コラム

    • 読書の力

    • 2018年01月16日2018:01:16:08:42:20
      • 森宏一郎
        • 滋賀大学 経済学系 教授

年末の12月から現在まで、自分の平均よりも高いペースで読書をしている。職業柄、活字を読むのは仕事の一部ではある。しかし、今回のコラムで、読書という知的な活動をしていると喧伝したいわけではない。
 
実は、年末からずっと調子が悪いので、高いペースで読書をしているのである。というのは、私は精神的に疲労困憊になったとき、読書に逃げるのが常である。読書をしていると、不思議と精神的疲労が緩和されるため、悪い状態から抜け出せることが多い。
 
この不調に加えて、同じ時期にゼミ学生から読書会をやりたいとリクエストされた。そんな経緯で、今回のコラムでは読書の力について考えてみたい。
 
 

◆精神安定剤としての読書

 

どうやら私にとっては、読書には精神安定剤の力があるようだ。読んでいる間、割と余計なことも考えるのだが、それでも集中力と落ち着きが高い水準にあるため、気持ちが安らぐ。
 
読んでいるのは小説、ノンフィクション、ビジネス書、学術書など色々なもので、分野もかたさもさまざまである。ただ、そのときに読みたいと思えるものを手に取って読んでいるだけである。
 
正確に計測したわけではないが、現在、週に2~3冊ぐらいのペースで読んでいる。速読法を用いず、割とゆっくりと読む私にとってはかなりのハイペースである。読んでいると落ち着くとともに、割と多く読んでいるということを実感すると、自分は病んでいるなと客観的に理解できる。
 
読書を通じて思索しているときは、雑念も含めて自分を客観視できるのが良いのかもしれない。他方、小説や経験談を読んでいると、自分の感情が揺れるときも多い。読書をしている間、三人称と一人称の間を自由に動くことが心の柔軟体操になっているのではないだろうか。
 
 

◆読書を通じた進化

 

読書は人を進化させる力も持っているのではないか。個人的な例で心苦しいが、ゼミ学生が読書会をやりたいと言ってきたことに感動した。些細なことかもしれないが、これは明らかに学生の成長を意味している。
 
今年度の春学期、ゼミ学生に21冊の本を読んでもらった。秋学期も日本語と英語の学術書を1冊ずつ、全部精読してもらった。学生が蒼い顔をしながら頑張っていたのを見てきた。正直、大変だっただろうなと思っている。
 
ところが、驚いたことに、12月中旬にゼミが一段落をすると、読み足りないとばかりに読書会を提案してきたのである。一旦勉強してしまったら、不満の方が多くなったようである。卒業までに、できる限り読書とその本に基づいた議論をおこないたいと言うのである。
 
これには、感動よりも前に、本当に驚いてしまった。ゼミに来る前の2年間で、平均3冊程度しかちゃんと読んだことがなかった彼らのことを考えれば、これは間違いなく成長と言える。
 
学生と読書会をしていると、もう一つ別の進化も起きている。読書と議論で思考したことが、自分たちの意思決定や行動に影響を持つということである。
 
たとえば、行動経済学の本(注3)を読めば、人間が自然に持ってしまう不合理な行動を意識せずにはいられない。また、経済は釣り師とカモの戦いであるという本(注4)を読めば、知らないうちに不要な財・サービスを高額で買わないようにきわめて注意深くなってしまうのである。
 
他方、そうした行動は割とストレスであると同時に、人間不信にもなる。実際、読書会メンバーは全員、同じような思いを持った。賢くはなっているのかもしれないが、賢くなることにも精神的コストが発生するということかもしれない。
 
 

◆丹羽氏の金言

 

近年、度々読書離れが話題になっている(注1)。生活のスキマ時間に携帯電話の利用が入り込んでいるのが一つの大きな要因だろう。利便性の高さに加えて、コミュニケーションの断片化と高頻度化が起き、まとまった一人の時間を過ごすのが難しくなってしまったのかもしれない。
 
そうかと言って、なぜ読書しなければならないのだろうか。私にとっては前述の通り、読書は精神安定剤なので、しなければならないというようなタスクというよりは必要不可欠なものとなっている。ただ、誰にでも必要とまでは言えなくても、もっと一般的に、読書は良いものだと言いたい。
 
実際、職業としても、学生に読書を強く勧めたいところでもある。その良さを実感しているものの、形式知として上手く言語化できずにいた。そんな中、丹羽氏の見事な説明に出合い、ストンと腑に落ちたのである。
 
「私が考える教養の条件は、「自分が知らないということを知っている」ことと、「相手の立場に立ってものごとが考えられる」ことの2つです。(中略)では、教養を磨くものは何か? それは仕事と読書と人だと思います。」(注2)
 
 

◆おわりに

 

読書は知的な活動であって、敷居が高いと感じることもあるだろう。だが、読書は知的生産ではなく、知的消費に過ぎない。楽しく消費すればいいのではないだろうか。
 
読書は他には代えがたい力があると思う。皆さん、携帯端末を脇に置いて、読書という孤独な時間を楽しんでみませんか。
 
 
 
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注1.たとえば、佐藤優(2012)『読書の技法―誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門』東洋経済新報社、藤原和博(2015)『本を読む人だけが手にするもの』日本実業出版社、丹羽宇一郎(2017)『死ぬほど読書』幻冬舎新書などで、読書離れへの警句が発せられている。
注2.丹羽宇一郎(2017)『死ぬほど読書』幻冬舎新書.
注3.ダン・アリエリー(2014)『不合理だからうまくいく:行動経済学で「人を動かす」』早川書房.
注4.ジョージ・A・アカロフ,ロバート・J・シラー(2017)『不道徳な見えざる手』東洋経済新報社.
 
 
 
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森 宏一郎(滋賀大学 経済学系 教授)

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