日々老いている。それがはっきりしてくる65歳前後は、「年寄り」の仲間入りであり、「爺」か「婆」のどちらかになることを意味する。
 
 ところが、新大綱は、超高齢社会と財政難を理由に挙げ、敬意や責任に触れようともしない。「人生90年時代」の到来を祝うどころか、危機的状況だと強調する。だから65歳以上には「“支える側”に回れ」、非正規労働を強いる社会にしておきながら、若い世代には「今から備えよ」という。余計なお世話だ。
 
 

■働く意欲

 
 政府に「自助」を言われるまでもない。国民の多くが基礎年金だけでは生計が成り立たないことを知っている。「世界第3位の経済大国」が見かけ倒しであることに気付いている。若い世代もそうだが、余裕のある老夫婦はほんの一部だ。
 
 サラリーマンの多くは、定年退職しても、穏やかな老後はやって来ない。当面、現役世代の何分の一かの低賃金労働者として働かなければならないのが現実だ。働く意欲も糞もあるか。
 
 敬老の日(9月17日)。ある大手紙の社説が酷かった。「65歳は高齢者ではない」「働きたいと思う高齢者が増えている」「意欲と能力があれば、支える側に回れるような仕組みが必要だ」…。政府の回し者か。新聞が政府の世論作りに加担してどうする。年寄りの能力って何だ。能力のない年寄りをどうする気だ。そもそも筆者は、何歳だ。
 
 何歳から“年寄り”なのか、判断が難しい。それでも国に決めてもらう筋合いのものではないことは確かだろう。年寄りを敬わない社会、責任逃れの政府は3等国家の象徴。経済力や軍事力で他国と比べたり、現役世代と引退世代を対立させたりして、国民の不満を抑え込むのは施政者の常套手段。寿命が伸びることを素直に喜べない社会は、やはり、おかしい。
 
 朝刊にエステ店オープンの広告が折り込まれていた。下品な色づかい。大きなキャッチコピー。「5歳は若く見られます」。「あなたもアンチエイジングに挑戦しませんか!」(コピー通り)。年相応に老いるって、そんなに悪いことか。
 
 
 
--- 楢原多計志(共同通信社 客員論説委員)

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