コラム

    • コロナばかりに目を奪われるな

    • 2020年05月19日2020:05:19:09:12:06
      • 河合雅司
        • ジャーナリスト

新型コロナウイルスをめぐる戦いは、かなりの長丁場となりそうだ。
 
各国ともワクチンや特効薬の開発に一縷の望みをつないでいるが、何十年を経てもワクチンができない感染症もある。開発されたとしても、多くの人々に行き渡るにはさらに時間がかかる。
 
ここにきて、政府が感染拡大と社会経済活動再開の両立へと舵を切り始めたことは現実的な判断であった。歴史を振り返れば、経済が大きく傷つくとき、生活苦で命を絶つ人が増えるのは悲しい現実である。ことは「命」と「経済」の比較ではなく、「命」と「命」の比較になってきた。コロナに感染して死ぬ確率と経営破綻する確率を比較したならば、圧倒的に後者の数字のほうが大きい。
 
ましてやコロナがもたらしたのは、世界恐慌と並ぶ経済的大惨事である。感染の第2波、第3波を警戒しながらも、段階的に社会経済活動の再開を進めざるをえない。
 
そもそも中心市街地も電車や航空機内もガラガラといった状況は長続きはしない。「人との接触8割削減」というのも、期間限定だから国民は頑張ることができた。
 
県境を超えての移動の制限を求めるのも分かるが、それで本当に各県経済は維持できるのか。こうした自粛や休業を延々と続けたならば大企業も倒産し、地方経済は壊滅する。
 
政府が際限なく給付金を配れるはずがないことぐらい、誰もが分かっていることだろう。感染者をゼロにする前に、日本社会の息の根が止まる。
 
ワクチンが完成しようとも、ウイルスが消え去るわけではない。感染者が出続けることを前提として考えていかなければならないのである。もちろん、感染者をなるべく減らすよう「3密」回避に最大限の努力を払いながらではあるが、少しでも元の暮らしに近い状況を取り戻していかざるを得ない。
 
いまこの国に求められているのは、感染拡大防止最優先の政策から「Withコロナ」の政策への明確なシフトなのである。
 
「Withコロナ」政策を阻害する最大の懸念材料は、人々の恐怖心だ。
 
もちろん恐怖心を抱くこと自体は悪いことではない。危機に立ち向かう場合、〝適度な警戒心〟、慎重さは重要だ。しかしながら、慎重さと臆病とは全く異なる。臆病に過ぎたのでは「Withコロナ」は実現できない。
 
不確かな情報を信じ、あるいは長引くストレスから潔癖症のようになってしまった人は多い。外出するだけで感染するかのように受け止め、中には仕事を辞めてしまった人までいる。「もう満員電車には乗れない」という声もよく耳にする。
 
何事も度を超すとうまくいかないものだ。自分にとって不都合な情報は耳に届かなくなり、正常な判断を下せなくなる。それが集団になったときにはなおさら質が悪くなる。
 
過度の恐怖心は、ときに人々を暴走させる。外出自粛が〝生き甲斐〟のようになり、周りの人々の生活にまで過剰に干渉する人も出てきた。どうみても「3密」とはいえない行動にまで目くじらを立て、攻撃を加える。自主判断で営業を続ける店舗に休業を迫る張り紙を貼ったり、県外ナンバーのクルマをチェックしたりする「自粛警察」まで登場した。
 
こうした「自粛警察」からの批判や「他人の目」を気にして、政府が求めてもいない出張や小規模イベントまで中止してしまう人たちも相次いでいる。
 
過剰の恐怖心は、言い出し始めたらきりがない「感染の可能性」についての議論に人々を誘い込む。こうしたゼロリスクを求める心理状態のときに、政府から「緩んだら元も子もない」と言われると、まさに悪魔のささやきとなる。
 
「緩む」とか「緩まない」とかには基準がない。曖昧がゆえに、それこそ緩んでも大丈夫な局面になっても「感染の可能性」が全くゼロになるわけではないので、ひたすら自粛を続け、他人にも同調を求める。政府や企業がこうした声に押されたならば、「出口戦略」はいつまでたっても描けない。
 
人々の恐怖心を払しょくするには、徹底してデータを開示し、科学的説明を続けるしかない。データ的裏付けさえあれば、ほとんどの国民は冷静な判断を下すだろう。データに裏付けされた科学的知見こそが、「Withコロナ」の時代において最も重要なポイントなのである。
 
われわれが「Withコロナ」の政策を急がざるを得ないのは、世の中はコロナだけで回っているわけではないからだ。
 
日本は少子高齢化が進むなど、コロナ前からさまざまな問題を抱えてきた。必要以上に足踏みを続けたならば、他の課題が取返しがつかなくなるほど深刻化することを忘れてはならない。
 
自粛生活が長期化すれば、ストレスで体調を崩したり、持病を悪化させて亡くなる人も増える。高齢者の場合、フレイルや認知症の悪化にもつながりかねない。介護離職も増えることとなる。
 
感染防止にばかり気にかけていると、消費マインドは冷え込んだままとなる。それは経済のV字回復どころかマイナスのスパイラルに陥ることを意味する。企業の倒産スピードも加速しで失業者が溢れかえることとなれば、「生活苦」による死者数はコロナの死者数の何倍にもなるだろう。
 
影響はこれにとどまらない。日本経済だけが世界の復興の波に大きく乗り遅れる可能性もある。遅れは日本社会を根底から危うくする。世界各国のコロナの感染拡大は一斉ではなく、経済活動再開に踏み切る時期も同じではないからだ。
 
ただでさえ、日本の感染拡大期は他国に比べて遅く、しかも政府の対策が後手に回ったことで収束に時間がかかった。日本の産業界が身動きできない間に、海外企業が「コロナ後」の世界マーケットを席捲することとなったならば、多くの日本企業は国際競争に完敗するだろう。
 
事実、中国はいち早く経済活動再開に踏み出した。米国のトランプ政権も前のめりの批判を浴びながらも社会経済活動の本格的再開を急いでいる。欧州各国も次々と再開に舵を切っている。どの国も「コロナ後」の政治的、経済的優位性を確保しようと必死なのだ。
 
このまま日本だけが出遅れ、瀕死の状態となれば、株価は大きく下落し、企業買収が相次ぐことも予想される。日本経済を牽引してきた大企業が相次いで中国などの資本傘下に入ることだってあり得ない話ではないだろう。日本の産業界がどん底に落ちても、巨額な財政赤字に苦しむ現在の日本政府に多くの手立てが残されているわけではない。
 
これだけ企業活動を制約したのでは、税収も大きく落ち込む。来年度の予算編成を心配しなければならないほどのレベルだ。人件費や防衛費を含め、すべての政策経費のカットが求められよう。むろん社会保障費も例外ではない。社会保障の場合、これまでは自然増の伸びの抑制が課題であったが、既存制度への切り込みにまで踏み切らざるを得なくなるかもしれない。医療や介護などの社会保障サービスが脆弱となれば、日本人の暮らしは非常に貧しくなる。
 
今夏に最終報告を取りまとめることになっていた全世代型社会保障改革の議論も停滞している。団塊世代が75歳以上となる「2025年問題」への対応が大きな目的だったが、間に合わなくなる可能性も大きくなってきた。一方で、生活保障受給世帯は増大しそうである。長年積み上げてきた社会保障改革が根底から覆ることにもなりそうである。
 
いまは国民一律10万円給付や中小企業向け貸付金など大盤振る舞いであるが、感染が少し落ち着いた段階で「コロナ復興税」のような新税が登場することも十分に考えられる。そうなれば、なおさら景気は悪化する。
 
さらに考えておかなければならないのが、少子高齢化、人口減少の影響だ。
 
戦後復興を引き合いに出して、「コロナ禍でどんなに経済が打撃を受けようと、生きていさえすれば、のちのち何とでも復興できる」といった精神論を声高に語る人もいる。しかしながら、戦後復興は国民の平均年齢が若かったからできた。病気にに例えるならば、現在の日本は慢性疾患の状態にある。そこにコロナ禍という「急性疾患」が追い打ちをかけたということだ。国民が若かった過去の事例を引いて、同じように考えていたのでは誤る。極度に追い込まれる前に、どうしても本格的に始動しなければならないのである。
 
経済に大きな犠牲を求めてでも感染爆発を防止するという政策は、医療財源のための税収確保を不可能にするという矛盾もはらむ。財政が疲弊していない国ならばともかく、日本のような巨額の財政赤字を抱えた国でそんなに長く持ちこたえられる手法ではない。
 
ここに来て、気になる動きも浮上している。中国は経済活動再開だけでなく、コロナで世界が混乱している状況に乗じて、領有権を主張する南シナ海に新たな行政区を設置すると発表したり、空母を初めて沖縄本島と宮古島の間の海域を通過させる形で東シナ海から太平洋へと往復させたりと不穏な動きを見せている。尖閣諸島付近で中国海警局の船が日本の領海に侵入して日本の漁船を追尾するという事件も起きた。北朝鮮の核やミサイル開発も気にかかる。
 
米軍での感染が広がり、一時的にアジアでの軍事的影響力が衰えている状況を見ての挑発であろう。これが国際政治の冷酷な現実だ。
 
世界の二大超大国の米国と中国がいがみ合う構図ははっきりしてきた。米国だけでなく複数の国が、コロナをめぐる中国の対応に不満を示しており、国際緊張が高まってきている。コロナにばかり目を奪われていると、日本は世界の趨勢に対応しきれなくなる。
 
コロナとの戦いについて、多くの国のリーダーが「第3次世界大戦」になぞらえた。もしいまが戦時下というならば、医療を含めて平時と一緒にならないのは仕方がないことだ。あらゆる方面に綻びが出ている状況で、すべての政策を完璧にこなすことなどできないのである。「Withコロナ」は、割り切りと折り合いの連続とならざるを得ない。
 
戦時下の総理大臣とは、すべての結果について責任を負うために存在する。多くの国民が恐怖心に支配され、コロナにばかりに目が向いている今だからこそ、トップリーダーには「鳥の目」が求められる。
 
 
 
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河合雅司(ジャーナリスト)

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