コラム

    • 神輿の重み

    • 2018年07月03日2018:07:03:05:36:37
      • 林憲吾
        • 東京大学生産技術研究所 講師

◆祇園祭と神輿渡御

 
7月の京都といえば祇園祭であろう。以前、京都の地球研に勤めていたので、私にとっては親しみのある祭りの一つである。山鉾行事が近づくにつれ、まちが日々、祇園祭仕様に変わっていくのも、通勤中の愉しみであった。
 
祇園祭のハイライトは山鉾巡行といえるが、その巡行後に執り行われる神輿渡御も雄壮で強い印象を残す。町衆による山鉾行事に対し、こちらは八坂神社の神事。3基の神輿で神霊を御旅所に移し、後日また神社に還す。
 
この神輿渡御には数百名もの担ぎ手が参加し、総重量2トンを超える神輿を代わる代わる彼らが担ぐ。その姿とともに、「ホイットー、ホイットー」の掛け声や、担ぎ棒に付けられた鳴鐶の「シャン、シャン」という金属音が、観る者を高揚させる。
 
このような掛け声や音は、神輿に付き物である。だが、それはなぜなのだろうか。小さい時に神輿に触れてこなかった私は、そのことをあまり深く考えてこなかった。しかし、ある出来事をきっかけに、掛け声が単なる飾りではなく、掛け声に神輿の本質が表れていると考えるようになった。
 
 

◆ぼくらはまちの探検隊

 
もう十数年ほど前になるが、私がまだ大学院生だった頃、神輿を1基つくったことがある。もちろん神社に奉納したとかそういうものではない。厳密に言えば、神輿っぽい担ぎモノを大学近くの小学生と一緒につくったのだ。
 
「ぼくらはまちの探検隊」と呼ばれる研究室主催の教育プログラムでのことである。このプログラムは、大学近くの小学6年生と建築や都市を専門とする大学院生が一緒になって学校周辺を探検し、自分たちが生活するまちへの理解やリテラシーを向上させよう、というものである。各チームが与えられたお題に沿って、まちを観察・分析し、その成果に関連した創作物を製作して発表する。
 
「まちの開花を告げなさい」。それが私の担当するチームのお題であった。まちが花開くという比喩を、まちが活性化するときと読み替えて、どういうときにまちが花開くのかを小学生たちと探索した。
 
そこで出会ったのが、まちのお祭りに登場する神輿であった。これに感化され、ぼくらも神輿をつくって発表しようと製作に取りかかったのである。私の師である藤森照信さんの建築に倣いつつ、校庭の土を混ぜた土壁を塗ったり、まち中の草花を植えたり、ヘンテコな神輿を完成させた。
 
写真1.小学生たちと完成させた神輿
 
 

◆重すぎる神輿

 

しかし、つくったはいいが、予期せぬことが起こった。神輿がとんでもなく重かったのである。小学校から発表会場の大学までは500mほど離れていて、その間を運ばなくてはならない。だが、簡単にはうまく持ち上がらない。横転でもしたら大怪我につながりかねない、という状況であった。
 
本来、神輿には、2点棒、4点棒、6点棒と、担ぎやすくするために担ぎ棒の本数を増やす方法がある。だが、そんなことを知らない私たちの神輿は、神輿の前後方向に2本の担ぎ棒を通す2点棒という最もシンプルな形式だった。
 
写真2.重すぎた神輿
 
それでも辛うじて小学生たちは神輿を持ち上げた。そして、ゆっくり移動を始めた。そのときだった。担ぎ手の一人が不意に「わっしょい」と声を上げた。すると、他の子たちも「わっしょい」と応える。それによって一気に神輿が安定した。この「わっしょい」の大唱和の中、無事に公道を運びきったのである。
 
 

◆重さの価値

 
このときようやく掛け声の意味が身体的に理解できた気がした。それは本来、神輿の重さに対して担ぎ手の人たちの内側から自然に発せられた声に違いない。重いという物質性が、そこにいる人々の連帯を誘発した結果生まれた声といえるだろう。
 
「わっしょい」を辞書で引くと「大勢で重いものをかつぐ時の掛け声」と出てくるが、その語源は一説に「和し背負へ」にあるという。まさに重さが、連帯に転じた言葉といえようか。
 
つまり、重い神輿が共同体を育ててきた面があるのではないか。担ぎ手の内側から出た声に始まり、霊威の鼓舞など、さまざまな意味を共同体が新たに加えていく中で、祭りと共同体が共に成長してきた。そんな姿を私は仮説的に思い描いている。
 
「重い」という性質は、多くの人の手をやむを得ず必要とする。だからこそ、そこに人々のつながりが生まれることがある。重さが別の価値を生む。そんな可能性を神輿は教えてくれる。だからこそ、神輿は重い方がいい。
 
そう考えたとき、建築の本質もそこにあるのではないかと思うようになった。建築もまた、重くてデカい存在だからである。「重くてデカい」というこの性質があるからこそ、建築には、共同体を育てたり、つながりを形成したりしうる可能性があるのではないか。神輿の一件以来、私はそう考えている。このことについて次回のコラムでは考えてみたい。
 
 
 
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林 憲吾(東京大学生産技術研究所 講師)

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