コラム

    • 台本

    • 2019年06月18日2019:06:18:00:20:57
      • 片桐由喜
        • 小樽商科大学商学部 教授

昨今、政治家の失言、暴言が続いている。議会答弁の時に発しているのではない。これらは遠く離れた地、あるいは政治家主催のパーティーなど、議場の外で吐かれる。
 
なぜか? それは台本がないからである、と思う。議会や記者会見などでは通常、台本を用意し、それはたいてい官僚や秘書が書くだろうから、賢明な彼らが、世間から猛烈なバッシングを受けるようなことを書くわけがない。そもそも、そんなことを書こうものなら彼らのクビが飛ぶ。
 
大学時代に、某テレビ局で単発のアルバイトをしたことがある。その時の局職員の発言が今も忘れられない。「テレビで話す言葉にアドリブなんてない。出演者の話す言葉はすべて、台本とおり。『笑っていいとも』だって、みなテレビ作家の台本をしゃべっている。」という衝撃的なものであった。今から30年近くも前の話である。
 
近頃はNHKニュース番組でさえ、出演のアナウンサーたちが友達同士のような会話を画面の向こうでかわしている。もしかすると今は台本なし、アドリブでものをいう場面が増えているのかもしれない。しかし、時折、テレビ出演者の目が下を向く瞬間を見つけると、やはり台本ありだ!、と思ってしまう。
 
私的な場面で、話す当事者以外に誰もいない時、つまり、私たちの日常生活に台本は不要である。話したくなければ黙っていればいいし、沈黙が続いても全く問題がない。失言暴言、時に妄言を放っても、笑われるか嫌われる程度で、話した当人が失職する、世間から非難されることはない。
 
しかし、公的な場で仕事として話すときには沈黙は許されないし、話す内容は第三者が理解できるように理路整然とし、そして、目に見える見えないを問わず、聞き手を意識し、彼らを傷つけないように慎重に言葉を選ぶことが必要である。これは、政治家の例を引くまでもなく、難しい。だから普通の人には台本が必須である。
 
例えば結婚式のスピーチ。私の先輩から「結婚式のスピーチは必ず原稿を用意していけ。そうでないと、つまらないことばかり、だらだら話すスピーチとなって、列席者に一番嫌われる」と言われた。
 
また、私はプロの声優を相方に授業をラジオ収録したことがある。収録に先立ち、担当ディレクターから44分30秒で収まる台本を作るよう頼まれた。私と相方、2人分のセリフを書いた台本に「へぇ~、そうなんですか」、「僕もそんな風にしてみたいな(ここで笑う)」と、感嘆語、笑う箇所の指定まで事細かに書いて、マイクの前で自然に話す。
 
本番、上手くいったと思ったら、ディレクターに「時間が2分、余った。もう少し、話を続けて」と言われたので、アドリブで話を加えようとするが、それが、ぎこちなく、不自然で、冷や汗をかきながらマイクに向かった。実力不足を痛感すると同時に、上記先輩の助言を思い出した。
 
そして、人に聞かせるための話をするときには、台本が必要であると再認識した。もっとも、どこかの議会のように、首長も議員も台本を一語一句違わず話すのは、どうかと思し、また、口を滑らしたところに真実あり、あるいは、当人の本性見たりで、それはそれで貴重な機会である。台本、奥深しである。
 
 
 
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片桐由喜(小樽商科大学商学部 教授)

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