コラム

    • 家族で考える高齢者介護の原点(その二)

    • 2013年10月29日2013:10:29:08:00:00
      • 外岡立人
        • 医学博士、前小樽市保健所長

 
 

■医療と介護の違い

 
 病気を治す役割がある医療とその基盤となっている医学。
 その場で行われているのはキュア、Cure(治療)とよばれ、20世紀に著しく進んだ。
  
 しかし老いてゆく高齢者は次第に多くの病気を抱えだしてゆく。
 老いてゆくことに病気を伴ってゆくのは自然の過程。
 
 そうした高齢者が抱える病気には、治癒が期待できるものは少ない。
 まして病気の原因となっている老化現象に対するキュアは、自然現象を人為的に変化させる試みともいえる。
 そうした試みは大昔から多くの人々によってなされてきた。
 不老長寿の妙薬を探し求めていた秦の始皇帝もそうであったし、エジプトのファラオたちもそうだった。
 
 現在、アンチエイジングという造語が社会の中で一般化しつつある。
 若いこと、美しいこと、生命力が溢れている状態を多くの人々が求める。
 それとともに老いてゆくことが不幸なことのように、社会の中でとらえられてゆく傾向にある。
 
 老いることとは医学的にどういうことなのだろうか。
 かって高齢者の医療が内科の範疇で行われていたが、近年、ようやく老年医学という内科から独立した医療領域ができてきている。
 
 さらに高齢者に必要なのは、これまでの治癒を目的としたCureではなく、日々の生活がその人らしく、健やかに、生きがいを感じられるようにサポートすること、すなわちケア、Care(介護)であるとの考え方が主流になってきた。
 そこには終末期が近いからとか、治らない病気が進行しているからといった時間的制限因子が、その高齢者にあることを問題にするのではない。
 あくまでも高齢者が辿る人生の最後の過程のクオリティー・オブ・ライフ(いのちの質、QOL)を尊重するという立場である。
 
 老いてゆく人々をCareするのは、社会の中で掟として存在する我々の義務となっている。
 
 老いてゆくことを病気ととらえて医療の現場に取り込み、Cureを目的にすることは正しいことではない。それは既に医学の世界でもコンセンサスが得られつつある。
 Cureを目的として高齢者が医療の対象になる限り、高齢者は自然な老衰を迎えることはできないという考え方が、現在主流となりつつあるのである。
 
 

■正常な死の迎え方に対する医学的模索

 
 飯島節氏(筑波大学教授)は、医学が進み、若い世代の理不尽な病気による死が減った現在、死の対象者は高齢者となっていると説明している。
 平成23年の我が国の総死者の85%を65歳以上の高齢者が占め、さらに75歳以上の後期高齢者に限ると70%を占めている。
 現在、死の多くが長い人生の総仕上げとして、全ての人に平等にもたらされる出来事になりつつある。
 これまでの医療の目的は若い人生を奪い去る理不尽な出来事と闘うことにあったが、超高齢化社会では、死を相手に闇雲に闘い続けることではなく、死を厳かに受け入れるべきであることは疑う余地はない。
 そこで重要なことは”ノーマルな(正常な)死”という概念だと、飯島氏は示唆している(老年医学 Vol.50 No.2、2012年)
 
 他の専門家達の意見を聴いてみる。
 
 平川仁尚氏(名古屋大学)は高齢者の医療・介護の基本を、WHO(世界保健機関)の提唱する概念である”緩和ケア”に求めているように思える。
 それはかってターミナルケアと位置づけられていた概念であるが、より幅広く、かつ深く掘り下げられている。
 2002年のWHOの定義によると、緩和ケアとは生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族を対象として、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理・社会的問題、スピリチュアルな問題に関して正しく評価を行い、そうした問題に対して予防したりすることで、QOLを改善するためのアプローチであることが強調されている。
 同氏によると、この概念は次のように意訳される。
 緩和ケアの対象は、がん患者のみならず全ての生命を脅かす疾患を含むこと、また末期患者のみならず診断がついたばかりの早期の患者も含むということである。
 この定義によると、高齢者の緩和ケアとは、ケアを必要とする早期の段階(要支援~要介護1程度)から、高齢者本人とその家族に対して、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価を行い、QOLを改善するためのアプローチであるといえる(日本医師会雑誌 第138巻 特別号2、2009年)。 
 この考え方は現在の高齢者医療の本質をまさしく言い当てているように思える。
 
 評論家の米沢慧氏は、今日の長寿社会にあって、”老齢”は現代医学が立ち遅れている、あるいは後回しに残している診療科になっていると評する。
 今日の医学では”乳幼児”には小児科が対応しているが、”老齢”には内科、外科、泌尿器科、皮膚科、眼科といった診療科をショッピングしても、どこにも落ち着くところがない。
 さらに”老齢”は、医師の見立てや科学的根拠とか統計的解析で納得できる処方が手に入ることが少ない。それだけに、身体の症状にあわせて一つや二つの民間療法・自己療法をはじめ、独特の知恵を身に着けている人は多い。
 米沢氏はそう説明し、戦後の代表的思想家であった吉本隆明が老いて一人で生活していた頃の、睡眠や排泄についての自身の対処法を紹介している(自然死への道、朝日新書、2011年)
 
 
 
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外岡立人(医学ジャーナリスト、医学博士)

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