コラム

    • 新型コロナウイルス感染拡大に伴う医療機関の経営問題

    • 2020年06月02日2020:06:02:09:00:12
      • 平岡敦
        • 弁護士

第1 はじめに

 
 
新型コロナウイルス感染拡大に伴い,感染症指定医療機関等では医療崩壊の瀬戸際できわどい攻防が繰り広げられた。一方,一般医療機関では,経営問題という別の戦いが起きている。新型コロナウイルスへの感染を恐れての受診控えの傾向が顕著で,売上の低下に伴う経営問題に見舞われているのである。
 
筆者の周辺で見聞きした例では,売上が2から4割程度減少している医療機関が多いように思われる。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い,感染した患者を救うのはもちろんであるが,勤務している医療従事者及び職員の生活を守るために,医療機関の経営を守る必要性も高い。医療機関の経営を守り,地域の医療を支えることが,延いては新型コロナウイルス感染拡大に伴う医療崩壊を防ぐ下支えにもなる。
 
売上の減少を食い止めることは,感染拡大の渦中にある現状では難しい。そこで,考えられるのは,コストを削減することである。医療機関のコストの中で大きいのは,①家賃,②人件費,そして③減価償却費(又はリース費)ではなかろうか。このうち③については,短期的に減少させることは困難である。そこで,①と②について考えてみる。
 
更に,感染疑いのある患者からの受診依頼があった場合にどのように対処すべきか,応召義務との関係で悩ましい
ものがあるので,その点についても末尾に触れた。
 
 

第2 家賃について

 
 
(1)家賃を減額する理由の整理
家賃については,新型コロナウイルス感染拡大を理由に,家賃減額を請求できるかが問題となる。家賃の減額を請求する理由もいくつかの種類が考えられる。代表的なものは以下の様なものであろうか。
①売上の減少
②他の店子の感染等を原因とする一時的な閉鎖や利用制限
③医療機関の従業員等の感染等による休業
④感染拡大の防止を理由とするビル全体の閉鎖
 
(2)売上の減少
まず,残念ながら,売上の減少を理由に,直ちに賃料の減額を請求する法律上の権利が生ずることはない。しかし,新型コロナウイルス感染拡大による経済状態の悪化が一定期間続いた場合は,可能性がないわけではない。借地借家法32条1項は,以下の様に定めている。
 
「建物の借賃が,土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減により,土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により,又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは,契約の条件にかかわらず,当事者は,将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる。ただし,一定の期間建物の借賃を増額しない旨の特約がある場合には,その定めに従う。」
 
新型コロナウイルス感染拡大による経済状態の悪化が,上記の「経済事情の変動」に該当する可能性がある。裁判例を見ても,リーマンショックや東日本大震災の影響による収益の悪化,修繕費の支出,建物の減価等を賃料減額の間接的な理由としている例は見られる(東京地判平成26年11月17日,東京地判平成25年8月1日等)。借地借家法32条1項を理由に直ちに賃料の減額を求めることはできないが,影響が一定の期間続くようであれば,適用も視野に入ってくると思われる。
 
また,法律上の請求権というわけではないが,大家としても,退去されて空き室となるリスクとの兼ね合いもあり,店子の経済的苦境にはある程度対応せざるを得ない。国土交通省も,大家が賃料を減額や猶予した場合,税や社会保険料の猶予,固定資産税の減額や免除を実施している。前記の賃料減額請求も視野に入れつつ,大家に対して賃料の減額交渉を行うことが現実的な選択肢と言える。
 
(3)他の店子の感染等を原因とする一時的な閉鎖や利用制限
複数の店子が入っているビルの場合,他の店子の感染によって,消毒などの必要性から,一時的にビル全体が閉鎖され,エレベータが利用できなくなる等の利便性が損なわれる事態が生ずる場合が考えられる。そのような場合に賃料の一部減額を求めることができないかが問題となる。
民法611条1項のように定めている。

「賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合において,それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは,賃料は,その使用及び収益をすることができなくなった部分の割合に応じて,減額される。」
 
なお,202年3月31日以前に締結された賃貸借契約の場合は,前記の「その他の事由」が明文上認められていなかったが,判例上,この条項の類推適用により救済がなされていた。
 
他の店子の感染は,賃借人(医療機関)の責めに帰するべき事由ではないし,使用収益ができない「その他の事由」に該当するので,使用できなかった期間に応じた賃料の減額を請求できるものとも思われる。ただ,営業用の賃貸物件の場合,賃貸借契約書で「いかなる場合も賃料の減額は行わない」といった条項が入れられている場合もある。B to Bの契約の場合,こうした条項も有効なので,減額が認められない場合もある。ただ,その場合も権利濫用等を理由に請求することも考えられるので,まずは交渉してみることが必要である。
 
(4)医療機関の従業員等の感染等による休業
医療機関側の医療従事者や事務職員が感染して営業を継続することが困難になった場合,又は,一部が感染して感染の拡大を防ぐために営業を中断した場合等,医療機関側の事情で休業した場合は,賃貸物件自体が使えなくなったわけではなく,賃借人側の事情で使わなくなっただけなので,前記の民法611条1項を根拠に賃料の減額を請求することは難しい。仮に要請するとしても,お願いベースの請求にならざるを得ない。
 
なお,一般企業の場合,緊急事態宣言下での要請や指示により休業せざるを得ない場合があるが,そのようなケースで単なる自粛要請ではなく要請(インフルエンザ特別措置法45条2項)や指示(同条3項)に該当する場合は,「賃借人の責めに帰することができない事由」によって,賃貸目的物そのものの使用収益が阻害されたと判断する余地が出てくるのではないか,と思われる。ただ,医療機関の場合,社会生活を維持する上で必要な施設として,インフルエンザ特別措置法24条9項による使用制限の要請がされることはないので,このような理由で賃料の減額が認められる余地はないと思われる。
 
(5)感染拡大の防止を理由とするビル全体の閉鎖
感染拡大及びその予防を理由として,家主がビル全体の閉鎖を決断し,医療機関も閉鎖せざるを得ないような状況に置かれた場合はどうであろうか。この場合,前記の通り,もともと医療機関は使用制限の対象となっておらず,医療機関自体には閉鎖の理由はない。しかるに,家主の判断で賃貸目的物を使用収益できないのであるから,民法
611条1項を根拠に賃料の減額を請求できるものと思われる。
 
しかし,この場合も,営業用のビルの場合は,賃貸借契約書に賃料の減額を制限する条項がある場合があり,そのようなケースでは賃料の減額は請求できないこともある。
 
 

第3 人件費について

 
 
(1)人件費を減額する理由の整理
人件費の削減は可能な限り避けたいところである。しかし,人件費の支払いを絶対視して,医療機関が倒産するような事態を招くのでは,結果として患者や取引先に迷惑を掛けることになるし,従業員にとっても生計の途をたたれる結果となり,望ましい事態ではない。そこで,法律上許される範囲で,人件費を削減できる方策を,各種助成金の申請等も絡めて整理する。例えば,次のような場合に,人件費の削減は可能なのか,可能であるとしてどこまで削減できるのか。
 
①従業員が感染した場合又は感染疑いの場合
②従業員が濃厚接触者である場合
③感染拡大を防止するために症状のない従業員を休業させる場合
④売上減少等の経営上の理由で休業させる場合
 
ちなみに,恒久的な人件費の削減策である解雇については,ここでは触れていない。いわゆる整理解雇は,その要件が厳しく制限されており,容易に行うことはできない。また,元もと人員不足が叫ばれていたのである。安易な解雇や退職勧奨は感染収束後の営業に重大な影響を与える。
 
 
(2)賃金を支払わなくて良い場合
まず,民法536条1項は「当事者双方の責めに帰することができない事由によって債務【=労働】を履行することができなくなったときは,債権者【=使用者=医療機関】は,反対給付【=賃金支払】の履行を拒むことができる。」(【】内は筆者注。以下,法文について同様。)と定めているので,従業員が休業する事情として,医療機関の側の責に帰するべき事由が全くない場合は,賃金を支払う義務は生じない。
 
例えば,上記例①の従業員が感染した場合や,感染症予防法8条の感染疑いに該当する場合には,当該従業員は労働することはできず,それについて医療機関には責に帰すべき事由がないので,賃金を支払う必要はない。
ただし,健康保険で傷病手当金が支給される場合が多いので,従業員の生活も一定範囲で守られる。また,医療従事者の場合,業務外で感染したことが明らかである場合を除き,原則として労災保険給付の対象となるので,休業損害として賃金相当額が支払われることになる。
 
また,安易に賃金の支払を拒絶する方針をとると,従業員が感染していることを隠して勤務してしまい,感染を広げてしまうリスクも生ずる。医療機関全体を守るためには,傷病手当金が支給されることを明確に告知するとともに,差額分も支給するなどの措置も考えられる。なお,公的給付は実際に支給されるまで時間が掛かるので,仮払いも検討の余地がある。
 
(3)休業手当(賃金の60%)を支払わなくてはならない場合
次に,労働基準法26条は,「使用者【=医療機関】の責に帰すべき事由による休業の場合においては,使用者は,休業期間中当該労働者に,その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない。」と定めている。ここで出てくる「使用者の責めに帰すべき事由」は,多少特殊な概念である。後で出てくる賃金の100%を支払わなければならない民法536条2項の「債権者の責に帰するべき事由」があるので,それとの差違が問題となるのである。
 
ノースウエスト航空事件(最二小判昭和62年7月17日)等によって定立された判例法理によると,使用者の責めに帰すべき事由の方が,債権者の責に帰すべき事由よりも広い概念で,使用者の故意過失によって休業に至った場合に加えて,使用者の経営,管理上の障害によって休業に至った場合を含むとされている。使用者の経営,管理上の障害とは何か?が問題となるが,「休業手当支払義務を生ぜしめる休業の事由としては,一般的には機械の検査,原料の不足,流通機構の不円滑による資材入手難,監督官庁の勧告による操業停止,親会社の経営難のための資金・資材の獲得困難(昭23・6・11基収1998号)などが考えられる」(菅野和夫「労働法第12版」有斐閣457頁)とされていて,かなり広い概念であることが分かる。
 
したがって,上記例②のような,厚生労働省令で自宅待機等を要請される濃厚接触者であることを理由とする休業も,使用者に故意過失があるとは言えないが,「使用者側の責に帰すべき事由」がある場合に当たり,休業手当の支払義務が生ずるものと考えられる。当然のことながら,感染者ではないので,労働者の責に帰するべき事由も認められない。

医療機関の場合,その業務内容の性質上,濃厚接触の可能性が高く,特に事務職員などが適切な予防策を講じないまま感染者に接触してしまい,濃厚接触者となってしまう事態も考えられる。そのような場合は当該職員の出勤を停止することが考えられるが,そのような場合には休業手当の支払が必要ということになる。上記例③のような感染拡大を防止するために症状のない従業員を休業させる場合も,同様であろう。
 
ただし,休業手当を支払う企業には,政府から雇用調整助成金が支給される可能性があり,特例で支給要件が緩和され,支給内容が拡大しているので,利用を検討すべきである。
 
上記例④のような売上減少等の経営上の理由による休業の場合に,少なくとも休業手当の支払を要することは確かだが,更に休業手当の支払のみでは足りず,賃金100%の支払を要するのかは,後記の民法536条2項の適用範囲との関係で明確ではない。
 
(4)賃金全額を支払わなければならない場合
民法536条2項は,「債権者【=使用者=医療機関】の責めに帰すべき事由によって債務【=労働】を履行することができなくなったときは,債権者は,反対給付【=賃金支払】の履行を拒むことができない。」と定めており,使用者の故意過失による休業の場合には100%の賃金支払義務が生ずる。労働基準法26条との関係は後記の通りである。
 
売上減少等の経営上の理由で休業をさせた場合が,民法536条2項に該当するのか(賃金100%),労働基準法26条に該当するのか(休業手当)の基準が明確に定立されているわけではない。しかし,休業手当の場合には雇用調整助成金の支給を受けられる場合があること等との関係では,安易に休業手当の支給で足りるとする結論は導き出しにくい。経営上の理由で休業させる場合には,その必要性や切迫性,相当性が厳しく吟味されるものと考えられる。
 
前記の各場合を表にまとめると以下の様になる。ただし,前記の通り,支払割合0%の場合でも,感染の隠蔽を招いて感染拡大を防ぐ観点からは,傷病手当金の申請や差額補充等の適切な措置を取ることが望まれる。
 
 
 
 

第4 応召義務

 
 
一般の医療機関においては,感染の疑いがある患者の診察を拒否することが応召義務違反となるのかも深刻な問題である。
 
これに関して,厚生労働省は,令和2年3月11日付で以下の様な通知を行っている。
 
「患者が発熱や上気道症状を有しているということのみを理由に、当該患者の診療を拒否することは、応招義務を定めた医師法(昭和 23 年法律第 201 号)第 19 条第1項及び歯科医師法(昭和 23 年法律第 202 号)第 19 条第1項における診療を拒否する「正当な事由」に該当しないため、診療が困難である場合は、少なくとも帰国者・接触者外来や新型コロナウイルス感染症患者を診療可能な医療機関への受診を適切に勧奨すること。」
 
この通知は,発熱や上気道症状のみを理由に診療を拒否することは応召義務違反であるが,帰国者・接触者外来等での受診を勧奨すれば足りるとも読め,曖昧なものとなっている。ただ,「診療が困難である場合」と限定が付いているので,この「診療が困難である場合」とはいかなる場合なのかの問題なのであろう。しかし,この通知にはそこが書かれていない。
 
応召義務の有無が争点となった裁判例(千葉地判昭和61年7月25日,東京高判令和元年5月16日等)も一貫した要件を明示しているわけではなく,事例によって揺れが見られる。だが,全体を通してみると,①患者の病状,②当該医療機関の状況,③他の医療機関の状況を総合的に検討するという規範があるように見える。
 
①に関しては,厚生労働省が令和2年2月17日付で発出し、同年5月11日付で改訂した「新型コロナウイルス感染症についての相談・受診の目安について」において,「帰国者・接触者相談センターに御相談いただく目安」として掲げた次の症状が判断の目安になろう。
 
・息苦しさ(呼吸困難)、強いだるさ(倦怠感)、高熱等の強い症状のいずれかがある場合
・重症化しやすい方(※)で、発熱や咳などの比較的軽い風邪の症状がある場合
(※)高齢者、糖尿病、心不全、呼吸器疾患(COPD 等)等の基礎疾患がある方や透析を受けている方、免疫抑制剤や抗がん剤等を用いている方
・上記以外の方で発熱や咳など比較的軽い風邪の症状が続く場合
 
上記のような患者であり,当該医療機関では標準予防策以上の飛沫予防策や接触予防策をとることができず,帰国者・接触者外来での受診が可能であれば,応召義務違反にはならないのではなかろうか。
 
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平岡敦(弁護士)
 

 

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