コラム

    • 育まれる命と還る命

    • 2016年11月08日2016:11:08:14:11:13
      • 外岡立人
        • 医学博士、前小樽市保健所長

既に季節は初冬に近い。
晩秋には、小樽の小さな川に、鱗がはげ、所々白く変色したかのような肌を見せながらも、必死に上流に向かってゆく鮭が多く見られる。
「がんばって!」と心の中で声援を送る。
 
今年は、上ってくる鮭が非常に少なかった。
それでも、身体を左右に振りながら懸命に上流に向かう数匹の鮭を見かけた。
上流で次代の生命を川底の自然に託した後、自身の生命は静かに自然の中に消えてゆく。
生命の抜けた鮭の抜け殻は、下流でカモメやカモ、そしてカラスたちについばまれる。
 
翌年、雪の溶ける頃には、川底で卵から抜け出た幼い鮭の子達が下流に向かって海に出て行く。
「がんばって!」、そして「生まれてきて、ありがとう!」と心の中で叫ぶ。
 
かって小児科医であった頃、何千人もの生まれたばかりの幼子をみた。
生まれ出た幼子達は、両親や周辺の多くの人々から祝福される。
「生まれてきてありがとう」と皆思う。自分たちの新しい仲間が増えたことへの喜びの気持ちだ。
 
僕には最近、多くの寝たきり高齢者を見守る機会が増えている。
寝たきり高齢者は、次第に周辺と意思の疎通をしなくなる。自分の子どもたちにすら視線を向けなくなっている高齢者も少なくはない。
 
しかし、よく見ると瞳の奥に、ほんのりとした笑みを感じることもある。
英国の高齢者施設で、重度の認知症のおばあちゃんの死後、鞄の中から遺品の日記帳が見つかった。
「看護婦さん、なぜ私のことを分かってくれないの」と書かれた箇所があった。それは多くの関係者に衝撃を与えたエピソードであった。
 
施設の高齢者に面会に来る家族は、決して多くはない。
そこには、生まれたばかりの幼子を見つめるような、喜びに満ちた表情は少ない。
多くの高齢者は80歳を超えている。その子ども達も50歳を超える。
 
高齢者はいつかは自然に還る。それは我々を含め、全ての人にあてはまる自然の摂理である。
自然に還る高齢者にどんな言葉をかけるべきなのだろうか。
いつも僕は迷う。
別れの正しい言葉。
それはたぶん、「これまで、生きてきて、ありがとう!」であろう。
 
生き続けてくれた我々の仲間。そうした存在があるからこそ、我々の世界は存在し続けてきた。この世界があるから、我々は今いることができる。
たとえ、何も見える行動をして無かったように見えても、順番に去って行く高齢者達の足跡がこの世界の存在に寄与していたことを我々は認識しなければならない。
朝の散歩でただ一回出会った人の存在にも、我々は何となく安堵感を覚える。この社会の存在を、無意識に感じる。
 
壁にかかるミレーの絵。
そこにいる”ガチョウ番の少女のふくよかさ”
遠い昔に存在したこの少女の姿を見ると、やはり僕は安堵感を覚える。「この世界にいてくれてありがとう!」とつぶやく。
 
懸命に上流に上る鱗のとれた鮭たちを見ていると、僕は自然の奥深さと同時に、最後の役割を果たそうと命の尽きる瞬間まで生き続けようとする彼らの姿に感動する。
 
高齢者にかける言葉は決して「ごくろうさま!」ではない。
子を育て、孫を育てて、この社会の発展に、些細ではあっても貢献してきた。
また一人で人生を歩んで来たとしても、我々の社会に何らかの関わりを持ってくれたはずだ。ミレーのモデルの少女のように。
 
生きていることは、どんなに些細であってもこの社会の存在に寄与している。
一人の高齢者が生き続けてきた物語。電子顕微鏡的小ささであっても、その足跡はこの世界に貢献してきた。
お金持ちや有名な人が社会の維持に貢献してきたわけではない。
 
自然に還る命。存在した意義。
我々は感謝すべきなのだ。
 
かって家族が家庭で高齢者を見守り、そして見送った時代には、たぶん家族達は「ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん!」と言ったはずだろう。
何にお礼をしたのだろうか。たぶん、その存在に対してだろうか。
僕は必死に上流に向かう鱗のはげた鮭に、思わず「生きていてくれて、ありがとう!」とつぶやく。
 
新しく生まれる命。自然に還る命。
どちらの命も同じように輝いている。
 
 
 
【参考書籍】
・アドラー,A.『人生を生き抜く心理学』NHK出版、2010年.
・米沢慧『「還りのいのち」を支える――老親を介護、看取り、見送るということ』主婦の友社、2002年.
・佐藤伸彦『ナラティブホームの物語: 終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ』医学書院、2015年.
 
 
 
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外岡立人(医学博士、元小樽市保健所長)

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