コラム

    • 現場を守る

    • 2016年03月29日2016:03:29:10:35:19
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

1 虐待の現況

 
児童虐待、高齢者虐待、そして障がい者虐待に常軌を逸したケースが続く。たとえば、「川崎市内の有料老人ホームで元職員が80代の入所者をベランダから投げ落として殺害」、「16歳の娘に母親とその内縁の夫が金魚の死骸を食べさせた」、「身長195センチ、体重120キロの男が同居する女性の子供3歳を暴行」、「うまく作業ができない知的障がい者の頭を激しく叩く、『ぶち殺すぞ』などの暴言を吐く」などである。
 
これらは特殊な事案であり、世間のほとんどの親、施設職員はこんなことはしていないはずである。また、施設内虐待の場合は人手不足、職員の経験不足など虐待を起こさせる素地を看過することもできないし、施設職員が入所者、利用者(あるいは家族)との対応に苦慮していることも知られている。しかし、だからといって被虐待者に対する救済の感度を弱めていいことには絶対ならない。
 
一方で、最近、虐待を疑われた者が市町村などの自治体を相手に損害賠償請求を提訴する、虐待通報した施設職員に対して当該施設経営者が損賠賠償を求め裁判を起こすなどのケースが散見される。訴える立場からすれば名誉回復であろうが、被告席に立たされる者はやりきれない。
 
 

2 訴訟リスク

 
たとえば、東京地判平27.1.16判時2271号28頁の事案概要は下記のとおりである。
 
春子(当時、要介護度3。87歳)の体に複数の痣があったため、利用していたショートスティ事業所が所在地の東京都港区に午後5時頃、虐待通報をした。港区から春子の住所のある大田区へ連絡が行き、大田区では保健師を中心に直ちに対策を検討し、その結果、春子を病院へ連れて行った(翌午前0時頃)。医師は虐待の疑いがあると診断し病院が警察へ通報。その後、保健師は春子と一緒に警察署へ行き、そこで痣の写真などを撮影(同午前2時頃)。大田区は春子を緊急一時保護施設へ入所させた(午前10時頃)。通報から保護までに要した時間は約17時間である。
 
この間の保健師をはじめとする担当者、関係者らの動きは、判決文を読む限り、極めて迅速であり、各人が専門職としての職責を果たしていることが理解される。
 
しかし、緊急一時保護に至るこの一連の対応を春子の娘である原告は、虐待対応のマニュアル(厚労省老健局「市町村・都道府県における高齢者虐待への対応と養護者支援について」(平成18年4月付け))を遵守していないなどとして、大田区に対し自身の慰謝料500万円を含む総額770万円余りの損害賠償を求めて提訴した。
 
判決は請求棄却である。これ以外の同種案件においても原告の損害賠償請求が認容された判決は今のところ見当たらない【註1】
 
虐待通報した従業員に対し名誉棄損を理由に損害賠償請求を求める施設経営者もいる。もっとも、児童虐待防止法、高齢者虐待防止法、および障がい者虐待防止法のなかには通報したことをもって守秘義務違反には問えないとし、かつ、通報を理由に解雇などの不利益取り扱いをすることを禁止している。それでも、憲法がすべての者に裁判を起こす権利を認めている以上(憲法32条)、このような訴訟をとめることはできない。
 
 

3 現場を守る

 
このようなことが続けば、いったいどんなことになるだろうか。被虐待者保護に果敢に取り組む意欲を削ぐ、あるいは、通報を躊躇うことが絶対ないと言い切れるだろうか。これを危惧して厚労省が「「本年度、虐待通報した職員に対して損害賠償請求が行われる事案が発生している。仮に、適切に通報した者に対して通報したことを理由に損害賠償請求を行うとすれば、通報義務や通報者の保護を定めた障害者虐待防止法の趣旨に沿わないものである。」というコメントまでだしている【註2】
 
仮に、訴訟を忌避する気持ちが働いて、虐待対応が迅速さをわずかばかり欠き、被虐待者が殺された場合のマスコミをはじめとする世間の反応は明らかである。児童虐待事例で児童が殺された場合に、しばしば児童相談所の職員らが記者会見で謝罪するニュースが流れる。あの反応である。
 
虐待対応機関の職員は現場の第一線で被虐待者救済に奔走した挙句に、虐待加害者と思われる家族から訴えられ、他方、虐待が最悪の結果に至った時に、後付け的に謙抑的対応であったと評価されようものなら、容赦ない非難を浴びせられる。
 
これでは現場は疲弊するばかりである。被虐待者を保護し救済する担当者、関係者の疲弊は、最終的には、被虐待者の悲劇に結びつく。上記訴訟が虐待防止各法の趣旨を没却させると言われる所以である。
 
被虐待者を虐待の状況から救済するためには、彼らを保護し、支える者たちをまずは守らなければならない。しかし、現行虐待法制はその機能を十分に果たしているとは思えない。現時点では裁判所の良識的でバランスのとれた判断に期待するしかないのだろう。
 
 
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【註1】東京高判平25.9.26判時2204号19頁、東京地判平26.8.29判時2218号47頁、等
【註2】厚労省社会・援護局障害保健福祉部「全国厚生労働関係部局長会議(厚生分科会)資料」(平成28年1月20日)。
 
 
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片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)

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