コラム

    • イラン渡航記

    • 2013年06月25日2013:06:25:09:05:00
      • 森宏一郎
        • 滋賀大学 経済学系 教授

イランに行く機会が得られるとは、夢にも思っていなかった。しかし、思わぬところから、イランに行ける機会が舞い込んできた。
 
国連人間居住計画(UN-HABITAT)がメイン・スポンサーで、イランのMERC-BLPが主催者となって、都市繁栄評価指標事務局・専門家会議(The World Secretariat of City Prosperity Index (CPI):Expert Group Meeting)が、5月上旬にイランのテヘランとタキスタンで行われた。ちょうど、都市評価指標に関わるプロジェクトに携わり、それに関する英語論文を国際学術誌に発表していたことから、この専門家会議から招待状が届いたのである。
 
招待状が届いたことは嬉しい知らせだった。しかし、場所がイランだったことと、いきなり信用してよいかどうか判断が難しい電子メールという形態によって招待状を受け取ったことから、どうすればよいのか大変困った。ともかく、渡航費と滞在費が提供されることを確認し、ちょうど挑戦しているテーマに関わることだったことを重視して、行ってみることにしたのである。
 
正直に言えば、自分の教養が低いことを改めて認識するのだが、イランについての正確な知識は全くなく、主にマスコミから入ってくる情報によって形成されたイメージが先行している状態だった。「なんだか危ないのかな」というぐらいの印象を持ち、リスクを覚悟して行かなければならないと考えていた。他方で、どんなところか面白そうだといういい加減な好奇心もあった。
 
そこで、今回のコラムでは、イランで行われた国際会議への出席を通じて、自分のイメージとのギャップや面白いと感じた話を紹介したい。当然かもしれないが、私の突貫工事の予習知識も根拠希薄のまま思い込んでいたイメージも、ことごとく間違っていたのだ。
 
 

■ネクタイ、ノーネクタイ、スカーフ

 
細かい区別はともかく、言うまでもなく、イランはイスラム圏である。私はイスラム教には明るくない。しかし、その地域の文化や習慣に対して敬意を表したいという思いはある。いや、ルールを守らなければ危険なのではないかと思っていた。
 
ある冊子を読んでいると、「ネクタイをしてはならない」と書いてあった。ネクタイ着用は反イスラム的だというのである。さて、どうすればよいのか。
 
イランに行くとはいえ、私が出席するのは国際会議である。やはり、ネクタイを着用すべきではないのか。しかし、イランである。そこで、ひねり出した対応は、ネクタイをやめ、スカーフで行くというものだ。なんとも中途半端な作戦でやや惨めであるが、ともかくこの作戦で出陣することにした。
 
1日目の会議後に撮影した集合写真がある。実に面白いのだが、男性を確認すると、ネクタイをしている人が数人、ノーネクタイが数人、スカーフが1人(私)、私服が1人(スーツやワイシャツ以外)という具合である。
 
初日の朝にすぐに気が付いたのだが、主催者の幹部3人はイラン人なのだが、3人ともネクタイをつけていた。これは一体どういうことなのか。このことは、2日間の会議が全て終了し、夜10時ぐらいに移動していたバス車内で判明した。
 
「一昨日買ってきたネクタイだぜ。」
聞けば、国際的に専門家を招待しているので、敬意を表してネクタイを着用していたというわけだ。この時点では、2日間のプレゼンテーションと長時間にわたるパネル会議を経て、仲良くなっていたこともあり、お互いに種明かしするようになっていた。私は、事前にノーネクタイの文化を予習し、スカーフにしていたことを明かした。そして、この話をしている最中、主催者の一人はネクタイをはずし始めたのだった。
 
この話を横で聞いていたトルコ人の研究者(オーストラリアの大学から来ていた)もおもむろにネクタイをはずし始めた。「そんな話は最初に言ってくれ。知っていたら、俺もネクタイはしていなかったよ。」
 
私は勝手に、イスラムのルールというのは非常に厳しいものだと思い込んでいたため、主催者の3人がネクタイをしていたのは意外な感じがした。しかし、思い直してみれば、国際会議で外国人研究者を招待したのだからネクタイをしておくというのは、きわめて普通の対応ではないか。イランが特異だというのは、単なる私の勝手な思い込みだったというわけだ。
 
 

■女性との接し方

 
イランはイスラム教の人がほとんどを占めており、女性が肌をできるだけ隠す衣装を身につける習慣がある。このことは、私でも知っている。この点は、現地でも、そのまま確認できた(こまかく言えば、隠す程度は統一されているわけではなく、宗派などにより違いがある)。
 
ということは、女性との接し方について、予め知っておかなければならないことがあるに違いない。冊子を読んでいると、「たとえ道が分からなくなっても、女性に尋ねてはいけない」とある。もちろん、握手もダメだ。
 
今回は路線バスに乗る機会はなかったが、バス内でも男性と女性のエリアが分けられており、見知らぬ男女で席が隣になることはないという。そのような状況になりそうになると、すぐにその場で調整がなされるようだ。
 
これらの情報から、私は、会議場でも同じテーブル内には、招待された研究者を除いて、女性が同席することはないのではないかという予想をしていた。
 
しかし、少なくとも国際会議関連では、私の予想はことごとく外れた。まず、会議場テーブルは男性だけ、女性だけというような区分は全くなかった。日本人から見て、特筆するようなことは何もなかったのである。
 
私にとっての問題は、女性と挨拶するときであった。握手はダメだという認識であり、どうしたものかと困惑していると、女性から手を出してくるではないか。さらに、QOL(生活の質)を研究しているイラン人女性の大学院生からインタビューを受けたのだが、きわめて気さくかつオープンで知的好奇心をベースにエネルギッシュに話しかけてくるではないか。インタビュー前には握手もしてくるし、インタビュー後には、インタビューの記録として、2人だけで並んで写真撮影までしている。と言っても、思い直してみれば、これはごく普通な話だ。思い込みとは恐ろしいものである。
 
 

■英語、アメリカ

 
イランの人々は英語に対してはどのような捉え方をしているのだろうか。ごく素朴に、そんな疑問を持っていた。というのは、イランはアメリカとの国交を持っておらず、政治上は多かれ少なかれ対立しているからである。
 
国際会議という極めて限られた話ではあるが、イランの人たちは英語はうまい。これが私の印象である。流暢に英語を使う人は多い。特に、主催者のコア・スタッフの2人は、交代でペルシャ語と英語間の通訳をやるほどである。もちろん、彼らは通訳を本業としているわけではない。
 
その1人に話を聞いてみると、英語はベイルートにあるアメリカの大学で学んだのだという。何か政治的なものに強く影響を受けていることはなく、話を聞いてみると、スペインなどにもいたことがあり、5か国語をあやつる国際派であった。
 
さすがに、アメリカの話をする勇気はなかったが、会議にはアメリカの研究者が招待されていた。バランス感覚はごく普通であり、あくまでも国連が主催している会議ということなのだろう。ただ、国交がないという都合上、アメリカの研究者はビデオによるプレゼンテーションとなり、最終報告書については事後的に電子メールによる討議ということになった。
 
 

■イランと日本

 
やはり私は不勉強で、イランと日本の間の歴史には明るくないが、今回の渡航で、どうやらイランは比較的親日的であることが分かった。
 
パネル会議の時に、たまたま隣になったイラン人研究者からこんなことを言われた。「日本の技術と経済システムとイランの政治社会体制をくっつければ、最高なんだがね。」単なるお世辞かもしれないが、こんな話から始まって、共同研究の可能性はないかと持ちかけられた。
 
町を歩いていても、タクシーに乗っても、日本人だと分かると非常に好意的だ。だいたい過去の経済的協力の事例を挙げて、感謝してくれたり、良かったと言ってくれたりする。空港でも、日本人だと分かると、念入りな検査が少しばかり軽減されたようである。
 
 

■おわりに

 
国際会議は、自宅出発時刻1時間前に航空券が届くというドタバタ劇から始まったものの、現地では非常によく組織されていた。全体として、自分の偏った思い込みと現実とのギャップから学びながら、イランに行けるという千載一遇のチャンスを十分に楽しめた。
 
西側諸国から来ていた研究者たちは、イラン滞在中は監視がつくのではないかと思っていたと言い、会議初日の直前には、「一生の間で、最初で最後のイラン訪問」と言っていた。しかし、帰国の途につく直前には、「イランにまた来るかもな」と言っていたのが印象的だった。
 
過度なリスクを取らないために準備は必要だが、今回のイラン渡航で、やはり現地・現場で学ぶ機会を得るということは重要だと再認識した。
 
【写真はテヘランの町】
 
 
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森宏一郎(滋賀大学国際センター 准教授)

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