コラム

    • 社会保障改革の肝は「自治体改革」にあり

    • 2019年10月15日2019:10:15:00:22:49
      • 河合雅司
        • ジャーナリスト

 
政府が、有識者らによる「全世代型社会保障検討会議」(議長・安倍晋三首相)を立ち上げた。2012年の「社会保障・税一体改革」以来の大型改革の位置付けで、年内に中間報告を、来年夏までに最終報告をまとめるという。
 
社会保障給付費が2040年度には最大約190兆円(2018年度は約121兆円)に膨らむ見通しとなっているためだ。「消費税率を10%に引き上げたぐらいでは全然足りない」との認識である。
 
消費税増税から間髪入れずして社会保障制度改革に着手せざるを得ない事情は理解するが、それにしても今頃「全世代型」というネーミングとしたことにはズレを感じる。「全世代型」と聞くと、すべての世代のサービスが手厚く見直されるのかといった期待が膨らむというものだ。しかしながら、そういうことではないだろう。
 
むしろ、少子高齢化が進む中にあって「全世代に負担を求めるための改革」というのが政府の本音である。ならば、「全世代型」などとせず、ストレートに「人口減少対応型」としたほうが国民にも問題の本質が理解されたのではないだろうか。
 
「全世代型」と銘打ったのは、極めて政治的な理由である。「全世代型社会保障改革」という言葉を多くの国民が知ったのは、2017年10月の衆院解散・総選挙に向けた安倍首相の記者会見だろう。消費税増税分の使途の一部を変更し、幼児教育・保育、高等教育の無償化に充てることを唐突に発表した。
 
これまでの社会保障は高齢者に比重が置かれており、子育て世帯に目を配ること自体を否定するつもりはない。だが、ここで打ち出された無償化の具体的な内容というのはいかにも付け焼刃であった。保育の無償化は住民税非課税世帯など所得が少ない保護者についてはすでに実施されてきている。今回の措置で、新たに恩恵が及ぶことになったのは主として所得の多い層なのだ。安倍政権が人口減少に対してどこまで危機意識を持ち、覚悟をもってあたろうとしているのか疑わしい。
 
さらに違和感を覚えるのが、今回の改革がいわゆる「2025年問題」への対応を主目的としている点だ。「2025年問題」とは団塊世代が75歳以上となり始める2022年以降の社会保障費が急伸することを指すが、「この期に及んでも『2025年問題』と言っているのか」というのが率直な感想である。
 
「2025年問題」が社会保障における当面最大のヤマ場であることは随分早くからわかっていたことだ。安倍政権が誕生して7年弱もの歳月も経っているが、これまで何をしていたのか。あまりに対応が遅い。
 
裕福な子育て世帯への支援が中心の幼児教育の無償化などをやっている余裕があるのなら、今回の消費税率引き上げによる税収増分のすべてを「2025年問題」に費やせばよかったのではないか。
 
安倍政権がこの約7年間で本腰を入れて改革にあたって来たならば、「2025年問題」は既に解決に向けた道筋がついていたことだろう。今回の改革では、高齢者の人口がピークを迎える「2040年問題」に全力で取り組めるハズだった。
 
「2040年問題」は「2025年問題」と比べて日本社会に与えるダメージははるかに大きい。今回のタイミングで「2025年問題」と「2040年問題」とを同時に考えなければならなくなってしまったことで議論が散漫になる懸念もある。それどころか「2040年問題」の先延ばしになる可能性もある。「2040年問題」への対策にもそんなに多くの時間が残っているわけではなく、もしそうなったならば危うい。
 
では、政府は今回、どんな改革を行おうというのだろうか。浮上している論点を見てみよう。
 
改革の柱は大きく2つに分かれる。1つは、75歳以上の医療費窓口負担を原則1割から2割に引き上げる案や、ケアプラン作成費に自己負担を組み入れる案などに代表される給付と負担のバランスを図るための改革だ。これまで取り組んできた改革だが、「支払い能力のある人により負担を求める」という流れは一層徹底せざるを得ないだろう。
 
もう1つは、社会保障制度の「支え手」を分厚くするための改革である。今回、政府はここに力を入れようとしている。厚生労働省の推計では、2040年の就業者数は2017年に比べて最悪1285万人も減る。率に換算すれば19・7%の大幅下落だ。このままでは、社会保障制度は極めて脆弱になるとの危機感が背景にある。
 
社会保障制度の「支え手」を分厚くするには、まずは国民の所得が増える状況を作ることだが、個々の企業の経営状況は異なり政策で一律に誘導することはできない。そこで、高齢者と主婦パートなどの短時間労働者を中心に制度に組み入れようというのだ。
 
高齢者については、本人が希望すれば70歳まで働き続けられるよう企業に雇用環境整備を求め、在職老齢年金制度を部分的に廃止することで就労意欲を高める考えだ。さらには、働く高齢者が増えることを念頭に、現行70歳までとなっている公的年金の受給開始の繰り下げ年齢を75歳まで選択できるようにすることなども検討している。
 
一方、パート社員など短時間労働者については、厚生年金の加入要件を拡大することで新たな「支え手」として位置づけようとしている。年金財政の改善効果もさることながら、新たに厚生年金に加入する短時間労働者にとっては将来の年金給付額の増額につながる。2040年頃になると就職氷河期世代が高齢者となり、低年金者や無年金者の増大が予想されることもあり、将来の低年金者、無年金者を少しでも減らそうということだ。高齢者の就労が進むと短時間労働者がさらに増えることも見込まれる。こうした人も「支え手」に回ってもらおうという思惑もある。
 
先述したように就業者が激減していく一方で、負担増や社会保障サービスのカットは限界に近づきつつある。こうしたことを勘案するならば、社会保障制度の「支え手」を少しでも増やしていく方策というのは大いに加速させていかねばならないだろう。
 
ただ、「2040年問題」への対応を考えたとき、今回の社会保障改革には決定的に欠けていることがある。それは自治体改革だ。
 
社会保障改革と自治体改革とは無関係にも思えるかもしれないが、社会保障制度の多くは自治体に大きく依存している。財源構成一つとっても、「国が50%、都道府県と市区町村25%ずつ」といった具合に負担を分け合っている。社会保障事務も多くは自治体職員がを担っている。ところが、こうした地方自治体の多くが人口減少に晒され、その存立さえ危ぶまれているのだ。
 
日本全体で人口が減ることもさることながら、今後30年で地域偏在がより明確になってくる。住民が7割減り、高齢化率が70~80%近くに達するところも出てくる。高齢者の1人暮らしは増大の一途であり、医療や介護サービスのニーズは年々大きくなっていくことだろう。
 
これに対して、社会保障サービスの担い手は減る一方である。バランスが大きく崩れ、サービスが行き渡らなくなるところも出てきそうなのである。
 
社会保障に関する事務の多くは自治体職員が担っているが、総務省の推計では「人口1万人未満の町村」の場合、2040年に確保できる職員数は2013年に比べて24・2%減になる。「人口10万人未満の市」でも17・0%減、中核市などでも13%台の下落だ。団塊ジュニア世代が退職期を迎える2030年代以降には、定数を大きく割り込む自治体が続出するとみられている。
 
そうでなくとも、平成の大合併で自治体の面積が増えたところが多い。この間、行政改革で自治体職員を削減してきたこともあり、1人当たりの職員の受け持ちエリアは広くなっている。こうした状況で、これまで以上に手厚い行政サービスを求められたのでは、個々の自治体職員の頑張りだけではとても対応し切れないだろう。
 
さらに問題なのが自治体の税収の落ち込みだ。地方自治体の基幹的な税目といえば住民税や固定資産税などだが、住民数が減れば当然ながら減っていく。加えて、高齢化が進むことで総じて個々の所得は現役時代よりも少なくなる。過疎地などでは土地の流動性も乏しくなり、地価の減少傾向に拍車がかかる。多くの自治体で財源不足に見舞われることになるだろう。住民の減少が進めば民間企業の撤退も始まる。
 
都市部においても、いまや〝買い物難民〟の存在は珍しくないが、住民数の減少で公共交通機関の本数が減れば〝通院難民〟も増えよう。政府がいくら負担と給付のバランスを図って社会保障費の抑制に成功したとしても、公共交通機関への補助など人がまばらに住む地域へ住民サービスを届け続けるために他省庁や自治体の予算をつぎ込んでいったのでは、全体としては歳出が増えることになる。
 
今後の社会保障政策は、医療、介護、年金など各制度について「狭義」に捉えるのではなく、人口減少下で暮らし全体をどう機能させていくのかといった視点を持ち、他分野の政策との連携も含めた「広義」の政策として考えなければならないということである。
 
自治体の疲弊に対応するためには、どうしても住民側の協力が欠かせない。まずは自分で出来ることは極力自分で行う「自助」を基本とすることだ。しかしながら、個人には限界もある。その場合、一足飛びに行政を頼るのではなく、〝お互いさま〟の精神をもって住民同士が助け合う「共助」に頼むことが重要となる。それでも対応し切れない場合に初めて「公助(=行政サービス)」の出番となる。
 
行政の役割を見直していかなければ、社会保障もさることながら地方行政そのものが存続し得なくなるエリアが広がることだろう。社会保障改革も「共助」の再構築とセットで考えなければならない段階に入ってきたのだ。
 
では、「共助」はどう再構築させるべきなのか。「共助」を成り立たせるためには、人々がある程度集まり住んでコミュニティをつくることから始めるしかない。集まり住むためには、例えば「拠点」を定めて、補助金などによって近隣住民の移住を促していくことだ。高齢者については月額数千円で借りられる低家賃のワンルームマンションを地域ごとに整備し、元々住んでいた自宅といつでも往来できるようにする。地域内でセカンドハウスを持つイメージである。
 
これは行政効率化を主目的とするコンパクトシティとは異なる。単に集まり住むのではコミュニティはできない。「拠点」では助け合いの輪に参加することを条件とするのである。
 
これならば、自治体職員が減る地域でも多くのマンパワーや公費を必要とせず、地域の暮らしを維持できるだろう。世代を超えて個々に「居場所と役割」が見つけられるようになれば、地域に活力が生まれくる。とりわけ、高齢住民同士の助け合いの輪が広がり、若い世代の介護離職の減少にもつながる。
 
若い世代が老親の日常生活の世話に頭を悩ますことなく、仕事に専念できるようになれば、その分、生産性も向上しよう。日本経済にもプラスに作用し、社会保障費に不可欠な経済成長が達成しやすくなる。
 
今後の日本は人口減少によって大きく変わっていく。社会保障改革についても「現状」をベースとして将来を展望していたのではすぐに齟齬が生じよう。変化の先をしっかり見据えたうえでの柔軟な対応が求められる。
 
 
 
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河合雅司(ジャーナリスト)

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