コラム

    • スウェーデンを訪ねて

    • 2012年10月09日2012:10:09:00:00:05
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

 

 今夏、スウェーデン社会福祉施設視察団に同行する機会を得た。介護保険施設経営者、医療関係者、市議、建築家らで構成される一団である。スウェーデンは周知のとおり、福祉国家を実現し、スウェーデンモデルと称されるほどに名高い社会保障制度を持つ国である。
 
 初めて訪れる福祉大国は、手厚いだけではない、良く考えられた社会保障システムが機能していた。本稿では、これらシステムの中でも、日本と異なる諸点を紹介し、彼我の違いを考えたい。
 
 

1 デイサービスと送迎の分離

 
 ストックホルムにある比較的規模の大きなデイサービスを訪ねた。1日の平均利用者数は150人程度、利用条件は認知症と診断された65歳以上の高齢者である。彼らは、日本でいうところの介護タクシーに乗って(あるいは乗り合わせて)、来所する。つまり、デイサービスと送迎サービスが異なる事業者から、別々に提供されている。
 
 他方、日本の場合、デイサービス事業所自らが利用者の送迎をしている。そのため、ここ数年来、日本全国のあちこちでデイサービスの事業所名を車体に描いた送迎バスを朝夕に目にする。
 
 視察団の一人であるデイサービス事業所の経営者が、この2つのサービスの分離をみて、これは素晴らしい、できることなら真似をしたいという。その理由として、送迎のために、事業所で車両を用意し、諸々の費用がかかること、車両運転による交通事故などのリスクを負わざるを得ないこと、また、従業員を雇用する際に運転免許保持者を求めざるを得ないこと、などをあげる。
 
 しかし、このサービス分離の最大のメリットは、費用問題などではなく、デイサービス事業所側が本体のデイサービスに集中できることにあるという。さらに、送迎を外注することでデイサービス自体の提供時間を確保、あるいは延長―開始時刻を早め、終了時刻を遅くする―することが可能であるという。加えて、サービスの分離は介護・福祉両タクシー業者にとっても、市場拡大・顧客獲得となり、彼らにとってもメリットになるはずである。
 
 我が国でデイサービスと送迎サービスがほぼ一体化して提供されている背景には、何らかの理由があるはずである。しかし、今後、介護市場が拡大化する中で、一つ一つのサービスを丁寧に提供するためには、「餅は餅屋」方式の事業所運営が求められるのではないだろうか。
 
 

2 介護道具

 
 ストックホルムの次に向かったイヨテボリ市はスウェーデン第2の都市であり、ボルボ社の本社がある都市である。この街のグループホームを訪ねた。ここでも、さすがスウェーデンと思うことは多いが、最も印象に残っていることのひとつ、介護道具について紹介したい。
 
 このグループホームには寝たきりこそいないものの、ベッドから自力で起き上がることや車いすに移動ができない高齢者は少なくない。このような状態の高齢者を介助する職員はともすれば腰痛などを患いがちである。これを防ぐために、このグループホームでは腰痛防止の介護道具を用意している。
 
 それは帯板大のプラスチック板の両端に紐をつけたものである。この紐の先には手を入れる輪が作られている。これをベッドに横たわる入所者の肩の下にいれ、介護者は紐の端の輪に手を通し起き上がらせる。ポイントは介護者は両足を前後に開き、手やひじを動かさずに上半身を前後させて高齢者を起き上がらせる点である。このスタイルを高齢者の体を動かす際に常に用いることで介護者の負担を軽減している。
 
 この介護道具を使うこと自体、さすがであるが、それ以上に特筆すべきことは、この道具は介護者の持ち物という位置づけではなく、ベッドに一つ、つまり入所者に一つという点にある。常にベッドサイドにくくり付けられていて、必ず使える状態に置かれている。これが極めて重要であると施設経営者が説明する。なぜなら、使いたいときにない場合、取りに行くのが面倒で「無しで済ます」からであるという。こうなると腰痛予防のために取り入れた意味がないことになる。そこで、ベッドにこれが備え付けられているのである。
 
 もう一つ重要なことは、理学療法士がこの介護道具の使い方をすべての介護職員に教え、働く者の健康を守ることを施設運営の重要な課題としている点である。このように従業員を大切にする経営者の姿勢は、スウェーデンにおける施設従業員の定着率の良さが物語っている。日本でこれほどまでに介護職員の腰痛防止など、健康被害に留意するところがあるだろうか。
 
 介護現場の職員には、知識もさることながら、それよりも経験に基づいた予見能力、相手の要望をくみ取る想像力と配慮が強く求められる。これらは一朝一夕に体得しうるものではなく、ある程度の時間が必要である。長く勤められる介護職場であることが、より良い介護サービスの提供に不可欠であることを再認識したしだいである。
 
 

3 高齢者専用クリニック

 
 最後に紹介するのは、同じくイエテボリ市にある70歳以上の高齢者専用クリニックである。この高齢者専用クリニックは小児科および一般のクリニックに併設されているが、建物は完全に独立している。高齢者専用クリニックの施設は明るく清潔であり、印象的な場所は待合室である。大きなテーブルがあり、だれでも無料でコーヒーやお茶を飲むことができる。だからといって、サロンと化して高齢者であふれているということはない。
 
 ここは民間医療機関が建て、市の委託を受けて運営されている。クリニックの院長、副院長ともに女性医師であり、他に6名ほどの医師が勤務している。70歳以上に特化した外来クリニックはスウェーデンも珍しく、新たな試みとして注目されているとのことであった。
 
 院長は開設の背景を以下のように述べる。すなわち、高齢者と現役世代が一緒の外来では、双方の患者がストレスを感じ-高齢者はゆっくり話を聞いてもらえない、身体の部位ごとに窓口が異なり、かつ薬をそれぞれで処方されるので費用もかかると不平を述べ、他方、現役世代は忙しい合間を縫って外来へ来ると退職した高齢者で椅子が埋まっている等々の苦情を述べる-、クリニックに対する満足度がきわめて低かった、それで、彼らを分けて診療した方が、効率的であり、患者満足度も高まるのではないかとの結論に至ったというものである。
 
 日本でも老年医学、老年科という言葉を聞き、実際、大学病院内ではこのような診療科を設けているところも少なくない。しかし、町なかで高齢者専用に内科、外科、眼科等を備えた外来クリニックを聞いたことがない―もちろん、認知症外来等は除く―。
 
 高齢者と現役世代のストレスを避けたり、高齢者特有の疾病に対応するために、彼らの窓口をあえて分ける必要はないかもしれない。結局は、運営の問題であり、マネジメントが巧みであれば、老若混合クリニックでも十分に満足度の高い診療サービスは提供しえるであろう。しかし、分けることによって得られるメリットは、混合型よりも大きいのではないかと思うのは、このクリニックから受けた印象である。
 
 

まとめにかえて

 
 今回のスウェーデン施設を終えて、スウェーデンモデルに習うとか、示唆を得るなどとは、非常におこがましい発想であると思うに至った。紙幅の都合上、書ききれないが、あえて言うなら、国家の骨格たる政治・経済と教育の仕組みが根本的に異なるからである。スウェーデンから社会保障制度を学ぶ前に、私たちは、これらの仕組みを学ぶ必要がある。
 
 あるいは、スウェーデンにある機能的で、かつ、人に優しい社会保障システムを日本に導入できない理由や受け入れることを困難にするものは何か、換言すれば妨害しているものは何かを探求することが重要である。この作業なくして、良いとこ取りをしても、結局は日本社会に根付かないことは自明であろう。
 
 ところで、今回の行程中、何より目についたのは乳母車、中でも父親がそれを押している光景である。スウェーデンの社会保障制度、そして労働政策の結実である。
 
 
 
---片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)

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