コラム

    • 2020年03月17日2020:03:17:01:46:53
      • 平沼直人
        • 弁護士、医学博士

◆20世紀至高の哲学者の解とは

 

死は人生の出来事ではない。人は死を体験しない。(ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』6.4311)
 
20世紀の2大哲学書というのがある。
ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』とマルティン・ハイデガーの『存在と時間』である。
 
死を論理的に考えれば,論理哲学論考が結論するとおりである。
人は生きているうちに自らの死を経験することはできない。
 
4人の兄のうち3人が次々と自殺したウィトゲンシュタインは,自殺の衝動と戦う生涯だった。
 
論考の結論
 
語り得ぬものについては沈黙しなければならない。(『論理哲学論考』7)
 
死は語り得ない。
 
この時,ウィトゲンシュタイン29歳。
 
 

◆死の谷

 

40代の半ばだっただろうか,それまで晴ればかりでなく雨や曇りの日もあったけれど,それでも目の前に広がる景色と彼方(かなた)の空しか見えなかった我が人生の,突然,眼下に死の谷が現れた。
 
それからは,死を語れる気がしている。
 
 

◆ソクラテスの弁明

 

不敬神の罪で告発された法廷で,ソクラテスは,次のように,裁判員に語り掛ける。
 
死を怖れるということは,知恵がないのにあると思い込んでいる者のすることです。
死というものを誰一人として知らないのですから,知らないものについて知っていると思い,怖れているわけです。
死は最悪のことだと,どうして決め付けられましょう。死こそ最善のことかもしれません。
 
ソクラテスの“無知の知”の思想の発露である。
 
ただ気になることがある。老いたソクラテスが若きウィトゲンシュタインと同じことを言っている。
ソクラテスが裁判にかけられた紀元前399年,ソクラテスは70歳を迎えていた。
『ソクラテスの弁明』の作者は,言うまでもないことかもしれないが,ソクラテス本人ではなく,弟子のプラトンである。プラトンがソクラテスの死刑判決に立ち会った上記紀元前399年にはまだ20代,紀元前390年頃の執筆時でもプラトンはまだ30代であった。
 
プラトンが40代に入って書いた『パイドン』では,ソクラテスは,「哲学は死の訓練である」とする思想を語っている。
 
正しく知を愛し求める哲学者は,死にゆくことを練習しているのです。(『パイドン』67E)
 
 

◆高瀬舟

 

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
 
森鷗外『高瀬舟』(たかせぶね)の書き出しである。
 
喜助は弟殺しの罪で遠島となり,京都から大阪へと庄兵衛に護送されている。
庄兵衛は喜助の罪人らしからぬ穏やかな居住まいに興味を捨て切れず,覚えず「喜助さん」と呼び掛けてしまう。
すると,喜助が語るに,両親を疫病で亡くしてから,弟と肩を寄せて生きて来た。一緒に働いていたが,弟の具合が悪くなった。ある日のこと,弟は病気を苦に自ら喉笛を搔っ切って死のうとしたが死に切れず,弟に懇請されて逡巡したものの,止(とど)めを刺してやったという。
 
高瀬舟という小説は,「ユウタナジイ」(仏語euthanasie) つまり安楽死の問題を逸(いち)早く取り上げた作品として知られている。
大正5年(1916年),鷗外54歳の作である。
船上の喜助の気持ちが波立たず,むしろ清々(すがすが)しくさえあるのは,どうしてだろう。
それは,喜助が弟と死を分かち合ったからではなかろうか。
 
次第に更けて行(ゆ)く朧夜(おぼろよ)に,沈黙の二人を載せた高瀬舟は,黒い水の面(おもて)をすべって行った。
 
 

◆ベニスに死す

 

心臓に持病を抱えた初老の大作曲家アッシェンバッハは,静養のため赴いたベニスで見かけた,ギリシア彫刻生き写しの美少年タージオ (Tadzio) にこころを奪われてゆく。
一方で,アッシェンバッハはこの美しき水の都に異変を感じ,何か重要な秘密が隠されていることに気付く。
とうとう,コレラによる死者が既に出て,蔓延を食い止められず,まさにベニスが封鎖されようとしていることを知る。
だが,アッシェンバッハはベニスを立ち去れず,ひとり浜辺で息を引き取る。
 
ビスコンティの傑作『ベニスに死す』である。
 
いまわの際(きわ),アッシェンバッハはいったい何を思ったのだろう。
 
永遠
 
水面(みなも)が点描の如くきらめく。 
Tadzio !
呼ぶ声が高く遠く聞こえる。
 
 
notes
1 『論理哲学論考』は,原書を読んでも翻訳で読んでも,きっと挫折する。
2 DEATHという本が書店で平積みになっていたので,購入してみた。イエール大学で23年連続の人気講義ということで期待して読み進めたのだが,到底,論理哲学論考に及ぶものではなかったので,中途でやめてしまった。
「人は,必ず死ぬ。だからこそ,どう生きるべきか」(表紙の言葉)。若者にとっては,貴重な問いと答えが語られているのだろう。
3 プラトンの著作については,納富信留東京大学教授の訳書()を主として参考にした。
4 鷗外のことも鷗外(本名 森林太郎)が医者であったことも知らない若い医療者が多いことに驚かされる。
  19歳で東京大学医学部を最年少で卒業し,陸軍軍医総監に昇りつめ軍医としての最高位を極めた人である。
  海軍の高木兼寛(後に東京慈恵会医科大学を創設)らとの脚気論争では,自説の誤りを認めることができなかった。 
5 トーマス・マンの原作でもアッシェンバッハのモデルはやはりマーラーであるが,作家という設定である。
  ビスコンティの映画では,マーラーの交響曲第5番第4楽章のアダージェット(アダージョよりやや速く)のあまりに美しい旋律が琴線に触れる。
  5番の第1楽章は葬送行進曲と題されているが,決して暗くなく,楽しくすらある。ベートーヴェンの交響曲第5番は,運命が扉を叩いてくるが,マーラーは場違いにも口笛を吹きながら坂道を下るように死者を送る。私にはそう聴こえる。
 
 
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平沼直人(弁護士,医学博士)

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