コラム

    • 選択的夫婦別氏への共感度

    • 2017年06月20日2017:06:20:06:48:51
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

はじめに

 
日本では結婚をすると夫と妻は、どちらか一方の氏を選ばなければならないと民法750条が定める。結婚しても両者が別々の姓を名乗るという選択肢がない。それはおかしい、氏の変更を強制されない自由がある! として、民法に別姓を選択できる規定を設けていないことは立法不作為(つまり、立法の怠慢)で違法だから、国は損害賠償を支払えと訴えた訴訟が提起された。
 
マスコミが大きく報道し、社会的関心も高まる中、最高裁は原告らの訴えを棄却した(最大判平27.12.16)。この判決に対しては多くの学者、実務家が評釈を書いているので、民法750条の合憲性についてなど、学術的関心がある方はそちらを参照されたい。
 
本稿では、この判決に対するイマドキの学生の反応を紹介し、経験が思考を規定するあり様を考えたい。
 
 

1 ゼミ報告

 
上記最高裁判決を先日、ゼミで取り上げ、判決の結論に対する賛否を報告させることにした。ゼミ当日、女子学生は全員、判旨賛成、他方、男子学生は皆、判旨反対と、私の予想とは異なる結果であった。
 
女子学生が言うには、「結婚した2人が話し合って、どちらかの氏を名のると決めた。相手方の氏を名のることを決めた他方配偶者は十分に納得し、不満はないはずである」「だから、強制されて、氏を変えたわけじゃない」という。
 
男子学生たちは、最高裁判決中、夫婦別氏を認めない民法は憲法24条に違反するとの意見を述べた5名の裁判官の意見を支持し、早く夫婦別氏を第三の選択肢として設けるべきであるという。
 
 

2 教師の深読み

 
学生の報告を聞いて、その内容よりも彼らの思考回路に興味を抱いた。女子学生たちはなぜ、夫婦同氏が双方の合意に基づくものであり、他方配偶者が不快な思いをしてないと考えるに至ったか?
 
以下は筆者の独断と偏見に基づく見解であることを念頭に置いてお読みいただきたい。
 
女子学生の上記のような発想の背景のひとつには、イマドキの(少なくとも私の周囲にいる)女子大学生は、オギャーと生まれてから今日まで、世にいう男女差別を経験していないことが考えられる。生まれた時から憲法24条があり、「社会は男女平等たるべき」という教育理念が貫徹した学校教育の中で成長してきた。部活やサークル、バイト先でも女性だからと言って理不尽な扱いを受けたことがないに違いない。
 
したがって、結婚してどちらの姓を名乗るかは対等な当事者が話し合って決めたことだから、何が問題なのか、親や世間の圧力なんかは関係なく、愛する2人が仲良く決めたことのどこに問題があるのかという考えが彼女たちの思考の根底にあると思えてならない。
 
もうひとつは、昨今の自己責任体質である。つまり、いったん2人で決めた以上、後になって、つべこべ言うのは許されない、自分たちが選んで決めたことには責任を持つべきだという、ある意味、立派な考えに支配されている。
 
他方、男子学生は、21世紀の今、男女平等的な態度を表明しないと、男尊主義者、古くさい、差別主義な人間と思われかねない、内心はともかく、意見表明をする場では選択的夫婦別氏制度の必要性を強調しないと、先生や女子学生から総スカンを食うと考えている節が見受けられる。
 
 

3 経験と想像力

 
もちろん、これらはすべて私の深読み、勘ぐりであり、学生たち自身は真摯に考えて出した結論でもありうる。しかし、語弊を恐れずに言えば、理不尽な男女差別を経験していない女子学生にとって、結婚時に9割を超える夫婦が夫の氏を名乗ることが、男女不平等のひとつの帰結でありうると思い至らないのかもしれない。
 
このような女子学生たちに対して、夫婦同姓を否定するわけではない、ただ、なぜ、旧姓を名乗り続けたい人の要望は認められないのかを問い、足りない経験を想像力で補うことを求め続けていくしかない。
 
選択的夫婦別氏制度を支持した男子学生には、将来、彼らに対して氏の変更を求める女性との出会いを期待したい。そのとき、ゼミでの報告で述べたように、喜んで愛する妻の氏を名乗るのか見届けたいと考えている。
 
 
 
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片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)

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