コラム

    • 官邸一強の背景にあるもの

    • 2017年02月28日2017:02:28:06:20:24
      • 佐藤敏信
        • 元厚生労働省勤務・久留米大学教授

◆はじめに

 

安倍晋三氏の在任期間は、第一次安倍内閣を加えると1,800日を超え、戦後の首相の在任日数第4位となった。
 
そうした中で、「官邸の一強、あとは多弱」との評価も定着した。
 
このような状況はどうやって形作られたのだろうか。他の政党との力関係か、それとも安倍氏自身の能力に拠るものか。
 
 

◆三位一体改革の影響

 
私なりの結論を先にいうと、様々な理由はあるものの、2004年の小泉政権下の三位一体改革こそが今日の強さの根源であろう。
 
この三位一体改革の内容を簡単に復習してみよう。「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」がそれである。そしてこの中では、補助金改革が、安倍政権はもちろん、今日の政官界のパワーバランス形成に大きな影響を与えたと考えている。
 
 

◆補助金改革の影響

 
そもそも、政官界における力の源泉はどこにあるか。こう答えてしまうと身も蓋もないが、「金(を配分する力)、そして人事権」ということになろう。もちろん、能力や高潔な人格も重要だが、それも金と人事の裏打ちがあってのことだろう。
 
さて、この補助金改革以前は、中央省庁の官僚が強大な権力を持っていた。地方自治体に対して、ないしは省庁直轄で補助金を配分する権限を持っていたからだ。「箇所付け」という言葉をお聞きになったことがあるだろう。かつて官僚たちは、全国津々浦々のどこのどんな施設・事業に対して、どの程度の金額を配分するかという権限を一手に握っていた。したがって、各県知事はもちろん、自治体職員は中央省庁詣でをし、国会議員もまた、その決定に何がしかの関与をし、自らの存在を誇示しようと官僚たちになびいた。
 
改革の中で、補助金の一部は、「税源移譲」と言う言葉に表されるように税源ごと自治体に移譲され、実質上廃止された。残ったものも、交付金という「大きな財布」のような形に姿を変え、実際の細かな配分は自治体レベルに委ねられることとなった。
 
 

◆国会議員にとっても

 
こうなると、国会議員にとって官僚詣では意味をなさなくなったし、一定の敬意を払う必要もなくなった。
 
そうして官僚の持っていた強力な権限を剥奪したつもりだったかもしれないが、個々の国会議員も、気が付いてみるとその存在意義を低下させることになった。元々、こういう箇所付けには、いわゆる何々族と呼ばれる、ほぼ省庁単位の関係議員の集団が関与していたが、箇所付に伴う恩恵がなくなった以上、族議員のような集団を形成し続けるだけの求心力も低下した。
 
そうなると議員の興味は人事、すなわち、大臣他の閣僚人事に移ることになる。少しさかのぼるが、1999年の国会審議活性化法により、国会における政府委員制度及び政務次官が廃止され、副大臣と大臣政務官が新たに設置された。厚生労働省のような大きな省では副大臣、政務官は2人ずついる。すると大臣を含めての従来の2人が5人となり、ポストにあずかる機会は倍増以上となった。実はこの大臣他の人事も、かつては派閥や何々族のボスの意向が大きかったのだ。当選回数等も考慮した「派閥順送り」という言葉を覚えておられる方もあろう。 
 
ところが、前述のような状況で派閥や族の求心力が低下すると、相対的に首相を中心とする官邸の意向が大きくなった。小泉政権以降では、派閥の意向等閣僚任命に係るこれまでのしきたりや不文律をほとんど考慮せず、人物本位となった。
 
 

◆官僚たちの来し方行末

 
一方、官僚の人事に関して言うと、指定職と呼ばれる審議官、局長級の人事権を掌握したことも大きいだろう。その象徴が2008年12月に設置された国家公務員再就職等監視委員会であり、2014年5月30日に設置された内閣人事局である。前者は指定職が退官したあとの再就職先を監視するもの、後者は本来の所掌は広範だがもっぱら職員人事の一元管理の名のもと、指定職の候補者について官邸の意向を汲み入れるものとなっている。
 
従来、官僚の人事は、官僚たち自身の手に委ねられており、国会議員はもちろん、官邸と言えど、簡単に口は挟まないし挟めないというのが不文律であった。官僚の人事に口を出すと、別の方法で抵抗されたり裏切られたりするとの噂さえあった。そしてその拠り所は霞が関の中でもきわめて独立性の高い人事院であった。
 
 
その拠り所として、国家公務員制度改革基本法の第11条第2号において、内閣人事局が「総務省、人事院その他の国の行政機関が国家公務員の人事行政に関して担っている機能について、内閣官房が新たに担う機能を実効的に発揮する観点から必要な範囲で、内閣官房に移管するものとすること。」と明記されたのである。
 
官僚たちの立場から考えると、部下が上司に従うのは、上司の考えに一定の理屈があるのはもちろんだが、最終的には上司が人事権を持っているからであり、しかも従っていれば、その先の退官後の再就職についてまで世話をしてもらえるという、強固なシステムがあればこそである。
 
補足すると、これに先立つように特殊法人、認可法人改革も進行し、これはこれで官僚たちの進路に大きな影響を与えたが、その顛末と影響についてはまた別の機会としたい。
 
いずれにしても、指定職候補者は、ある程度の地位までくれば、同僚や上司よりも、官邸や国会議員の評価・評判を気にせずにはおられなくなる。また、それ以外の職員もある程度の年数が経てば再就職を考えなければいけないが、最早上司や同僚が考えてくれるわけではない。いやむしろ今般の文部科学省の事例を見れば、上司や同僚に考えてもらえば、違法行為とさえみなされるという事態にまで陥っている。
 
 

◆官僚たちの冬

 
私がここで危惧するのは、官僚の士気の低下である。実際に接してみると、個々の官僚は能力が高いだけなく、その能力でもって国家に貢献したいという高い志を持った人が多い。集合体として見ても、軍隊組織とも思えるほどの指揮命令系統・統率とともに役割・責任分担が明確にされている。それにしても、これまではそうした志を支えるための仕組みのようなものが備わっていたのである。逆に不心得で、利己的な人もいたかも知れない。そうした人を排除するための改革であることは理解できる。それでも一定の地位まで上り詰めた官僚たちは国民の方を向くこともなく、また上司や同僚を気遣うでなく、単に官邸やその住人たちの顔色を伺うことに腐心するだろう。退官後の人生も保証されない中で、一体こうした指揮命令系統・統率が保たれていくのだろうか。
 
広く社会に目を転ずれば、一流と言われる企業の多くが、一定の年齢を超えると関係企業へと異動していく。また、一部の識者は米国の役人には天下りなどないと力説するが、私の少ない経験の中でも、連邦政府を去ったあと、ほどなく関係企業で破格の待遇で迎えられたケースを見聞きした。
 
 

◆これから

 
いずれにしても、概観してみると、仮に安倍氏が退陣したとしても、官邸には以前とは比較にならないほどの大きな力が備わっていると言えるし、最早時計の針を戻すこともできないだろう。
 
 
 
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佐藤敏信

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