コラム

    • 永年ドライバーへの奨め(第1回/全6回)

    • 2019年05月07日2019:05:07:02:20:20
      • 大久保力
        • 自動車ジャーナリスト
        • 元レーシングドライバー、レジェンド レーシングドライバーズ クラブ 会長、日本自動車ジャーナリスト協会&日本外国特派員協会 所属

近年、高齢者の運転による交通事故のニュースが度々話題になります。逆走やアクセル・ブレーキの踏み間違え、追突…「またか!」の論調で報道され、高齢者免許返納義務まで飛び出す世相ですが、はたしてそれが問題解決への道でしょうか?
 
交通事故防止は年齢を越えた課題である一方で自動運転車の開発も進んでいます。クルマ社会ニッポン。今あらためて日本社会の自動車と交通問題の一端を点検してみましょう。
 
   

◆世界有数のクルマ社会となった日本

 

昔、舟の船頭さんを唄った ♪今年六十のお爺さん~♪ という童謡がありました。60でジイバアなら70,80才は古老でしょうか。いつの間にか長生きの時代になったような、長生きさせられているような気もしますが、世界有数の長者国には違いありません。
 
少子と高齢化が同時に生じた社会が現実味を帯び始めたのは2000年(H12)頃からと記憶します。数々の課題の中、高齢者の自動車運転も社会的問題になりだしました。
 
今や人口1億2千6百万人強の日本で、原付から大型自動車まで、運転免許所有者数は 約8千3百万人。これは約6千万人強の就業者数を遥かに超えます。そして全種類の自動車保有数約8千2百万台の内、乗用車が6千2百万台を超えるとなれば、日本は、いつの間にか世界有数のモータリゼーション社会になっているのです。
 
1964年(S39)東京オリンピックの頃、国内の自動車総数は6百万台程でした。それが庶民の憧れだった、カラーTV・クーラー・クルマ、いわゆる「3C」時代のマイカーブームをきっかけに、半世紀でクルマは10倍強、免許証保有者は5倍近く、著しい増加となりました。
 
さほど広くはない国土でありながら、諸外国に比べ、鉄道、バスなど陸上交通が発達した国で、これほどの自動車社会になったのは、自分の思うままに移動できるクルマの魅力が底辺にあるのは否めません。
 
しかし、クルマ増加の理由は他にもあります。急激な経済発展を支える庶民の願望第一である住宅=マイハウスは、都市近郊を離れ、鉄道、バスも不便な遠隔地でなければ購入できない程の高値となり、その交通利便性をクルマで補わねばならない切実な生活事情も自動車増加の一因なのです。お粗末な国の住宅政策・都市計画の影響も大きいと言えます。
 
 

◆減少する交通事故件数の中で目立つ高齢運転者の事故

 

自動車増加が著しくなるにつれ、スピードの出しすぎによる事故が増え、警察のいわゆる“ネズミ捕り”や白バイ、パトカーの躍起な取締り。それにも限界があり〝注意一秒怪我一生〟などの標語看板が至る所に設置され、ドライバーへの注意を喚起するも効果薄く、ついにヤケになったような〝狭い日本、そんなに急いでどこへ行く!〟なんて凄い調子の看板も現れるのですが一向に収まりません。
 
ついに1970年(S45)には交通事故による死者が最悪の1万6765人となり、この年をはさんで年間死者数1万人超が17年続きました。しかし現在では4千人以下に減少しています。
 
事故死者数の減少は、交通犯罪への対策強化・自動車の安全技術進歩・ドライバーマナーの向上など、複数の要因が相乗してのことです。が、死者数は減っているものの交通事故件数で見れば、百万件に手が届く最多の2004年(H16)をピークに、現在では50万件弱と半減しましたが、これでヨシヨシという訳にはいきません。
 
こういった状況下、2007年(H19)頃から高速道路を逆向きに走行してしまう「逆走」が相次ぎ、それも高齢運転者であることから年寄りの自動車運転問題が大きくなりだしました。
 
現在、[高齢者]とは65才以上を指すのが一般的な慣習であり、行政上の区分からしても通例で、今や総人口の28%は高齢者の社会です。さらに高齢者で運転免許の所有者は1800万人弱で、免許所有者の21%強となります。
 
耳目を驚かす交通事故の運転者が65才以上となれば〝またもや高齢運転者の事故が〟と、あたかも「高齢運転者は危険物」まがいの報道も見受けられ、それに乗じた短絡的な同調ムードが広がり出す社会です。
 
何故そうなるのか。それは、高齢化社会がやってくると言われながらも、たいして大きな課題になるとは想像外。いつの間にか子供の姿よりジジババばかりが目立つ光景になって、社会の大きな転換期をようやく実感しアタフタしているように見えます。
 
 

◆基準、枠組み管理では解決できない

 

高齢化社会の到来。その現実が目の前にありながら社会構造は壮健世代中心のまま、何もかも変わっちゃいないですね。無論のこと、高齢者中心の社会構造になったとしたら、現在の社会レベルを維持するのは不可能ですが、青壮年の減少によって不足する社会活力を高齢者層が手助けする、または加わり易くする社会改革の思想と施策が、この国は貧困のように思えてなりません。
 
その根底には明治維新以降の国家体系が、敗戦となり、破壊からの復興にあっては哲学や審美学、日本が誇れる慣習などは経済至上主義の片隅に追いやられた社会環境にあるものと考えます。何よりも国民を統率する「官」の諸施策(システム)に、国民は従順なのか盲従なのか、何ごとも一定の基準・枠組みで管理されています。
 
そのことに慣れているのか慣らされているのか、要するに本来は、何ごとも、その枠内だけでは解決できない課題が沢山ありましても一定の枠からはみ出されては困る施策の社会なのです。高齢運転者問題の本質も、そこに大きな課題があります。
 
年代別による交通事故(負傷死者)が最も多いのは20才代半ば以下で、その次が65才代以上の約18%ですが、事故発生から24時間以内の死亡を交通事故死者とする統計では半数が65才以上となります。
 
この交通事故死の50%が高齢者となれば、やはり高齢者運転は、ということになるのでしょう。が、事故負傷から死亡に至る年令体力差の分析や事故対処への研究も遅れたまま〝危ない〟の声ばかりが高まっているのです。
 
インターネットが生活に入り込み、発言者が隠れたままのSNSで「65才以上の運転免許禁止・免許証返納義務や返納しない運転を無免許運転違反にする」など、無責任な電子イタズラ書きに反論するヒマもありませんが「運転免許の年令制限・高速道路及び夕刻以降や雨天時の運転禁止」など、の発言が一般庶民ならまだしも、国会、地方問わぬ議員らのいい加減な、場当たりな発言記事など見るごとに背筋が寒くなるのです。
 
高齢者運転課題は〝危ない〟に煽動されているだけで、改善・進歩への雰囲気もありません。
 
そうであるならば高齢運転者自らが、どうあれば良いのか、また高齢者割合が歴史上未経験の増加となる時代における路上交通をリストラ(再構築)せねばならない時代になったのです。
 
では、路上交通とは一体どういうものなのか? 次回は〝主として全自動車保有数の80%を占める乗用自動車利用者を中心に〟代表的課題を見ていきましょう。
 
 
 
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大久保力(自動車ジャーナリスト)

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