コラム

    • 2019年08月13日2019:08:13:05:05:51
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆問い

 

神は存在するか?
 
私の記憶の中にある初めの私は,神様はいるのか,いないのか,そのことを考えている。
そして,今も同じことを考えている。
 
だが,誰も納得させる答えをくれない。
 
 

◆現代の哲学者たちは

 

「21世紀最初の哲学講座」を謳う『岩波講座 哲学 全15巻』の各巻タイトルに,「神」の文字は見られない(後掲参照)。
 
その中で第13巻は,『宗教/超越の哲学』(2008年)と銘打たれ,末木文美士(ふみひこ)東京大学大学院人文社会系研究科教授ら斯界を代表する哲学者13氏の優れた論考が収められているが,神の存在・不存在を正面から論じるものはない。
 
そもそも,神がいるかいないかの問題と宗教に関する様々な議論は,截然と区別されなければならない。
ダニエル・デネットの説くように,神を信じることと宗教上の教義を信じることとは,明確に区別されるべきである。
 
神は存在するのかと問うことは,最も哲学的な問いではないのか。
 
 

◆神の存在証明

 

トマス・アクィナス(1224?-74)の神の存在証明は,耳に覚えのある方も多いのではないか。
彼の主著,神学大全の第2問第3項は,単刀直入に,「神は存在するか」である(山田晶訳『神学大全Ⅰ』中公クラシックス2014年93-105頁)。
トマスは,「神は存在しないと思われる」といったん切り出しておいて,これに反論する形で,5つの道(次の①~⑤)と呼ぶ神の存在証明を行う。
 
①第1動因prima causa movensとしての神の存在論証
何者によっても動かされない第1の動者を神と解する。
②作出因causa efficiensという根拠
第1の作出因がなければ何ものも存在できない。これを神と名付ける。
③必然者necessariumなる根拠
存在することも存在しないことも可能な何かではなく,それ自体によって必然的に存在するものが神である。
④段階という概念を根拠とする論証
magis et minus(“より多い”と“より少ない”)という概念が存在する以上,論理的に,至高の存在がなければならない。これを神という。
⑤目的論的論証
自然界の事物は,あたかも矢が射手によって狙いを定められるように在り,目的的に世界を秩序付ける知的認識者の存在が不可欠である。これこそ神である。
 
トマスの神の存在証明は,カントによって完全に否定されたと理解されているが,そうでもないとの反論も根強い。
 
 

◆ドーキンスの聖戦

 

『利己的な遺伝子』のベストセラーで知られる生物学者,リチャード・ドーキンス(1941-)は,神が存在しないことを徹底的に論証する(THE GOD DELUSION, 2006. 垂水雄二訳『神は妄想である』早川書房2007年)。
 
ドーキンスは,トマスの神の存在証明を「神の存在を支持する論証」の1つとして真っ先に取り上げ(同書第3章),特に自然のデザイナー(設計者)としての創造神を進化論(ダーウィニズム)の見地から一刀両断にしている。
この論点は,「ほとんど確実に神が存在しない理由」として再論され(同書第4章),地球上に生命が起源する確率は,台風によってガラクタがボーイング747に組み上がる確率よりも小さいとする創造論者の立論に対して,ドーキンスは,自然淘汰こそ優雅な唯一の答えであると切り返す。
 
ドーキンスは,神を否定することから始めて,宗教に対する道徳的な憤りを吐露し,同書の副題にあるとおり,「宗教との決別」に至る。
 
その迫力ある語り口もさることながら,読者にとっては聖書に対する知識が却って深まっていくというパラドキシカルな状況が作出されるが,議論というもののあるべき姿を示している。
 
 

◆無神論原理主義

 

ドーキンスを無神論の過激派と位置付け批判するのが,アリスター・マクグラス(1953-)とその妻ジョアンナである(The Dawkins Delusion ?, 2007. 杉岡良彦訳『神は妄想か?――無神論原理主義とドーキンスによる神の否定』教文館2012年。なお,訳者は医師)。
 
アリスター・マクグラスは,ドーキンスと同じくオックスフォード大学出身の生物学者で,しかも無神論者であったが,後に神学に転じ,同大学の歴史神学教授となっている。
 
トマスの神の存在証明に対するドーキンスの批判については,生物学的なアプローチの土俵は歴史的に見ても無神論を勝利に導くものだとして否定し,トマスの5つの道についても,その議論では何の解決にもならないというのが宗教哲学者の一致した意見だと言い放って取り合わない。
 
マクグラス夫妻の筆致は透徹した思惟に貫かれており,ドーキンスの熱さとは対称的であるが,読者のドーキンスに対する理解もまた深められていく公平な内容である。批判の姿勢や,かくあるべしと思わせる。
 
 

◆不可知論

 

ドーキンスやマクグラス夫妻らの論戦には,息詰まるものがある。
では,我が国ではどうか?
外務省のラスプーチンと呼ばれ神学者でもある佐藤優(まさる)氏と気鋭の動物行動学者竹内久美子氏との「宗教と科学のガチンコ対談」とふれ込む『佐藤優さん,神は本当に存在するのですか?』(文藝春秋2016年)は,お二方の専門分野から大いに知的刺激を受けるのだが,とはいうもののインテリ同士がカフェバーで仲良く駄弁っているといった雰囲気が漂う。
 
恐らく日本の社会では,無神論vs有神論の対立はそれほど激しいものではなく,不可知論が支配的と言ってよいからではないか。
ここで不可知論(agnostic)とは,神の存在・不存在について,人は認識できないとの立場である。
世俗主義に拠って,無神論,仏教,神道,キリスト教,その他の信仰,皆,仲良くやっていこうよというのが,我が国の強みだと思う。
 
もちろん,ドーキンスの手にかかれば,「不可知論は知的に貧しい」と批判に抜かりはない(前掲書第2章「神がいるという仮説」)。
 
 
<参考>
岩波講座 哲学 全15巻
1 いま<哲学する>ことへ
2 形而上学の現在
3 言語/思考の哲学
4 知識/情報の哲学
5 心/脳の哲学
6 モラル/行為の哲学
7 芸術/創造性の哲学
8 生命/環境の哲学
9 科学/技術の哲学
10 社会/公共性の哲学 
11 歴史/物語の哲学
12 性/愛の哲学
13 宗教/超越の哲学
14 哲学史の哲学
15 変貌する哲学
 
 
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平沼直人(弁護士,医学博士)

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