コラム

    • 歴史に学ぶ:健診と健康づくりにまつわる回想

    • 2018年07月31日2018:07:31:05:54:53
      • 佐藤敏信
        • 元厚生労働省勤務・久留米大学教授

今から36年前の1982年8月17日。うだるような暑さの中、私は厚生省の旧庁舎(現・農水省北別館)の玄関にいた。それまでの激しい風雨はおさまったものの、路上から立ち上る水蒸気でむせ返るようだった。医学部の6年生であった私は、卒業後の就職先の一つとして厚生省を選択肢とし、いわゆる官庁訪問で訪れたのだった。たまたま老人保健法(現:高齢者医療確保法)の成立直後で、国会からお戻りになる厚生大臣のお迎えの集団に出くわした。老人保健法は、医療保険各法の拠出による医療事業に加えて、保健事業と呼ばれる健診や健康づくりが法定化されたことも画期的だった。
 
さて、私は翌年の春に卒業するとそのまま厚生省に入省したが、いったん某県で修業することになった。その2年目には保健所に籍を移し、施行されて間もない老人保健法に基づく健診の応援にも駆り出されるようになった。健診の現場では保健所の職員も実施主体である市町村の職員も、協力してこれらの新しい事業に取り組んでいた。早期発見・早期治療によって、寿命は延長し、医療費も適正化されるはずだった。
 
1985年の冬、私は厚生省に復帰した。所属は、保健医療局の老人保健部にあった老人保健課だった。そこで次期の保健事業計画の立案を担当することになった。次期計画の中では肺がん検診の導入が一つの目玉だった。導入する以上、寿命が延長しないといけないのだが、アメリカの文献を読むとあまりいい評価が見つからない。それどころか、Mayo Lung Project の Fontana の論文を読むと、ち密な研究計画にもかかわらず、効果が認められないとあった(※1)。日本人の研究者に問い合わせてもこの論文の趣旨や意義について、はっきりしたコメントをくれない。そのうちに1986年の冬、Fontana が学会の招請に応じて来日し、京王プラザホテルで講演した。私も拝聴した。講演の後の日本人の研究者の反応は今一つであった。学問的、論理的には反論の余地がないが、短い観察期間と必ずしも十分とは言えない観察集団だけの結果をもって、健診に否定的な結論が流布するのは困るという雰囲気であった。
 
経過を省略するが、厚生省は1987年4月、肺がん検診の導入をはじめとする保健事業計画の強化を打ち出した。世界的に見て、肺がん検診の効果が科学的に認められているわけではないが、今後我が国において肺がん患者が急増することを考えると、評価が出るまでの長い期間を手をこまねいているわけにはいかないというのが主たる理由だった。
 
1998年には、がん検診の費用は一般財源化され、それにつれて地方自治体の意欲も急速に落ちていった。当初は、厚生省に「成人病検診精度管理協議会」がおかれ、各県レベルの健診の精度管理も行われていたのが、徐々にトーンダウンした。今では、受診率こそ時折話題にもなるが、もっと重要な健診の効率や精度、たとえば要精検率や最終的ながんの発見率が取り上げられることは少なくなった。
 
話が一挙に飛ぶが、2015(平成27)年10月のBMJ(※2)に驚くべき報告がなされた。がん検診の結果、個々のがんで見ると死亡率は減っているが、全死因による死亡率には差がないというものである(※3)。がん検診以外のいわゆる一般健診と呼ばれるものについても、同様の結果である。国際NGOであるコクラン共同計画がメタ解析による検証を行っているが、2012(平成24)年に、やはり同じBMJに掲載され(※4)、これによれば、元々の症状がない人々を対象とした健康診断には、罹患率、入院、障害、心配ごと、追加の医師受診、欠勤に関して、有益な効果は見出されなかったとしている。さらに、がんや循環器疾患による死亡率を減らす効果もないとされた。こうした結果もあって、2015年に「イギリスの国営医療サービス事業による健診は無駄」との報告までなされるに至っている(※5)
 
もっと強烈なのは、デンマークで実施されたInter99の結果である。健診を行った上で、不健康な生活習慣のある人々には、5年間にわたって禁煙やダイエットや運動についてのアドバイスを行い、必要に応じて、医療機関への紹介も行っている。しかし、10年後、虚血性心疾患や脳卒中の発生率、総死亡率のいずれにおいても、介入群と対照群の間で有意差はなかったとしている(※6)
 
さらに悩ましいのは、例え意義ある健診ができたとしても、長期的に見た場合、本当に医療費が削減できるのかという問題である。これに関しては稿を改めたい。
 
近年、何かの事業を行う際に、しばしば「PDCAサイクルを回して・・」と言うが、これらの一連のことは、PDCAもさることながら、実施する前に十分な資料やデータを集めて検討することの重要性を教えてくれる。いずれにしても、今はやりの「健康経営」や「データヘルス」が同じ轍を踏まないよう祈るばかりである。
 
 
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※1 Fontanaは、さらに観察期間を延ばしたものを報告しているが、基本的な結論は変わらなかった。ここでは2000年のものを示す。
 
 
※3 Why cancer screening has never been shown to “save lives”—and what we can do about it (なぜがん検診による救命効果は明らかにできないのか?であれば、我々はどうすればいいのか?)
 
 
 
 
 
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佐藤敏信(元厚生労働省勤務・久留米大学教授)

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