コラム

    • 消費という投票

    • 2017年04月18日2017:04:18:08:59:06
      • 森宏一郎
        • 滋賀大学 経済学系 教授

◆敵は安物にあり

 
安物とは、いわゆる「安かろう、悪かろう」の商品群のことだ。良いものが良心的な低価格で販売されている商品のことを言っているわけではないので、注意してほしい。
 
筆者は「都市圏と農村圏の豊かさの創造」のプロジェクトを始めた。やや大げさに聞こえるかもしれないが、都市圏と農村圏の経済活動をうまくつないで、地球環境負荷を低減しながら双方の豊かさをつくり出そうというのが目的である。
 
この目的を達する際に、安物による過当競争が大きな敵になりそうなのである。簡潔に言えば、農村圏(地方都市とその周辺の農村を想定)を中心に生産される持続可能な商品に対して、相対的に大きな支払い能力を持つ都市圏が適切な価格を支払うようになるのが肝になりそうだからだ。
 
 

◆安物による過当競争

 
基本的に低価格は消費者の味方だ。同じ機能・サービスが商品から得られるならば、その価格は低いほど良いだろう。しかし、それらは、本当に全く同じ質が提供されているのだろうか。
 
たとえば、商品のライフサイクルのなかで、商品が廃棄されるとき、自然界では分解されにくい材料が使用されているために地球環境に大きな負荷をかける場合がある。この環境負荷は、消費者が商品を購入する段階では、消費者にとってほとんど意味がない側面である。
 
この場合、巡り巡って、近くない将来に消費者は地球環境破壊あるいは公害を通じてコストを支払うことになる。多く場合、人は短期的思考で意思決定したり行動したりする。そのため、間接的なコストや将来コストを考慮して、現在時点で、相対的に価格が高い商品を選択するのは難しい。
 
これは、間接的に発生するコストや将来コストを事前的に理解して、それらのコストを回避するために、現在時点で相対的に価格が高い商品を購入することを意味する。しかし、現状のシステムや価値観では、この行動を期待するのは難しいのではないか。
 
一つは、現時点での支出コストに比べて、いつどのように発生するかも分からない間接的なコストや将来コストを低く見積もる傾向があるからである。もう一つは、多くの場合、所得の制約を意識せざるを得ず、現在時点では質よりも価格を重視る傾向が強いからである。
 
加えて、現時点で高い価格への支払いを負担する人と、将来に環境破壊を通じて被害コストを負担する人が異なる場合があることも問題となる。将来コストを引き受けなくてよいならば、当然、現時点でコスト負担するインセンティブは無いだろう。
 
こうした状況下では、長期的な視野に立って環境負荷をかけない持続可能な商品が売れていくのは難しいにちがいない。逆に、短期的に機能が同等ならば、できるだけ低価格になるようにする圧力が増すのは当然の帰結だろう。
 
そうなれば、まじめに持続可能な商品を生産する農村圏が豊かになるのは難しい。そうした商品に適切な価格が支払われるケースがどんどん減少していくことになるからである。
 
また、低価格商品は低価格であるが故に最後まで大事に使われない傾向があり、廃棄物が増加することにつながると考えられる。持続可能でない安物が過剰な低価格競争を通じて市場を席巻していくことになってしまう。
 
 

◆持続可能な商品へ一票

 
実は消費とは商品への投票行為である(注1)。民主主義では一人一票だが、資本主義市場では「一円一票」の投票行為がおこなわれている(注2)。言われてみれば当たり前のことだが、投票であると意識しながら消費する必要が出てきたのではないか。
 
我々が日常的な消費行動を通じて、社会的にどういう商品を生産することが望ましいのかを決めるための投票をおこなっていると認識すれば、全面的とはいかなくても部分的には、安易に安物を買う行動が少なくなるのではないか。
 
むしろ、積極的に持続可能な商品へ適切な価格支払をおこなうようになるかもしれない。所得制約が厳しくなければ、この行動は生まれやすいだろう。
 
さらに、ある程度の額の支払いをおこなうことで、その負担感によって最後まで大事に使用することにつながり、結果的に低コストになる場合も起きるはずである。このことに気がつけば、安物の消費を回避する行動が広がっていく可能性がある。
 
そして、支払い能力の高い都市圏が持続可能な商品に対して適切な価格支払をおこなうことによって、持続可能な商品を生産する農村圏は経済的に報われる。このことによって、中長期的には環境コスト節約を通じて都市圏も報われるのである。この好循環を起こす必要がある。
 
 

◆おわりに

 
あまり大げさなことを書くと、多くの経済学者から総スカンを食いそうだが、個人的な反省として、経済学の教育方法を見直さなければならないのではないかと感じている。
 
経済学の基本モデルでは、差別化された多様な商品群ではなく、完全に同一な財が扱われる。基本モデルは議論の出発点として有意義であるが、このモデルでは価格だけが重要であり、消費者にとって低価格だけが魅力となる。
 
同一商品であれば、価格のより低い商品が選ばれるのは当然である。しかし、支払いを節約するという観点ばかりが目立って、長期的視点での質の違いを考慮しながら、消費を通じて社会的に望ましい商品を選択していくという観点は失われてしまう。
 
言うまでもなく、現実は基本モデルとは異なる。長期的視点から質に注目し、サステイナビリティ(持続可能な状態)を配慮して、社会全体が豊かになる経済システムを構築・実行していかなければならない。
 
 
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注1.「おカネには、未来を選ぶ投票権としての力がある。何年かに一度の選挙の一票よりも、毎日使うおカネのほうが、よほど現実を動かす大きな力をもっている。」渡邉格(2017)『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」タルマーリー発、新しい働き方と暮らし』講談社+α文庫
 
 
 
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森宏一郎(滋賀大学 経済学系 教授)

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