コラム

    • 就職とQOL

    • 2018年08月28日2018:08:28:05:21:08
      • 森宏一郎
        • 滋賀大学 経済学系 教授

細かく見れば一時的に都市への人口集中化が緩和した時期もあるが、これまで基本的に人口が都市へ集中化してきた。その中でも、東京都市圏はあまりに人口が巨大化した地域となっている。色々な事情で東京23区は今なお人口が増え続けている(注1)
 
都市集積は生産者に対して、いつでも十分に大きな需要を与えることができ、生産における資源利用の効率化を生み出す。この便益は規模が大きくなればなるほど大きくなり、混雑や環境破壊のような外部コストが上回るまでは規模の経済が働く。
 
この基本原理に従えば、都市集住は必然であるし、社会あるいは個人にとっても良いことのように見える。実際、就学・就職という一大ライフイベント時には都市への移住が伴うことが多い。その際、東京のステータスは非常に大きい。
 
本稿では敢えて特殊な話をしたいと思う。特殊な話に立脚して、改めて大都市圏への人口集中化は社会にとって良いことなのかを問うてみたい。個々人の視点から見て、社会のあり様が良いかどうかを考えよう。
 
 

◆どこで就職するか?

 
「どこに就職するか」から「どこで・・・就職するか」へ変わるだろうか。こんな疑問を持った。島に就職した学生がいるからである。
 
大学生の就職活動(以下、就活)真っ只中のある日、島友紀さん(仮名:その学生)が研究室へやってきた。「私は暮らす場所の方が大事なので、(就活ではなく)暮らす場所を探しに行きます」と言う。直観的に良さそうなアイディアだなと思った私は二つ返事で了解した。「旅に出ておいで」
 
どこで生活するかという問いは一見ごく普通の話のようである。しかし、普通の話では、就職先が決まってから、通勤可能圏内でどこに住むかを考えるということになる。
 
島さんはいくつかの気になっている場所を旅してくると、一つの暮らしたい島を見つけ出した。島さんは行った先々のコミュニティにきちんと入り込む能力を持っていて、それ以後、大学卒業までの間に何度となく島を訪れているが、食住に全く困ることが無いというのがすごいところである。
 
どこで・・・就職するかという問いも一見そんなに変わった質問ではないかもしれない。だが、これも東京か地元かぐらいの話が多い。もう少し幅広く言っても、東京・大阪・名古屋・福岡ぐらいの大都市圏で就職するか、地元で就職するかぐらいの話である。
 
この問いは就職先候補がどれぐらい存在するかという議論と所得がどれぐらいになるかという議論をしているに過ぎない。カネの話に限定しても、名目所得を物価水準で割った実質所得で必ずしも議論しているわけではなく、直感的に名目所得の水準に反応してしまっていることも多い。
 
島さんの話はこれらの話とは本質的に異なる。自分の生活あるいは人生の豊かさを満足できるものにするためには、どういう選択をすればよいかという本質的な問いから明確かつ意識的に始めているからである。島さんの答えは自分が暮らしたい場所で暮らすというものであった。
 
 

◆QOLを求めて

 
所得は依然として重要な要素ではあるが、いったん先進国になると、経済だけに偏重した考え方をしなくなる。広義のサステイナビリティ(持続可能性)を考えると、経済に加えて、環境や社会も重要になるからである。
 
個人の視点で見ても、豊かさは必ずしも経済的要因だけでは決まらない。やはり環境要因や社会要因も重要となる。たとえば、周囲の自然環境が豊かなのか、環境汚染度は許容できるか、社会的コミュニティから得られる信頼は十分か、社会的インフラは十分に提供されているかなどである。
 
こうしたものを全て含めて、QOL(Quality of Life)と呼ばれる。これは暮らしの豊かさを総称する概念として使われる言葉である。日本語では、生活の質、人生の質、生命の質という言葉で語られている。
 
大学4年生を迎えて一斉に就活が本格化した時、島さんは単に経済活動として就活を考えたのではなく、QOLを求めるための進路を考えたのである。実際、島で半年暮らした島さんと久しぶりに会うと、その話しぶりから明らかにQOLが高いことが伺えた。
 
大企業に就職した学生も来ていたが、充実ぶりが明らかに違うのである(注2)。大企業就職組は多すぎる仕事と社内調整に追われ、出てくるのは不平不満ばかりである(注3)。他方、島さんは豊かな自然環境に囲まれた大きな一軒家に住み、日々自己裁量で仕事を行っていて実に楽しそうである。
 
彼らの間の所得水準にはもちろん予想通りの差がある。しかし、島さんは食に関してはほとんどカネの消費はないと言っており、よくあるパターンだが、収入と消費の差額には彼らの間にほとんど差がないか、場合によっては逆転現象もあり得る。
 
加えて、島の暮らしは必ずしも脆弱ではない。7月の西日本豪雨の時、島さんが暮らす島も集中豪雨災害があった。しかし、地下水があり、食料は農業を基盤として各家庭が備蓄しているうえ、コミュニティ内の協力・信頼があって、2週間程の断水でも深刻な問題は起きなかったという。
 
他方、本土の都市部では人々がスーパーやコンビニに殺到し、瞬く間に水不足になったという。人口が多すぎないことやコミュニティ内で信頼構造ができていることの価値を再認識した現象ということになるだろう。
 
 

◆杜子春

 

島さんの暮らしは経済面で見ても必ずしも悪くないということを述べたが、島さんと大企業に就職した学生たちの話を聞いていて、芥川龍之介の「杜子春」(注4)という小説を思い出した。主人公の杜子春が金持ちになることに虚しさを感じ、平凡に自然の中で生きる幸福を理解する話である。
 
杜子春は金持ちになるたびに、多くの人が集まってきてチヤホヤしてもらえるのだが、貧乏に転落するたびに皆が薄情になるのである。これに対して、杜子春は「人間に愛想がつきた」と言う。
 
そこで、仙人が「大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな。」と問う。杜子春は「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」と答える。そして、仙人は杜子春に畑つきの一軒家を与える。
 
浅薄な解釈かもしれないが、杜子春は、カネの亡者になることなくバランスよくQOLを考えることの重要性を説いているのではないか。
 
 

◆おわりに:大都市圏集中を再考

 
就職となれば、大都市圏に集まるのは避けがたい経済現象である。冒頭で簡潔に述べた通り、そこには一定の経済合理性があるからである。しかし、個々人の視点で見ると、もう少し発想の多様性があってもよいのではないか。
 
大都市圏へ行くか行かないかが単純に競争上の勝敗に見えるような風潮は肯定できない。また、大都市圏へ行っても、そこには激烈な市場競争があることを忘れてはならない。加えて、非都市圏を生活拠点にしても、必ずしも経済的に恵まれていないわけではないことにも留意したい。
 
自然環境の豊かさや社会環境の豊かさがどれぐらい享受できるかという視点も重要である。この視点を加えれば、生活拠点の多様な選択があり得るという考え方ができるようになる。大学生の就活も大都市圏に本社を置く有名大企業へ殺到するという単純な発想から決別できるかもしれない。
 
発想の多様性を担保し、個々人がそれぞれの好みに合わせてQOLを最適化するためには、大都市への集中を再考する必要があるのではないだろうか。単純に大都市圏を志向するのではなく、幅広く暮らす場所を探すというタイプの就活があってもよいのである。
 
 
 
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注1.三浦展(2018)『都心集中の真実―東京23区町丁別人口から見える問題』ちくま新書.
注2.本コラムでは少サンプルバイアスを承知のうえで議論していることに留意してほしい。
注3.それはそれで実におもしろく興味深い話である。
注4.芥川龍之介(1968)『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫.
 
 
 
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森宏一郎(滋賀大学 経済学系 教授)

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