コラム

    • 医療・介護の現場における刑事事件

    • 2020年03月10日2020:03:10:10:32:23
      • 水谷渉
        • 弁護士

1 はじめに

 
大野病院事件、杏林大学割りばし事件、東京女子医大事件などの医療事故の無罪判決から10年以上が経過した。
 
昨年末、厚生労働省が設置した「医療行為と刑事責任の研究会」は、『医療行為と刑事責任について』という報告書において、「医療従事者として一般に求められる注意を怠ることがなければ、必要なリスクを取った医療行為の結果、患者が死亡した場合であっても刑事責任を問われることはないものと考えられた。」と結論付けた。
 
しかし、私は、違和感を覚えた。以下、具体例を挙げて論じたい。
 
 

2 湖東記念病院事件

 
この事件は、医療に関するきわめて悲惨な刑事事件である。
 
看護助手の女性は、平成15年、滋賀県の湖東記念病院に入院中の男性患者(72)の人工呼吸器のチューブを外して殺害したとして、翌年、殺人罪で逮捕、起訴された。裁判では一貫して、無罪を主張したが、平成19年、この女性に12年の懲役刑が確定し、刑務所で服役した。
 
この件は、看護助手が、取り調べの警察官に恋愛感情を抱き、虚偽の自白をさせられた、と報道されてきた。しかし、真に重要なのは、この患者の死因である。
 
事実経過を見てみよう。
 
患者は、平成14年7月ころ、原因不明の急激な体重減少で入通院を繰り返していた。10月に心肺停止で病院に搬送、意識なし、人工呼吸器管理されていた。平成15年5月に死亡した。翌日の司法解剖では、血液中のカリウム濃度が1.5mmol/l(基準値3.5~5.0mmol/l)と低値であった。約6か月間の長期にわたり、人工呼吸器管理されていれば、全身状態が徐々に悪化し、死に至るのは珍しいことではない。
 
また、女性は捜査では自白したものの、法廷では一貫して無罪を主張していたし、女性の自白(アラーム音の消音方法など)は、事実と大きく矛盾していた。
 
やり直し裁判手続き(再審手続)では、死因は、呼吸器を外したことによる低酸素脳症ではなく、低カリウム血症による不整脈の可能性が指摘された。今年3月に、無罪判決 が言い渡される予定である。
 
そもそも、自白を過大評価してすすめる裁判のやり方は、冤罪を生む可能性が高いことで知られているし、裁判所がきちんと専門家の意見に耳を傾け、死因を検討していれば、このような悲劇は起こらなかったであろう。
 
 

3 あずみの里事件

 
もう一つ紹介したい。
 
平成25年12月、長野県安曇野市の特養で、入所者の女性(85歳)が、午後3時のおやつに提供されたドーナツを摂食中、意識消失し、心停止となった。
 
女性には、約50日後に搬送先の病院で死亡した。窒息を疑った主治医は、死亡から約1時間後に頭部CTを撮影したが、司法解剖はなされていなかった。
 
女性は2週間前に、同じドーナツを完食しており、嚥下機能に問題がなかった。
 
しかし、ドーナツを提供した准看護師は、本来ゼリーを提供すべきところ、誤ってドーナツを提供して窒息死させた、として業務上過失致死罪で起訴された。
 
平成31年3月、長野地方裁判所松本支部は、罰金20万円の有罪判決を言い渡した。准看護師は、これを不服とし、現在、東京高裁で審理中である。
 
この事件は、過酷な介護の現場で介助者に過大な注意義務を負わせれば、介護が崩壊するという文脈で報道がなされてきた。
 
しかし、真の問題は、死因である。
 
死後撮影された頭部CTでは、両側視床、両側背側中脳、後頭葉に梗塞巣が明瞭に描出されている。また窒息にみられる脳浮腫もない。つまり、窒息ではなく、脳梗塞による死亡の可能性が否定できない。急変時、咳嗽もむせもなく、1~2分の短時間で、誰にも気づかれないまま意識消失し、心停止に至った。口腔内からドーナツの残渣は少量で、通常、窒息に至る量ではない。
 
この事件では、一審から控訴審にかけて、6名の医師の意見書が作成されたが、そのうち5名がこの患者の死因は、脳梗塞であると判断している。それにもかかわらず、東京高裁は、ことし1月30日、医師の意見書や証人請求をいずれも却下し、結審した。これは、介護現場だけでなく、医療現場でも当然起こりうる問題である。
 
法律家は、法律の専門家でしかない。専門以外の分野では、謙虚に専門家の意見に耳を傾けて真相を探ることが、法律家に求められる最低限の資質である。
 
 

4 おわりに

 
厚労省の研究会が指摘する通り、「必要なリスクを取った医療行為の結果、患者が死亡した場合」は刑事責任を問われていない。
 
しかし、上記の指摘は、「刑事責任を問われない」という結論を導くために、「必要なリスクをとった医療行為」という限定的な場面を設定したもののように見える。湖東記念病院事件のように、「さけられない患者の死で、直近に関係した医療者」は、刑事捜査の対象とされ、冤罪事件まで生み出している。
 
法律家の役割は、絶対に冤罪を生まない、ということであり、それぞれ立場が違っていても、己の知識・経験の限界を自覚し、専門家の意見に謙虚に耳を傾け、それを理解する努力を怠ってはならない。
 
 
 
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水谷渉(弁護士)

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