コラム

    • アベノミクスの誤算

    • 2014年07月29日2014:07:29:09:53:56
      • 宇和吾郎
        • ジャーナリスト

円安でも輸出は伸びず、株価も足踏み状態・・・
 
 

◆デフレ脱却へ楽観論一色だが・・。

 
昨年4月初めに、黒田日銀による異次元金融緩和で第一の矢を放ったアベノミクス。一年と3か月が過ぎようとしており、円安による株高はもちろん、景気、雇用の経済指標も着実な回復を示しており、政府関係者は「アベノミクスは成功しつつある」と胸をはっているし、マスメディアからも、その政策を否定する論調はあまりみられない。しかし、発表された経済指標の背後にある現実の動きをみると、そうした楽観論に立つわけにはいかない。
 
異次元金融緩和の柱は二つ。一つは金融緩和のモノサシを従来の資産買入れ基金の規模拡大からマネタリーベースに変え、その規模を今後2年間で2倍にする。もう一つはこの資金供給量の急拡大により、期待インフレ率を2%に引き上げ、デフレ脱却をはかる―――というものである。マネタリーベースとは、現金通貨+民間銀行の日銀への預け金(日銀当座預金)のことで、たしかに日銀当座預金は昨年1月初めの48兆円からこの6月には152兆円と3倍強も伸びている。
 
過去15年間のデフレでは、将来価格の下落という想定のもとでは現金で保有するほうが有利となり、企業や消費者は大胆に行動することを避け、その結果、経済全体が設備投資や消費の抑制、売上・収益の減少、賃金の抑制、それがさらに消費の減少につながるという悪循環に陥った。
 
黒田日銀総裁が描いた世界は、「2%の物価上昇率のもとで、それを起点の売上・収益の増加、賃金の上昇、消費の活性化、価格の緩やかな上昇といった形の好循環」(今年3月20日の日本商工会議所での黒田総裁発言)である。もしこれが実現するなら、“理想の世界”の到来である。
 
景気の代表的な指標である実質GDPは、昨年から四半期ベースで5期連続してプラス成長になっているし、設備投資も4半期連続で増えている。雇用もリーマンショック後の戻り歩調が続いており、5月は失業率で16年5か月ぶり、有効求人倍率で約22年ぶりの水準まで復調した。政府関係者が自信を深めるのもむべなるかなである。
 
 

◆「地産地消」のグローバル化

 
しかし、すべてのデータが政府の思惑通りに進んでいるわけではない。たとえば、輸出。「日本がデフレから抜け出せないのは、円高を強いられた結果、輸出企業の国際競争力が著しく低下し、輸出が思うように伸びないからだ」。だから通貨政策を円安に舵をきり、輸出競争力を高めて、韓国などに敗退している日本企業を復活させる―――これがアベノミクスの戦略である。
 
だが、現実は違う。2013年度(今年3月までの1年間)の国際収支は、貿易収支が前年度比倍増の10兆8,642億円の赤字となり、比較可能な数字としては過去最大を記録した。もちろん、東日本大震災以降の液化天然ガスなど燃料輸入の激増があるにしても、輸出面で大幅な円安にもかかわらず、輸出、特に輸出数量がさほど伸びなかったのも大きく響いている。
 
なぜ、為替が有利な状況で、輸出は増えないのか。この10年、日本企業の行動パターンは大きく変わってきた。グローバル化の進展は、まずは現地に工場を作り、日本から部品を輸出して、現地で販売するのが第一段階。その次は、その日本からの部品輸出をやめて、現地調達し、現地で消費する「地産地消」である。いま日本企業は、この段階に進化しつつある。
 
その典型が自動車のホンダだろう。ホンダは2012年に「世界6極経営」を打ち出し、日本、中国、アジア太平洋、北米、南米、欧州で現地ニーズにあった車を競争力のある価格で売ろうとしている。今年度2014年度の日本からの車の輸出台数は、約4万台とピークだった7年前の実に6%程度に落ち込む見込みだ。
 
一部のエコノミストは、円安になれば日本の製造業は、海外から日本にUターンし、雇用も戻ると期待しているが、残念ながらそうした動きは一部にとどまっている。そこにはグローバル化に邁進する日本企業の現実がある。
 
 

◆「現地価格は変えたくない」日本企業

 
また、もう一つ輸出が伸びない理由がある。それは、日本企業の輸出価格政策である。ふつうは円安になれば日本企業が海外で売る価格は下がり、その値下がりにより日本製品の需要が増えるはずである。つまり、輸出競争力が強くなるのであるから、輸出が増えるという理屈である。ところが、ここにも今やそうした常識は通用しなくなっている。多くの日本企業がとった選択は、ドルなどの外貨建ての輸出価格を据え置くというものだった。
 
なぜ、そうした動きになったのか。そのキーワードは、市場シェアの維持である。為替が動くたびに売値が変動すれば、現地のバイヤーは戸惑うし、何段階かの流通経路を通じて最終消費者まで売値変更を浸透させるには、相当の手間暇がかかる。事実、この円安局面以前の円高でも、現地価格を値上げせず、市場シェアを防衛した行動をとったのである。
 
GDPの60%を占める消費も決して順調ではない。昨年来の株高により、フトコロ具合の豊かになった富裕層は百貨店などで宝飾品などの高額商品を買っており、百貨店売上は伸びているが、2人以上の世帯の消費支出の前年度伸び率は12年度が1.6%、13年度が0.9%と鈍い。特に、この4月と5月は、消費税税引き上げ前の駆け込み需要が3月に起こった反動で、それぞれ4.6%、8.0%と前年同月比マイナスとなってしまった。この先、反動が終わり、力強く盛り上がってくるかだが、「着実に回復してくる」とみる日銀などの見通しは、楽観的過ぎるだろう。
 
その根拠は、肝心のサラリーマンの収入が増えていないからだ。5月の二人以上の勤労者世帯の、物価上昇分を差し引いた実収入は8か月連続して前年同月割れとなっている。政府・日銀が喧伝しているような消費の状態ではない。むしろ株高によりシニアを含めた富裕層と派遣など非正規雇用の多い若年層との経済格差は一段と開いてきている。
 
 

◆露骨な「年金株買い」の危うさ

 
この6月中旬に第三の矢である成長戦略の骨格が固まった。法人税率の縮小、混合診療の拡充、女性の活躍推進などがその柱であるが、その中で違和感を覚えてしまう項目がある。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)を含めこれまで債券偏重の公的年金の運用を見直そうというのである。これはありていにいえば、国が後押して、そのコントロールが効く、公的年金のお金を株式のほうに振り向けようというものだ。
 
昨年来の円安により、前述したように輸出数量は伸びなかったものの、円建てベースでは企業収益は大いに潤い、それに着目したヘッジファンドなど外国人投資家は昨年だけで、15兆円もの日本株式を買い越し、おかげで日経平均は52%も急上昇した。それが今年になって、外国人がアベノミクスの行方に疑問を持ち出した途端に、株価は値下がりし、足踏み状態になっている。
 
株高であれば富裕層が高額商品を買うばかりでなく、金融緩和と合まって高級マンションや土地の取引も活発になってくる。いわゆる資産効果による景気浮上である。経済の好循環を唱える安倍政権にとって株高は、政権を維持するうえで命綱になっている。それだからこそ株高の終焉は、なにがなんでも避けなけなければならない。すでにGPIFの運用見直しを先取りするかのように、4月以降、公的年金とみられる買いが、信託銀行を通じて毎週数千億円単位で株式市場に入ってきている。
 
かつてPKOという言葉あった。政府による株価維持操作を意味し、総合経済対策を打ち出した1992年以降、公的年金による買いは複数回あったが、いずれも小規模にとどまった。ところが今回は規模も兆円単位だし、買い方も以前は買い支えが目的で底値を拾うというものが株価を釣り上げるような露骨な動きとなっている。「官製相場」と呼ばれるのも当然である。
 
人為的な株式市場介入は短期的にうまくいっても長い目でみると失敗するのは過去の歴史が教えるところだ。株高を維持し、そしてその間に時間を稼ぎ、本格的な成長路線につなげていく―――これがアベノミクスのシナリオだろうが、地政学的リスクに囲まれ、誰も予測できないマーケットの株高に頼る「危うさ」ゆえに、その目論見通りにいくかどうか・・・。かなり危険な橋を渡っているといえるだろう。
 
 
 
---
宇和吾郎(ジャーナリスト)

コラムニスト一覧
月別アーカイブ