コラム

    • こんなに働いてもどうして幸せになれないのか,どうしたら幸せになれるのか――ベーシックインカムという社会実験

    • 2017年10月10日2017:10:10:06:36:38
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆お金を儲けるたびに犯す罪と罪の意識

 
資本主義の世の中で,お金を儲けようと思えば,100円の物を何とか110円,出来れば120円,あわよくば200円で売りたいと思わない商人はいないだろう。そこには常に多かれ少なかれ人を騙すという気持ちと行動が厳然と存在している。
 
勤め人でも同じである。少しでも自分をよく見せてよい給料の会社に入りたい。会社員とて自分という商品を高く売りつけたいに違いない。真面目に自分と向き合ったとき,やましさを微塵も感じずに日々労働している人がどれほどいるのだろう。
 
 

◆資本主義という下部構造に意識は縛られる――マルクスを知らないことは罪である

 
下部構造・上部構造は,マルクス主義の基本的なドグマのひとつである。
 
以下にマルクスの著作から引用するが,簡単に言えば,経済という土台の上に,政治・法律から文化・芸術までの人々の営みが乗っかっており,経済制度の在り方が社会的な意識を決定づけるということであろう。
 
「わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は,簡単につぎのように公式化することができる。人間は,その生活の社会的生産において,一定の,必然的な,かれらの意志から独立した諸関係を,つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を,とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており,これが現実の土台となって,そのうえに,法律的,政治的上部構造がそびえたち,また,一定の社会的意識諸形態は,この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は,社会的,政治的,精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて,逆に,人間の社会的存在がその意識を規定するのである。」*
 
 
廣松渉(ひろまつ わたる1933-1994)は,「今日ではマルクス的な視角が“学会の共有財産”に繰り込まれるようになっている」と述べている。*
 
 
ジャック・デリダ(1930-2004)の有名なくだりをご紹介しよう。
「マルクスを読まないこと,読みなおさないこと,議論しないことは,つねに過失であることになるだろう。(中略)それは今後ますます過失だということになり,ますます理論的,哲学的,政治的責任に対する違反だということになることだろう。『マルクス主義的』な(国家,党,支部,組合,そしてその他の教条生産的な場といった)教条機械やイデオロギー装置が消滅過程にある現在,この責任から眼をそむけるときのわれわれに残されているのは,もはや弁明ではなく逃げ口上(アリバイ)のみとなる。この責任なくして,未来はない。マルクスなくしてはない。マルクスなくして未来はないのである。マルクスの記憶と遺産なくしては。」*
 
 
 

◆社会主義は隷従への道である――ハイエク

 
さりとて,資本主義を捨てて社会主義に移行することもできない。
 
あのヴィトゲンシュタインをいとこに持つフリードリヒ・ハイエク(1899-1992)は,今や新自由主義のバイブルとなった『隷従への道』で,計画経済や集産主義(collectivism)は独裁とならざるを得ず,共産主義・社会主義はナチズムやファシズムと同じ全体主義にほかならないと看破している。
 
「長期にわたる政府の規制・管理がもたらす最も重大な変化は心理的な変化であり,人々の性格が変わっていくことだ。」*
 
 人が自由であることの大切さを説いた名著であり,感銘深い本である。
 いくつもの翻訳書が出ているが,この日経BPクラシックス版は,訳も新しく,判型・装丁とも知的刺激と古典に親しむ優越感を満たしてくれる。
  原題は,The Road to Serfdom で,Serfdomは農奴制。
 
 

◆ポトラッチ

 
マルセル・モース(1872-1950)は,フランスの社会学者・民俗学者で,その『贈与論』は,社会学の古典である。
 
モースは,アメリカ北西部のトリンキットとハイダという2部族の間で,そしてまた同地域の全域にわたってなされる,贈り物のやり取りが組織的に高度に発展した形態をポトラッチ(potlatch)と名付けた。
 
一見,不合理に見えるプレゼントや浪費に資本主義を修正し補完する力を見出すことができまいか。
 
「人類のなかには,比較的豊かであり,勤勉であり,たくさんの剰余物をつくりだしていながら,わたしたちに馴染みのあるものとは異なる形態のもとで,また異なる理由によって,大量の物品を交換する術を知っていた,そして今でも知っている,人々がいるのだ。」*
 
 「何もかもが売り買いという観点だけで分類されるまでにはまだなっていないわけで,これは幸いである。」(303頁)
 「わたしたちは商人の倫理だけを持ち合わせているわけではない。」(同頁)
 なお,「さまざまなゲルマン語系の言語で,ギフト(gift)という1つの単語が『贈り物』という意味と『毒』という意味と,2つの意味を分岐してもつようになった」の一文で始まる「ギフト,ギフト」という小論も興味深い。
 
 

◆ベーシックインカム――幸せの処方箋

 
ベーシックインカムという言葉をお聞きになったことがあるだろうか?
 
「生活保護や母子家庭手当て,就学援助,幾多ある福祉プログラムを全てやめる。そのかわりに全ての国民に,例えば一律年間150万円の金を与える。それがベーシックインカム」である。*
 
 日本語タイトルは,ハイエクの『隷従への道』の本歌取りとなっているが,英語版では”Utopia for Realists”であり,元々のオランダ語版では“ただでお金を配りましょう”という書名である。
 
しかも驚いたことに,かつてアメリカのニクソン大統領がベーシックインカム法案を提出し,1970年,下院を通過したが,上院で却下されていたのである。
 
福祉給付は,それを必要とする人の手に届く前に,行政側の人件費を含む諸費用やピンハネする中間搾取者によって失われている。
 
ベーシックインカムは左派のみならずハイエクやフリードマンといった新自由主義者にも支持されている。
 
ただ,人間は無条件で国から十分な生活費をもらったら堕落してしまうのではないか,そういう疑問と批判がつきまとうのは当然だろう。
 
1973年,カナダで,初の大規模な社会実験となる世界最大規模のベーシックインカム実験が行われた。それが“ミンカム”である。人口1万3,000人のドーフィンという町で全住民に現在の日本円にして年間約200万円が与えられた。
 
果たして結果は,悪影響はほとんど観察されず,なんと入院期間が8.5%減少するなど大成功だったようである。
 
実は現在までに世界中で様々なフリーマネー(自由に使えるお金)が給付されている。バイアスのかかった評価もあるが,概ね良好な成果をあげているようである。
 
このベーシックインカムという考えを今こうして世界中に拡散させたのは,弱冠29歳のオランダの若者ルトガー・ブレグマンである。
 
彼は,「左派の物語は希望と進歩の物語であるべき」なのに,現状追認と批判・否定に終始するのは,「負け犬の社会主義者」のやることだと突き放す。
 
では,彼はどんな提案をするのか。
 
それが,(1)ベーシックインカムであり,(2)1日3時間労働であり,(3)国境線の開放である。
 
紙幅はとうに尽きている。
 
金に煩わされない人生は豊かで晴々したものに違いない。
 
まずはベーシックインカムを試してみないか!
 
 
 
 
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平沼直人(弁護士,医学博士)

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