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「日米の医学教育観」 小林 肇
(掲載日 2005.9.6)
 医療事故の増加は日本社会の注目を浴び、その対策のひとつとして医学教育の改革に関心が集まっている。米国においても大学の医学部での教育に疑問がもたれ、従来の講義形式主体の従来のカリキュラムを変更し、学生が参加し自ら問題を解き指導者はその問題を解く過程を主導する「プロブレムベースの教育」や、マネキンを用いたシミュレーターを用いた教育を導入した大学も多い。

 上記のような新しい教育スタイルを医学部教育に取り入れる日本の大学も出てきている。これらの教育を受けることで医学知識がより有機的に医師の頭脳の中で結合することは間違いない。

 しかし、臨床現場における実践能力が育まれるのは医学部を卒業した後の臨床研修現場からであろう。私は米国の卒後の臨床医学現場の近くで医療安全の研究を行っている。その現場における教育から感じるのは、日米の医学教育観には大きな違いがあるのではないかということである。まず米国の卒業後のトレーニングを簡単にまとめてみる。

■米国における卒後の医学教育

 米国において医学部を卒業した学生は医師になるためには国家試験に受からなければならないのは日本と同様である。この国家試験は日本と違い、大雑把に言えば臨床医学と基礎医学の2つのステップに分かれている。この2つの試験に合格した医師は、近年日本で始まったマッチングと同じく、自分で研修先の病院を探すこととなる。

  全米には約8000の研修プログラム(※1)が存在し、それらは様々な専門を網羅している。これらのプログラムは定期的にAccreditation Council for Graduate Medical Education(ACGME)(※2)という機関により、書類だけでなく調査員による調査も定期的に行われている。万が一にもこのACGMEの規定にそぐわない場合にはプログラムの認定は取り消されてしまう。

  このACGMEに認定されたプログラムでの研修を修了した医師は、日本同様、専門医を目指すことが多い。専門医になるためには各専門医を定める委員会に認定されたプログラムに参加・所定の研修を行った後、専門医の試験を受けて合格することにより専門医となることができる。研修プログラム同様これらのプログラム(フェロープログラムと呼ばれる)はそれぞれの専門の委員会により監査が行われている。米国における専門医を定める委員会を統率する団体であるAmerican Board of Medical Specialtiesによれば米国医師の約89%が専門医の資格を持つという。(※3)

 日本においても2年間の卒後研修制度が必須化され、専門医になるためには各学会で決められたトレーニングの後に検定試験を受けるシステムを考えると日本でも大枠でも同様なプログラムを有していると言える。

■日米の臨床教育スタンスの違い

 臨床教育システムが似ているのであればそのスタンスはどうであろうか。医療に対する職人気質や、「学問としての医学」ではない「臨床業務を行ううえで必要な能力の開発」を教育の一環と考えるかどうかなどに違いがありそうである。

  日本の医術という言葉が表すように、医療は技術のひとつとも考えられている。このためか日本での卒後の臨床教育では「技は盗め」といわれる。忙しい臨床現場においてすべてを手取り足取り教えてもらうことは難しい。よって必然的に先輩医師の技を見て盗んで自分のものにしていくことになる。医師を「医術を行う職人」と考えると、これらの「技を盗む」能力は非常に重要であるし、技術を次の世代に送っていく形態としてありうるものである。

 米国の医療現場において医術が職人的な技術を要することは同様であるが、技術を習得する場面においても先輩医師によるスーパーバイズ、指導、メンタリングの重要性が強く認識されており、これらの実践やあり方も人事考課の対象となる。

 また日本では当然できて当たり前とされるような能力も、必要であればトレーニングが実施される。その一例として医療従事者同士のコミュニケーショントレーニングがある。良好なコミュニケーションをとることは医療を行ううえで安全面においても質の面においても重要であると認識されているが、日本において医師はできるのが当たり前とされており、そのためのトレーニングプログラムは存在しない。

  しかし、米国においては研修医に対して、「スーバーバイザーの意見がどうしても納得いかない場合どのようにしてその意を表現していくのか」、「他科の医師との良好なコミュニケーションのとるには」などと具体的な状況に応じたコミュニケーショントレーニングが教育学者や心理学者の監督のもとに行われている。

  もちろん米国の医療現場では、ひとりの患者の治療にかかわってくる医師の数もスタッフの数も日本より多いためコミュニケーションがより重要であることも重要視される理由のひとつかもしれない。このような非常に基本的な事柄であっても時間とコストを投資する姿勢に日米の違いを感じる。

■医師の能力を最大限に活かすためには

 日本では知識としての医学の教育に重きがおかれ、また医療を行う技術の伝達は臨床教育現場での「修行」によってなされることが多いようである。質の高い医療を提供することを目的と考えると、最新の医学知識はもちろん必要であるが、その医療知識を持つ医師の能力を最大限に発揮させることもまた非常に重要である。

 そのためには医学の教育として現在あまり取り上げられていないリーダーシップ、コミュニケーションなどのトレーニングの重要性がより認識される必要があるだろう。これらは学問的な「教育」ではなく、目的を達成するために必要な能力を養う「トレーニング」であるが、これを行うことですでにあるリソースをより有効に利用することでき、提供される医療の質はより高まると考えられる。

 提供される医療とは、医学の側から見ると医学知識の臨床実践かもしれないが、医療を受ける患者側からみれば疾病に対する対策の実行である。この対策の実行をひとつのミッションと認識し、ミッションに対して少ない投資で大きな効果を上げるためにどうしたらよいか考える、いわばリソースマネジメント的発想が日本の臨床医学には少ない。この発想の違いが日米の大きな教育観の違いの根底にあるのかもしれない。

 従来の学問としての医学にこだわらず、このような考え方とその実践を日本の卒業後の医学教育スキームの中に積極的に取り入れることもまた医療の質の向上に資するひとつの鍵ではないだろうか。
※1 ACGMEによって認定されたプログラムはFREIDA Onlineと呼ばれるアメリカ医師会のデータベースより検索することができる。
※2 ACGME: Accreditation Council for Graduate Medical Education 米国における卒後狂句を統率する団体。
※3 American board of Medical Specialties (http://www.abms.org/faq.asp)
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