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コラム
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「手術台の上のヴァージン・ロード」阿部重夫
(掲載日 2005.3.15)
 「花嫁の父」の役を生まれてはじめてつとめた。

 なあに、動じるもんか、と内心軽く考えていた。ヴァージン・ロードを花嫁と颯爽と歩き、さっと身をひいて毅然と胸を張る。花婿の父だと最後のごあいさつがあるが、花嫁側は気が楽だ。花束をもらって涙腺をしっかりしめて、アイフルのCMのように、間違ってもウルウルするもんか。ようし、カンタン、と思ったのが間違いだった。

 ヴァージン・ロードはすいすい歩いちゃいけないのだ。花嫁を慮ってお能のようにしずしず歩め、と言われる。「花嫁のスカートを踏まないよう半歩前を」。進行係の指示を聞いて焦った。踏むんじゃないかとそればかり気になる。まず右足、左をそえ、今度は左足、右をそえ……簡単なステップが覚えられない。娘と腕を組んで歩いたことなんてあったっけ。四歳? いや、そんな追憶にふけってる場合じゃない。チャペルの扉が開いたとき、こちらを向いた満座の目に、頭のなかは真っ白になった。

 はっとした。肘にそえた娘の手に力が入っている。あれ、いつのまにか、牧師が眼前にいた。(お父さんたら、もう止まって)と暗に娘が制したのだ。何も覚えてない。

 いや、数知れずステップを間違えた。しまった、次は右?左?と考えているうち、正面で待つ牧師に突っこみかけた。ほっといたら祭壇によじのぼりかねない。(おいおい、このお父さん、まったくアガってるな)。牧師もそんな目である。

 雲の上を踏むよう、というのだろう。とんだ失態だった。やっぱり花嫁の父って、無意識に動転しているのか……あとでくよくよ思い悩んでいると、妻までが「だめねえ。足がよたよたして、今にもつまずきそうで、はらはらしたわ」と追い討ちをかける。妻だって涙でくしゃくしゃだから、人のことは言えないはずだが。

■気が重い初体験

 うなだれた。こころひそかな慰めは、何ごとにも失敗はつきもの、というありきたりの処世訓である。ヴァージン・ロードに限らない。手術台の上でもそうなのだ。そろそろ前回の「スカルペルの筆」で登場した、若きインド系アメリカ人医師アタル・ガワンデ君にお出まし願おう。彼が処女作「コンプリケーションズ」の巻頭に書いた失敗談は、「パニクった花嫁の父」によく似ていて、ちょっぴり癒されるのだ。

 外科研修に入って四週間目、彼は主任の女性実習医にいきなり告げられる。「あなたのチャンスよ」。腹部の手術後、消化器の機能が回復せず、「セントラルライン」(中心静脈カテーテル)の挿入が必要な患者がいたのだ。胸の大静脈(vena cava)にプラスチック製のチューブを挿入し、無痛で静脈注射による栄養補給ができるようにする。女医はこともなげに言った。「準備なさい。万端整ったらポケベルで呼んで」。

 患者に説明するのは彼の役目である。「胸部に局部麻酔を施し、チューブを挿入しようと思います。少々リスクがあります。出血や肺の損傷などですが、経験のある医師なら百に一つもミスはありません」。五十代の頑健そうで寡黙な患者はうなずく。「OK」。

 だが、ガワンデ君が口にしなかったことがある。彼に経験はなかった。チューブは八インチ(約二十五センチ)もあり、大静脈は心臓のすぐ上にあって、初心者にとって挿入はかなりの難度なのだ。大静脈を裂いて大出血を招いて死亡させた例、チューブを先導するワイヤの操作を誤って心房細動を起こし胸の緊急切開にいたった例などがあって、彼の気を重くさせた。ガワンデ君の頼りは、先の女医のカテーテル挿入に二度立ち会ったことである。つい前日も彼女を手伝い、その手順をつぶさに見ていたのだ。

 仰向けになった患者の肩甲骨のあいだに、女医は丸めたタオルを手早く差しこんで、胸をアーチ状に湾曲させた。消毒剤で胸をふき、局部麻酔薬リドカインを注射し、完全滅菌した手術着で、鎖骨のすぐ下に十センチ近い太い注射針を刺していた。「鋭角で刺すのよ。鎖骨の下を、まっすぐずぶりと」。肺の上にある大静脈の支脈を探しあて、針をほとんど根元まで刺して、それからシリンダーを引く。暗色の血ならいい。静脈血だからだ。でも「鮮やかな赤だったら、動脈にあたったのよ。やばいってこと」。

 うまく静脈に針を刺しこんだら拡張器(dilator)で静脈壁を広げ、エレキギターの弦に似た先導のワイヤを差しこんで、そろそろと大静脈のなかを進めていく。「押し込んじゃだめよ。絶対に手放さないこと」。心電図のモニターがはねるとすばやくワイヤをもどす。心臓に達すると軽い心房細動が起きた。「ぴたりよ」。患者にむかって「もう数分ですから」。針を抜き、プラスチック器具に入れかえて、スパゲッティの麺のような黄色いプラスチックのチューブを挿入し、胸を縫合して終わり。ほれぼれする手際だった。

■ヘマの連続

 さて、ガワンデ君の番である。準備が整って女医を呼んだ。息を整え、まずリドカイン五ccを注射器に入れ、いざという段になって、女医がやってきた。「血小板のカウントは?」。胃がきゅんと縮んだ。チェックしていない。もし低かったら、出血過多の恐れがある。コンピューターを覗いた。大丈夫だ。

 次に消毒剤を浸したスポンジで患者の胸を拭こうとした。また女医の声。「肩の下にタオルのロールは?」。しまった、そいつも忘れてた。患者はちらっと彼の顔を見る。女医は何も言わない。消毒を終え、胸の上部を残して、患者のからだは滅菌布の下に隠れる。ぴくりと震えた。装具に目をやった女医がまた言う。「カテーテル洗浄用の予備シリンダーは?」。また失態だ。頭の中が白くなりかけていた。鎖骨の下を局部麻酔しようとして、目で女医に合図を送る。(ここ?)。情けないが、これ以上患者を不安に陥れられない。女医がうなずく。「ちくっとしますからね」。局部麻酔の患者に気休めを言う。注射針を手にした。ぞっとする。なんてぶっとい針なんだ。こんなものを人の胸に刺すなんて信じられない。見当をつけて、しゃにむに突きたてた。

 「あうっ!」。患者が叫んだ。

 「失敬」。つい謝ってしまった。女医がもっと下だと合図している。
 
 今度こそ。刺してから、シリンダーを引いた。血が出ない。女医はもっと深く、と指図した。さらに深く針を入れたが、やはりだめだ。針を抜いた。もう一度試みる。

 「あうっ!」。また患者が叫んだ。シリンダーを引いても同じだ。この患者、肥満で脂肪が厚すぎるんじゃないか。かたわらの女医が手術着をはおり、手袋を装着する。「ちょっと見てみましょうか」。ガワンデ君は注射器を渡してわきへ退いた。女医はたちまち静脈に針を入れ、「すぐ済みますからね」と患者に言う。

 次のステップは、ふたたび彼に委ねられたが、どぎまぎしてヘマの連続だった。終わってから、女医が彼を慰めた。「次はもっとためらわなくなるわ」。しかし術後のX線写真が来るまで、ひやひやだった。幸い、肺も心臓も傷つけていないと分かったものの、すっかりうちのめされた気分だった。

■「ときどき間違い、けっして疑わない」
 
 「外科医には痛烈な格言がある。『ときどき間違い、けっして疑わない』。でも、これこそ彼らの強みと僕には思える。毎日、外科医は不確かに直面している。情報は適切でなく、科学はどっちつかず、人の知識も能力も完璧ではない。ごく簡単な手術でさえも、患者が快癒する――もしくは生き残るのが当たり前ではない。はじめて手術台の前に立ち、僕は不思議だった。いったい外科医はこの患者がよくなるとどうしてわかるのだろう。手順どおりに手術を進め、出血を抑え、感染を防ぎ、他の臓器を傷つけずにすませられる、とどうして予見できるのか。もちろん外科医に先は分からない。でも、メスを入れる」

 ガワンデ君はそう結論づけた。私も心臓の精密検査のため、鼠径部からカテーテルを入れたことがあるから、このエピソードにはぞっとする。患者はたまらなかったろう。滅菌布の上で誰も「失敬」なんて謝ってほしくない。が、この素直さ、どこか笑えるのだ。

 たまたまだが、娘の婿の父親は整形外科医で、北海道で病院長をしている人だった。「花婿の父」をそつなくこなしていたようだから、今度聞いてみよう。あなたもやっぱり達観しておられるんでしょうか。「ときどき間違い、けっして疑わない」と。
 
著書 「イラク建国 不可能な国家の原点」(中公新書)

〔以下、共同執筆〕
「いやでもわかる金融」(日本経済新聞社、新潮文庫)、「宴の悪魔」(日経)、「超円高」(日経)「竹下登の平成経済ゼミナール」(日経)など。
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