コラム

    • オオカミという生き方――人生で一番大切なのは希望が失われたあとに残る自分である

    • 2016年12月27日2016:12:27:06:01:23
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆狼の恩返し

 
私がまだ幼い頃,祖父と祖母は私をそれはそれは可愛がってくれた。
祖父は口数の少ない人だったが,夜,私を寝かしつけるとき,面白おかしくいろいろなおはなしをしてくれた。
その中に“送り狼”の民話があった。
 
ある日,百姓の嫁(あね)さまが坂道をヨッコラヨッコラ登っていると,茂みから1匹の狼が飛んで出て道をふさいだ。
嫁さまは「喰われる」と思ったけれど,狼は耳まで裂けた大きな口を開けたまま,見ればぽろぽろと涙をこぼしているではないか。
可愛そうに想った嫁さまが狼の口の中を覗いてみると,太くて長いとげが刺さっていた。
恐る恐る手を突っ込んでとげを抜いてやると,狼はたちまち元気を取り戻した。
嫁さまがまた歩き出すと,その後を狼がついてきた。
「今度こそ喰われる」と嫁さまは観念したけれど,狼は嫁さまを家まで送り届けると藪の中に消えていった。
「おらのこと,ほかの狼に喰われねえよう守ってくれたんだっぺ。」
畜生でも恩は忘れないものなのだなあ。
 
 
 

◆『やっぱりおおかみ』――孤独を生きる

 
この絵本らしくない絵本が実は愛読書だという人は意外に多い。
 
「おおかみは もう いないと みんな おもっていますが ほんとうは いっぴきだけ いきのこって いたのです」
この子どもおおかみは,仲間を探しに旅に出る。
「みんな なかまが いるから いいな」
「すごく にぎやかで たのしそうだ」
それなのに,なかなか仲間は見つからない。
「おれに にたこは いないかな」
結局,どこにも仲間はいなかった。
「おれに にたこは いないんだ」
そして,子おおかみは,こう悟るのだ。
「やっぱり おれは おおかみだもんな おおかみとして いきるしかないよ」
「そうおもうと なんだかふしぎに ゆかいな きもちに なってきました」
街並みの向こうに,雲はあっても明るい空が広がっている。
 
 

◆『哲学者とオオカミ』 

 
もしあなたが人生の意味について思い悩むことがあるのなら,きっと得るところのある本である。『哲学者とオオカミ――愛・死・幸福についてのレッスン』(マーク・ローランズ著,今泉みね子訳,白水社,2010年)は,多くの書評で取り上げられた良書である。
 
 
大学を出たばかりの哲学教師である著者は,新聞広告でオオカミのこどもが売られているのを知り,即決で買ってしまう。
ウェールズ語で王を意味するブレニンは,バッファローボーイのあだ名どおり初日から暴れまくるが,著者は大学の講義にもブレニンを連れて行くようになる。
そうして一人の男と一頭のオオカミが群れとして暮らすうち,著者はブレニンからたくさんの大切なことを学んでいく。
生後2ヶ月のブレニンが巨漢のピットブルに組み敷かれたとき,子犬のようにキャンキャン悲鳴をあげるのではなく,落ち着いた低い声で力強く唸り続けた。その反抗心(defiance:抵抗・挑戦・無視の意)に著者は感動する。
それに比べて我々サルは,陰謀と騙しに明け暮れる浅ましい存在だ。そして,我々人間は泣いたり笑ったり感情を過度に重んじる幸せジャンキーだと看破する。
だが,幸福な時間はいつまでも続くわけではない。少なくとも死は必ず訪れる。人生にとって重要なのは,策略や知恵や幸運があなたを見捨ててしまった最後に残るものなのだ。
バラ色の暖かさと希望の優しさの中で営まれる生活は誰しもがそこに安住したくなる生活だ。しかし,時が来たときに一番大切なこと,そして常に大切であろうことは,人生をオオカミの冷たさをもって生きるということだ。
それは,あの幼きブレニンが絶体絶命のピンチで示した威厳に満ちた反抗心(ディファイアンス)だ。
年老いたブレニンを看取った著者は,その後,結婚し,父親となる。家族という群れを作って。
その息子にブレニンと名付け,反抗心によってのみわたしたちは救われるのだと教え諭す。
 
ブレニンを弔って神に罵りの言葉を投げたその時,ブレニンが墓石の亡霊となって現れ,著者は神の言葉を聞いた。
「これでいいんだよ,マーク。本当にこれでいいんだ。辛い事ばかりじゃないだろ。君は大丈夫だ。」
著者は,ブレニンに語り掛け,筆を擱(お)く。
「ブレニン,君がいないなんて寂しいよ。でもね,神が望むとき,僕の群れは君のところへ行く。その時まで,ゆっくり眠っていて欲しい。僕のオオカミ兄弟よ。また夢で会おうね。」
 
 

◆医療の本質

 
送り狼の民話には,医療の本質を見て取ることができる。
本来,治療行為は,生命に対する畏れなくして行えるものではない。
患者はただ医師に身をゆだねているだけなのだろうか。感染は医師の専横に対する患者の無言の抑止力ではあるまいか。
 
傷つきあるいは弱った人がいれば助け,助けられた人は感謝する。
そんな当たり前のことが忘れられている。
 
 
 
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平沼直人(弁護士,医学博士) 

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