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「第44回衆議院総選挙の結果にみる『あいまいな政策の終焉』」 土居 丈朗
(掲載日 2005.9.20)
 郵政民営化法案が参議院本会議で否決されたのを契機に、衆議院が解散、総選挙と相成った。フタを開けてみると、自民党は単独で296議席と絶対安定多数を超える議席を獲得しただけでなく、公明党の議席数と合わせて3分の2を超す議席を占有するという歴史的な勝利を記録した。

 衆院解散の経緯や、郵政民営化反対派の前職議員には「刺客」候補を擁立して押さえ込むといった小泉内閣の手法から、中には「郵政民営化だけが重要な政策課題ではない」との批判の声もあるだろう。しかし、この結果を見れば、詳細は別にして、小泉内閣での改革を国民は概ね是認したと解釈して良いだろう。
 
■「業績投票」の結果?

 今回の選挙で、投票者が自らの1票に込めた思いはいろいろだろう。だが、結果から言って、少なくとも現内閣で行なわれた改革は、多くの投票者が是認できる程度の水準には達していたということではないか。政権を担えると思われる政党がほかにないから、現与党に渋々票を入れた、という投票者は少なかったと思われる。

 さらに「民主党は政権に就く器ではない」というような門前払い的な意見を選挙期間中に聞くこともほとんどなかった。これは、有権者が民主党を、自民党に換わる選択肢としてみられる程度に「成長した」と判断したためであろう。そうであるなら、尚更、小泉内閣が推進する改革に落第点をつける投票者が少なかったということになろう。

 政治を分析する経済学として、公共選択論と呼ばれる分野がある。この中に、投票者が候補者の過去の業績を見て投票する「業績投票(retrospective voting)」という行動パターンがある。野球選手の契約更改を例に取って説明しよう。球団は、既に終わった今シーズンにおける成績を見て来シーズンに向けた契約更改をする。過去の業績と来シーズンでの活躍とが概ね比例していると思われているからである。

 これからの活躍に対する期待よりも過去の業績。モノやサービスなら、過去の品質やサービスに対する信頼というところだろうか。その意味で、今回の選挙結果は、「業績投票」の結果と理解して良いのではないだろうか。

 議席の多くが小選挙区制度で選出される現行選挙制度の下では、良しにつけ悪しきにつけ、選挙結果はメリハリの効いた結果となる。今回の選挙で象徴的だったのは、前回の選挙では民主党が多くを制した都市部の選挙区で、与党が席巻したことである。東京では、自民党候補が小選挙区で23人が当選。さらに、重複の候補者が小選挙区で大量当選したため、名簿登載者が不足し、比例区で獲得したはずの議席を社民党に譲る羽目になるという、おまけまでついた。

  そうなると、自民党以外の政党候補者への投票は無駄になったかのようにもみえる。だから、小選挙区制は死票が多くなる悪い制度だとする意見もあるだろう。しかし、各選挙区で相対的に多数をとれば議会の多数を制することができる――だから、劇的な政権交代を起こしやすい――というメリットもある。比例代表選挙や中選挙区制では、死票が少ない代わりに、あいまいな選挙結果に陥ることが多い。その結果、連立政権になりやすく、政策もあいまいになりがちであるという欠点がある。

■「あいまい」政策は中選挙区時代の遺物

 筆者は、経済学の観点から、日本では小選挙区制のほうがより良い政策を実行できる可能性が高いとみている。少なくとも、これだけ小選挙区で圧勝した現与党が、自ら小選挙区制を止めようと言い出す状況にはならないだろう。この小選挙区制度のお蔭で、二大政党制に近い政治環境が醸成されてきつつあるとも言える。

 重要な政策課題である医療制度改革、年金改革、地方分権改革、税制改革、財政再建――。どれをとっても、妥協するなら何もしないほうがマシである。かつてのように「足して2で割る」とか、「お互いの顔を立てて真ん中を取る(それを正当化しようとしてか「真理はお互いの間にある」なる格言?めいた語句まである)」といった妥協や腹芸で決める時代ではなくなったというべきである。最近ある政治家が発言した言葉を借りれば、そうした発想は、もはや「中選挙区時代の遺物」でしかない。

 これからの時代、あいまいな政策は国民のためにならない。また、あいまいな政策を打ち出しても選挙で勝てない。的確かつ趣旨の明瞭な政策を追求できた政党こそが、国民をより豊かにし、選挙で勝つことができると言えるだろう。しかし、単に明瞭で聞き心地が良いだけで的を外した中身のない政策では、全く意味がない。有権者は、各政党が打ち出す政策の中身を注視すべきだろう。

■小選挙区制時代を生きる知恵

 また、小選挙区制時代を生きる知恵として、毎度の選挙が「最終決戦」と思ってはいけない。小選挙区制については、死票が多く出るから国民の意見が十分に反映できないといった批判もあるが、近視眼的過ぎるのではないか。なぜなら、国民の意見を聴く機会はたった1回だけの選挙で終わるわけではないからだ。

 国会議員には任期があるし、落選しても再度、信を問う選挙の機会はやがて訪れる。たった1回の選挙で、これからの将来すべてを決することはない。自分にとって不満のある政策が講じられることもあるかもしれないが、次回の選挙の際に自らの主張と合致する政党が政権をとれば覆すこともできるのである。

 選挙は何度となく巡ってくるものだ。侮っていてはいけないが、たった1回の選挙ですべての雌雄が決すると考えてはいけない。小選挙区制の下では、自分が望む政策を実行してくれる政党・候補者が勝つときもあれば、負けるときもある。国民の多くが、長期的にみて、良い政策を実行してくれたと思えてはじめて、小選挙区制のメリットがあると言えるのである。支持する候補者が負けたときは臥薪嘗胆でも、勝ったときには自らが支持する主張を大いに実行してもらい、思う存分、政策の成果を享受する、というメリハリの利いた政策環境になるのである。

 中選挙区制の下では、自分が望む政策を実行してくれる政党・候補者が勝ったとしても、全ての主張が通るわけではない。多少不満を持ちつつ、妥協してほどほどの政策が実行されるというのが通常であった。しかし、私は、この政策環境が国民にとってハッピーなものであったとは思わない。

 自民党は衆議院で3分の2の議席を有する与党に躍進した。郵政民営化法案は国会に再提出してもものの1ヶ月程度で可決してしまうだろう。問題はその後である。政策の行方から目が離せない状態はまだまだ続きそうだ。
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