コラム

    • 年金と大学生

    • 2015年05月19日2015:05:19:07:18:25
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

1 アンケート

 
現在、社会保障法の講義が進行中である。つい先日、公的年金制度の部分が終わった。年金制度の講義を始めるに際し、「年金制度について、思うことを自由に書きなさい」という課題を学生に与えた。 
 
「ある先生が、君たちが老人になった頃には年金制度は崩壊しているから保険料なんか払う必要がないと授業で話していたが、本当か」、
 
「私の祖母は40年間年金保険料を払い続けていたのに、受け取る前に亡くなった。すごく損をした気がする。」、などなど、年金制度に対する不信、不安が少なくない。
 
テレビや週刊誌などのワイドショー的な情報を鵜のみにし、加えて制度に対する知識がないことがこのようなアンケートの背景にある。これをせいぜい4回程度の講義で矯正(?)するのが私の仕事である。
 
 

2 相互扶助の好例

 
年金制度が崩壊しない、崩壊したら、この世の中が大変なことになることを説明すると、年金制度はそう簡単にはなくならないと思うようになる。また、年金制度の価値は個人の損得勘定で計るものではないことを理解させるためには、人生は不測に満ちていることを教えるしかない。
 
前者について、ひとつには高齢者世帯の年金制度への依存が高く、制度自体がなくなれば社会全体に大きな影響を及ぼすこと、例として、「年金制度がなくなって、みんなの両親がその親たちを扶養しなければならなくなったら、子どもの学費を捻出できないかもしれない。つまり、年金制度がなくなると、みんなは大学進学できないか、家族全員の生活が苦しくなるかもしれない」と話す。
 
あるいは、国家が所得保障制度を喪失したなら、世の中は弱肉強食型のアナーキー状態になる、だからこそ、江戸時代にだって、一揆などにより無政府状態になることを恐れ、民心安定のため地主や大名が蔵の中の穀物を飢饉時には放出しなければならなかったことを話すと、いっそう説得力が増す。
 
後者に関しては遺族年金の説明をしながら、年金制度は予測できない人生のアクシデントをお互い様の気持ちで助け合う仕組みであって、個々人の損得で計る類のものではないことを説明する。
 
たとえば遺族厚生年金は亡くなった被保険者の報酬と保険料納付済み月数により決まる。そして、納付済み月数が300ヶ月に満たない場合は、すべて300ヶ月とみなす旨の規定がある。これによって遺族厚生年金額が所得保障たるに値する額になることが期されている。だからといって、若くして亡くなった被保険者の遺族に対し、「得したね」と言う人はいない。ここで年金は損得ではないことを学生は理解する。得がなければ、損もないのである。100歳まで生きて年金を受給し続けるのは偶々であり、年金を受け取らずに早死にしても運命と割り切るしかない。
 
 

3 二回目のアンケート

 
以上のようなことを縷々、話した年金の講義の最後にもう一度、年金制度についてミニレポートを書かせると、「こういうことをもっとテレビで説明するべきだ」、「高校生くらいのときから、正しい年金の知識を勉強したほうがよい」、「年金制度が重要な役割を社会で果たしているので、簡単になくなっては困る」と書く学生が増える。教師の目を意識していることを割り引いても、教育効果は見られる。
 
皆が年金制度の持続可能性を信じて保険料を支払う限り、年金制度は、給付の目減りは避けられないとしても、重要な所得保障としての役割を持ち続けることができる。誰かが、信じられないからといって、その場を離れた瞬間、ほかの人の負担が重くなる。それが連鎖すると、制度は崩壊へといたる。長期間にわたる被保険者期間を必要とするがゆえに、年金制度への信頼は制度そのもの生命線である。
 
このような信頼を若い世代が持つためには、なにより教育が大きな役割を果たす。そこで、日本年金機構は高校などへ赴き、年金制度の説明をする、いわゆる出前講義を高校へ打診するがほとんど断られているという。その理由は、時間がない、余裕がない、必要がないということらしい。まずは、高校の先生に、なぜ若者が年金制度を理解することが必要かを理解してもらうことから始めなければならないようだ。
 
 
 
---
片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)

コラムニスト一覧
月別アーカイブ