コラム

    • 計算 vs. カン

    • 2014年02月11日2014:02:11:08:00:00
      • 森宏一郎
        • 滋賀大学 経済学系 教授

年が明けて、非常に楽しみにしているものがある。それは、第3回電王戦である。コンピューター将棋ソフトとプロ棋士が対戦する団体戦である。これは、論理的計算 vs. カン(論理的な勘、感覚、感情)の戦いである。
 
 

コンピューターソフト側の勝ち

 
昨年、2013年3~4月に、第2回電王戦が行われた。森内俊之氏(竜王・名人)、羽生善治氏(王位・王将・棋聖)、渡辺明氏(棋王・王将)のような超トップ棋士は出場しなかったが、最終的な勝敗は、プロ棋士側の1勝3敗1引き分けで、人間側の敗北であった。
 
将棋は偶然やラッキーが起こりにくい論理ゲームであり、結果だけを見れば、人間側が敗北したということになる。もちろん、細かく内容を見ていけば、コンピューターソフト側とプロ棋士側の間で公平なルールになっていたのか疑問があるというような議論もあるようだ。
 
たとえば、プロ棋士側は対戦相手であるコンピューターソフトの情報がなかった(古いバージョンのソフトが与えられていたが、最新版ソフトとは大きく異なっていた)。他方、コンピューターソフト側はプロ棋士の棋譜(公式戦での実際の指し手)を学習することが可能であった。
 
また、将棋には戦型の選択という問題があるが、プロ棋士側の研究が進んでいて、コンピューターソフト側が勝ちにくい戦型というものが存在するらしい。コンピューターソフト自身はどの戦型を選択するかという意思決定を純粋にはできない。その選択はソフト開発者が選択しており、この部分は人間対人間の戦いとなっていると言える面もあるという。
 
 

論理的計算の価値

 
コンピューターソフトは、論理に従って、コンピューターの物理的メモリが許す限り永遠と計算を繰り返し、評価関数の最大化を通じて最適解を探索する。ソフトは、この方法で「全幅探索」を実行する(保木邦仁,渡辺明『ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか』角川oneテーマ21,2007年を参照)。
 
全幅探索というのは、意味があるかどうかを問わずに、駒を動かせる限り、全ての手を評価する方法である。保木氏が全幅探索という方法を将棋ソフトで確立したことによって、急激にソフトが強くなったという。
 
他方、人間は全幅探索などしない。専門家として鍛えられたプロ棋士の頭脳は大部分の読まなくてよい手を省略することができる。本当に読まなければならない道筋だけに焦点を当てて、深く考えていくことができるのだ。豊富な知識・知恵・経験によって培われた論理的な勘が人間の素晴らしさなのである(中山正和『カンの構造―発想をうながすもの』中公新書,1968年を参照)。逆に、人間側は全幅探索する能力を持たない。
 
ただ、衝撃的だったのは、第2回電王戦の第5局では、コンピューターソフト側が定跡化がかなり進んでいる相矢倉戦(戦型の一つ)において新手を繰り出し、A級棋士である三浦弘行氏を圧倒したことである。全幅探索によって新手が発見できる可能性を残していることにも注目するべきなのだろう。
 
専門的な技術とその蓄積によって探索の省略ができるという優位性だけではなく、固定観念として新しいものの発見を遅らせているという側面もあるのだろう。この点は、学問分野と共通の特性だろう。人間の論理的な勘とコンピューターソフトの論理的な「計算に基づく全幅探索」は補完的な関係になっているということなのだろう。
 
 

人間側の勝ち

 
もう一つ人間には得体の知れない素晴らしいものがある。それは感覚や感情である。第2回電王戦の記録がある(マイナビ(編)『第2回電王戦のすべて』日本将棋連盟,2013年を参照)。これを読むと、対局前の準備段階から、対局中、対局直後、対局後の期間まで、プロ棋士がどんなことを考え思ったのか、プロ棋士の複雑に揺れる感情の起伏や感覚の変化が読み取れる。
 
プロ棋士には、コンピューターソフトに負けるわけにはいかないという相当なプレッシャーがある。これは容易に想像できるが、私のような素人から見れば、そこはプロであるのだから、専門的知識と経験値によって、きわめてスムーズに対応するのだろうと思ってしまう。
 
しかし、本人たちの記録を読めば、プロ棋士であっても、相当に感情が揺らぎ、勝負への感覚が変化し、逃げ出すようなところもあるという。もちろん、最終的に、準備を完了させ、対局に臨み、負けるときは潔く頭を下げる。
 
その時間的プロセスの中で、感情は動き続ける。実に人間的ではないか。コンピューターソフト側には、このような心の動きは存在しない。ひたすら論理的演算をするだけである。そこにはおもしろさはない。
 
ソフトとは異なり、人間には「勝ちたい」「勝てそうだ」「負けたくない」「疲れてきた」「間違えてはいけない」「しきり直しだ」「集中しなければ」など、論理的思考に加えて、さまざまな心の揺らぎが訪れる。これらは結果にプラスにもマイナスにも働くわけだが、この揺らぎにこそ感動を覚える。人間の素晴らしさはここにあると言ってもよい。
 
勘、感情、感覚、人間の躍動感こそが感動の源泉であり、コンピューターソフトからは味わえない。この点で、コンピューターソフトは人間には勝てないと私は思う。この部分に感じ入ったとき、やはり、人間の勝ちなのではないか。そんなことを私は思った。
 
だが、他方、コンピューターソフトが無味乾燥なのかと言われれば、そんなこともない。論理的計算プロセスやその結果に対する知的関心はある。感動はソフト自体からは来ないが、ソフト開発者を通じてやってくる。表面的には、コンピューターソフト対人間なのだが、実は、ソフト開発者対プロ棋士の人間同士の戦いをしているのである。人間同士の「カン」のやり取りは素晴らしいし、興味深い。
 
 

おわりに

 
第3回電王戦は今年、2014年3~4月に行われる。プロ棋士とソフト開発者が紡ぎだす感動のドラマを期待したい。2種類の専門的な技術の美しさに加えて、人間的な心の動きにも注目したい。そして、願わくは、今回は勝敗結果としてもプロ棋士に勝ってもらいたい。
 
最後に、電王戦観戦を通じ、私は社会科学を研究する者として、心豊かな専門的な勘を養っていきたいと強く願うのである。
 
 
 
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森 宏一郎(滋賀大学国際センター 准教授)

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