コラム

    • 癌国際連携と官民パートナーシップ 

    • 2018年09月25日2018:09:25:18:13:47
      • 河原ノリエ
        • 東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師

国連は2000年に、2015年目途としたミレニアム開発目標を設定した。そしてそれを皮切りに、当時のWHO事務局長ブルントラントは「マクロ経済と保健委員会」【1】をたちあげた。これは、ジェフリー・サックスをはじめとする当代きっての専門家にWHOの機能へのハイレベルでの財政出動を議論することを託したものだった。この委員会の特徴はこれまでの保健分野の専門家に加え、開発援助分野の専門家やマクロ経済のエコノミストで構成されていたことだ。2001年12月にだされた報告書「経済開発のための保健への投資」では、途上国の保健分野への大規模な投資は経済的に正当化されることを明言している。そこにおいては、「途上国の国内資金調達及びドナー側のGDPの0.1%に相当する規模の資金支援を毎年行えば投資のコストの6倍以上の経済便益が期待できる」と、当時としては画期的な踏み込んだ内容だったと、この「マクロ経済と保健委員会」委員をつとめた加藤隆俊は開発金融公庫報【2】において述べている。
 
そのころ出席した国際保健の研究会で、「これからは世界の健康はジュネーブではなく、ニューヨーク(経済社会理事会)で決まる時代なのだよ」と教えていただいたことがあったが、今思えばこうした流れのなかだったのだろう。
 
こうした流れのなかで、官民パートナーシップ(PPP: PUBLIC PRIVATE PARTNERSHIP)が、公的にもスローガンとされ、途上国支援を通した医薬品製造業への世界的投資は増大し、世界の健康格差は縮小していくはずだった。しかしながら、多くの立ち上がったイニシアティブと呼ばれる支援が、それぞれの現地のやまいよりも、地政学的な事柄に左右され、効率的な支援が行われていない【3】という批判も多かったのは事実だ。
 
当時私は、癌医療におけるグローバルアジェンダ設定になにがたりないのかを国際調整機関の担当者にインタビューして報告書をまとめるという研究を、厚生科学研究班【4】の活動としておこなっていた。ある国際機関の担当者は、「個別の疾患の対策がたくさん立てられたところで、マクロな戦略はたてられないし、在任中の限られた期間で、成果もみえにくい癌は扱えない。感染症は投入したお金イコール成果がすぐにでるけど、癌は報告書にかける成果が短期だと無理だから」と極めて近視眼的本音を漏らされ、開発経済自体がもつ構造的課題について気づかされた。
 
途上国の癌領域においては、その後も有効な手立てが立てられぬまま、癌は急増していく一方、グローバルヘルスの世界ではあまり認知されていないという奇妙な時間がすぎていった。
 
しかしながら、2011年の国連のNCDs決議を経て、2015年の国連の持続可能な開発目標の達成に向けた国際社会の流れの中で、潮目がかわりつつある。「誰も置き去りにしない」世界の実現を目指し持続可能な開発目標(SDGs)を掲げ経済的困難を伴わずに医療を享受できるUniversal Health Coverage(UHC)を国際社会が目指すがん領域においても、affordable な治療へのアクセスは先進国、途上国問わず、喫緊の課題となりつつある。
 
2017年5月、WHO総会において Cancer Resolution が打ち出され、「affordable な治療へのアクセスをはじめとする癌対策を実現するために様々な組織の連携」を求める決議が採択された。日本政府はアジア健康構想に向けた基本方針を策定しており、2017年12月には、「UHC東京宣言」が採択され、国民皆保険制度や介護保険制度などで培った、高齢化社会におけるUHCの経験をアジア諸国に共有していくことは、我が国の課題であることが改めて確認されている。
 
SDGsが強力な推進力となり、UHCという概念が広がりをもったことは、人類史上画期的なことである。2017年、ダボスで開催されている世界経済フォーラムにおいて、R&Dをベースとする製薬22社は、低所得国や低中所得国における非感染性疾患の予防とケアを推進するグローバルなイニシアティブ「Access Accelerated(アクセス・アクセレレイテッド)」【5】を立ち上げ、持続可能なプログラムに名乗りを上げた。そして今年にはいり、The Access Observatoryと名付けられた、このプログラムの評価のプラットフォームが公開された。評価指標作成などとりまとめているボストン大学医学部のSandro Galeaaは、これまで、開発経済の一流の頭脳を用いながらも、官民パートナーシップがうまくいかなかった理由については、情報開示と評価の軸が曖昧だったことをあげている【6】。いくらCSRとして資金を投入しても、製薬の社会貢献活動への懐疑的な眼差しがこうしたプログラムに注がれていたことは、「企業の思惑の手先になりたくない」と話すNGO関係者に出会ったりしたJICA活動などの現場でも、感じたことだった。
 
Access Accelerated が画期的なのは、現時点でプログラムにどのような進展がうまれているかはわからないものの、少なくとも、透明性の確保、情報共有、といういまの時代のプラットフォーム社会が大切にしている価値の軸を打ち出していることだろう。これまで製薬は、それぞれ知財の問題もあり、どこか秘密主義のイメージがあり、それゆえ、官民パートナーシップやステークホルダーとの協働といっても、使用する共有言語すらおぼつかない状態であったように思う。それを現在の実際はどうあれ、ともかく会社組織を超えて共有の評価の測定フレームワークをもち、様々なイニシアティブの間の相互学習を図ろうとしている姿勢がもたらすものは大きいと私はおもう。
 
今年5月、Access Accelerated においてその概念における司令塔ともいえるIFPMAの事務局長トーマス・クエニー氏は、IFPMAの50周年を記念してのインタビューで【7】、R&Dに基づくバイオ医薬品の革新が切り拓いてきた50年間についてついて踏み込んで述べている。紙幅の関係であまり紹介できないが、パートナーシップと革新的なソリューションにより、研究開発型バイオ医薬品企業の間で、連携して行動することへの関心がたかまっていること、薬のアクセスの問題など、今後の癌医療の動向を考えるにあたっても示唆に富んだ発言である。クエニー氏は今年9月末の日本癌学会のUICCセッションにおいてもUICC日本委員会野田委員長とともに座長をつとめ、国際製薬の立場から、癌医療におけるUHCという現代のアポリアについて、日本の癌研究者たちと向き合うことになる。
 
そして10月はじめにはUICC世界癌会議がマレーシアで開催され、UHCとそのための手段としての官民パートナーシップについて多くの議論がなされる予定だ。UICC-ARO の Director をつとめる赤座英之(東京大学教授)は、こうした癌医療の今後の展望についてこう語る。「これからますます癌医療は、限られた医療資源のなか、高騰していく医療費により、支払い側の医療費用抑制への圧力は強まっている。進歩していく癌研究の成果をもとに、癌治療現場は、コスト抑制にただこだわるというよりも、リソース・ストラティファイドな治療法(地域の医療資源の実情に合った治療)の提案など、医療アウトカムと持続性を高める戦略にこたえる疾患治療モデルを作っていかなくてはならない時代である」
 
これからは、アジア各国政府が自立した医療制度を構築していける働きかけをして、民がそこで持続可能な医療展開をしていけるようプラットフォームを一緒につくっていくことが大事である。その前捌きとして、こうしたAccess Acceleratedのような取り組みがもたらすプラットフォーム効果は大きいのではないかと思う。
 
今後、意味のある変化を産み出す規模の投資に必要なコストをどのようにして、官民パートナーシップで調達していけばいいのだろう。世界の富の不均衡な集中が叫ばれ、不平等と不公平について、世界の関心が集まっている今、ここにこそ、人類の賢さが試されているはずだ。AIやデータプラットホームの出現によるイノベーションの進化が、グローバルヘルスの方向性を大きく変える時代に入っている。今後、臨床データや疾病記録などの情報を継続的かつ自動的に収集・蓄積し、患者最適かつ最新の治療法を提供するために必要な証拠を生み出すシステムが医療の現場を変えていくといわれて久しいが【8】、ようやくそうしたことが現実になりつつある。いままさに、デジタルヘルスとモバイルヘルスの普及により、グローバルな癌医療と研究が直結してフィードバックを与えあう方向に向かっている。医薬品産業をベースにしたITなど様々な業種との連携によるイノベーションの創出は、アジアにおける産業構造を大きく変えていくチャンスであり、投資家のまなざしは熱いはずである。この分野こそ、SDGsの理念に則った、ESG投資をよびこめる場所ではないのか?
 
もちろんこうしたことが、具体的な政策に結実されるためには、官民パートナーシップの強固な意志のモメンタムをいかにして動員していくか。限られた医療資源の中で、異質なものが集まりあって持続的発展のグランドデザインを構想すべきときがきている。
 
 
<参考文献>
 
 
 
【3】Reich MR, Takemi K, Roberts MJ, Hsiao WC. Global action on health systems: a proposal for the ToyakoG8 summit. Lancet. Mar 8 2008;371(9615):865-869.
 
【4】厚生労働科学研究費補助金第3次対がん総合戦略研究事業「日中両国を含む東アジア諸国におけるがん対策の質向上と標準化を目指した調査研究」
 
 
 
 
【8】Kawahara N, Sugimura H, Nakagawara A, Masui T, Miyake J, Akiyama M, Wahid IA, Hao X, Akaza H. The 6th Asia cancer forum: what should we do to place cancer on the global health agenda? Sharing information leads to human security. Jpn J Clin Oncol. 2011 May;41(5):723-9. 
 
 
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河原ノリエ(東京大学大学院情報学環・学際情報学府 特任講師)

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