コラム

    • 社会保障改革は「社会保障」の枠内では実現せぬ

    • 2018年09月04日2018:09:04:06:26:05
      • 河合雅司
        • 産経新聞 論説委員

少子高齢社会に対する国民の不安が募っている。社会保障費を抑制するためだとして、毎年のようにサービスカットが繰り替えされる一方、負担がどこまで増え続けるのか見通しが立たないためだ。若い世代には「自分が高齢者になる頃には、制度はボロボロになっている」といった諦めの感情を口にする人も少なくない。
 
もとより、毎年数千億円ずつ伸び続ける社会保障費の抑制は歴代政権にとって重要課題の1つだった。もし、これに手を付けなかったならば、財政赤字はさらに拡大していたことだろう。そうした意味では、これまでの改革の意義は大きかった。
 
むろん、支払い能力のある人に一層の負担を求めながら、無駄を無くす努力を怠ってはならない。安倍晋三政権は、来年度予算編成における社会保障費の抑制目標を明示しなかったが、今後、抑制機運がしぼみはしないか懸念が募る。
 
とはいえ、国民の負担や社会保障サービスのカットは、どこかの時点で限界に達する。このまま「抑制一本槍」でよいのかという疑問は残る。一度立ち止まり、今後の改革の在り方や方向性を点検する必要がある。
 
まず提言したいのが、社会保障制度へのアプローチを変えることだ。少子高齢化や人口減少は国民生活のあらゆる場面に影響を及ぼす。年金や医療、介護といった社会保障制度はもちろん、公共交通機関の確保や高齢者が暮らしやすい住宅環境の整備など、喫緊の課題は山積している。
 
これだけ幅広い分野で対応を迫られたのでは、財源をどれだけ確保しようとも足りないだろう。一方で若い世代が激減しており行政や公的サービスの担い手の確保自体が難しくなっていく。もはや、社会保障の課題を社会保障制度の枠内で解決することは難しいということだ。これまでの政策アプローチでは通用しないのである。
 
社会保障制度をもっと広義に捉え、大きな枠組みで政策を連携させていく発想に転じなければ追いつかないだろう。問われているのは、どのような政策を組み合わせていくのかという構想力であり、複合型政策への転換である。
 
今後の社会保障制度改革を考える上で重要になるポイントは2つある。1つは国全体のコストとして考える視点だ。もう1つは若き人手が不足する状況を前提として、どう国民生活を機能させていくのかという視点である。
 
先にも触れたが、今後の日本では、高齢者の1人暮らしが激増していく。これを踏まえ考えざるを得ない。このままで行けば、過疎化の進んだ地域では、まばらに人が住む光景が広がろう。その1人1人の生活支えていこうとしたならば莫大な行政コストがかかる。本来、人々の暮らしをサポートしていくはずの社会保障サービスを縮小するということは、より暮らしが厳しくなる高齢者が増やすことでもある。
 
認知症を患う高齢者も増えることが予想されている。買い物や通院も自ら行わなければならない1人暮らしの高齢者も増大する。こうした状況下で、各自治体は買い物や通院のサポート、あるいは見守りサービスなどをさらに強化せざるを得ないだろう。暮らしのトラブルが増えれば、警察や消防の出動回数も増えよう。
 
社会保障サービスのカットを続けた結果社会保障費の抑制に成功したとしても、それによって他の行政経費が社会保障費の抑制分以上に膨らんだのでは元も子もないのである。
 
高齢者の暮らしを支える担い手が減ることに目を向けるならば、医療や介護だ。政府は、社会保障費削減策の一環として病院や施設から「在宅」へのシフトが進めてきた。自宅を含む暮らし慣れた地域で老後を過ごせるよう地域包括ケアシステムの整備に力を入れてきた。
 
だが、医療や介護のスタッフを充実させるだけでは地域包括ケアシステムを機能させることはできない。食事や洗濯、買い物など日常生活を支える多くの存在が不可欠だ。若い世代が激減し、こうした日常生活を支える担い手のいない地域も増えつつある。それどころか、総務省は自治体職員を十分に確保できなくなる市町村が登場することまで予想している。
 
さらに言えば、肝心の医師の確保も難しくなる。すでに1カ所しか診療所のない地域で80~90代の医師が〝医師魂〟で往診を続けているケースが登場している。こうした地域では、高齢医師が引退した途端、「無医地区」となる。
 
そうでなくとも、介護現場は慢性的な人手不足にある。政府は外国人労働者の受け入れを拡大する方針だが、要介護者数の増大に追いつくほどの規模の人材が来日する保証はどこにもない。
 
昨年の介護離職は10万人弱に及んでいる。人手不足が懸念される時代に、決して小さくない数字だ。地域包括ケアシステムの掲げる理想は絵に描いた餅になりつつあり、現実は家族に頼った看病や介護に流れている。
 
「在宅」は社会保障費の抑制の観点からすれば有力な選択肢なのだろうが、国家全体で考えて有用だと言えるのだろうか。職場の中心である世代が介護離職することによる経済的損失は大きい。仕事の継承など、統計データに表れづらいダメージもある。
 
コスト面もさることながら、少子化による社会の支え手不足が拡大していくことも勘案したならば、医療や介護の人材ばかりを増やし続けるわけにはいかず、少ないスタッフで病人や要介護者に対応せざるを得ない。そのほうが、かえって国家財政にとっても効果的ではないだろうか。
 
1人暮らしの高齢者が国内にまばらに住んだのでは、行政コストは膨らむ。むしろ、元気なうちに地域ごとの拠点に集まり住み、体が弱ったら効率よく医療や介護を受けられるようにする。複合型の政策として新たな「住まい方」を編み出していかざるを得ない。
 
新たな「住まい方」を実現するには、老後の生活費を安定させなければならないが、だからといって年金の最低保障機能を強化することは非現実的だ。多大な財源の確保が壁となっている。
 
ならば、ここでも発想を切り替え、現在の年金額で暮らせる社会を築くことだ。年齢に関わらず働ける選択肢を広げ、「サービス付き高齢者向け住宅」よりもかなり格安な家賃の高齢者向けの住宅を提供することである。
 
少子高齢化、人口減少社会を乗り越えるためには、国民の側の意識改革や協力も不可欠である。日本全体が縮み行く以上、コンパクトでスマートな社会への作り替えが急がれる。
 
 
 
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河合雅司(産経新聞 論説委員)

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