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コラム
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「医療の危機」 小林 肇
(掲載日 2005.11.15)
 いまや日本の医療は危機の只中にある。第三次小泉政権が誕生し、郵政民営化問題に方向性が示された今、予想通り医療費の削減問題に矛先が向いている。その削減の仕方がどうあろうとも、従来の診療と同じ体系で診療報酬を請求していれば、おのずと医家は減収になることは想像に難くない。

  医療費を削減したら医療は安全でなくなるという議論がある。しかし、これは原油が高騰し、航空会社の収益性が悪化したからといって飛行機の運航の安全性を保証しないなどということが正当化されないのと同様、医療も医療費を削減されたからといって安全でない医療を提供するわけにはいかないのである。

■医療安全とコスト

 そしてその医療費削減よりもさらに大きな「医療不信」という問題が横たわっている。かつて医療が安全といわれた時代は去り、いまや医療事故はいつどこでも起こり得るし、それらは医療の質の低下の表れと認識され、その結果として医師および日本の医療界への不信感として表れる。

 医療費削減によって医家の経営はよりシビアになるだけでなく、医療を安全にするための改善に投資しなければならない。この結果、ブレイクイーブンポイントを下回ってしまった場合には、撤退するか赤字覚悟で安全な医療を行うしかない。これは医師だけでなく医療に携わるプロフェッションの危機である。

 医療安全対策や教育を今以上に充実させようとすれば費用がかかるのは当然のことである。ハーバード医学部関連病院でまさに推し進められつつあるクリティカルリソースマネジメント(CRM)(※1) のトレーニングにかかる費用は、1日あたり50万から100万円。その間にトレーニングできる人数は多くて12人程度である。

 試験によって知識のチェックをしても、CRMのような即応能力を養成することは出来ない。トレーニングをする側もトレーニングされる側も、時間とコストをかけずには医師の教育を充実させることは出来ないのである。

 医家の収入が減少傾向にある中で、通常の診療などに携わっている時間以外に医療安全対策の立案・実施などに時間を割くためには、医師および医療従事者の労働時間を長くし、結果的に労働単価を下げざるをえないことになる。つまり現在の医療プロセスをそのままにして診療報酬が削減されれば、さらなるトレーニングや対策に時間を作るため、いわゆる業務の早回しをする他に道がないのである。

 しかし、これでは勤労意欲の低下や過度な労働を招き、ひいてはアウトプット低下や安全の低下をもたらす。さらにそのような業界には明るい未来がないことは明白であり、次世代の医療を担う若者には魅力的に映らないであろう。

 ここでわれわれが取らなければならないのは、現在の医療プロセスなどをすべて見直し、医療のミッションである「患者の疾病に対する対策」が最大効率で行われるように現在の医療提供のあり方をミクロ・マクロの両面から改善していくことである。

■医療提供のあり方を最適化するには

 先日のコラムでリスクマネジメントはリソースマネジメントであるということを述べた。しかし、最終的に医療提供のありかたを最適化するためには現在のプロセスや慣習などから離れた抜本的解決策が有効な場合もある。例えば挿管に関するトラブルを考えてみたい。挿管にまつわる事故対策としては手技の見直し、挿管を行う医師スタッフの教育、挿管を行った場合は必ず上席医師による挿管の確認を行う、などがあるであろう。。

 これらに対する抜本的な解決策として、アメリカはボストンにあるハーバード医学部の教育関連病院であるマサチューセッツ総合病院がとった解決策は、ERなどの一部を除き、院内で行われる挿管手技はすべて麻酔科医が行うことにするというものである。日常的に挿管をこなす件数が一番多い麻酔科医が病院内全ての挿管を行うことが一番安全であるのは患者の視点から見てもリーズナブルなものである。

 教育病院としては、他科の医師の挿管トレーニング、挿管を必要としてから麻酔科医師の手配などの問題を解決した結果として、このシステムはスタンダードとして活用されており、この病院と双璧をなす他のハーバード医学部関連病院でも行われているシステムである。

 このような大胆な組織改革の背景には医療安全に対する考え方とその対策の変化がある。米国において医療訴訟が問題となった30年前より、医療事故の原因は人からシステムへ、個別の対策から組織ぐるみの変革へとシフトしてきた。加えてこの10年間にハーバード関連病院全体の医療訴訟費用が10倍以上に伸びたことに加え、1件あたりの費用が増していることも医療訴訟危機を実感し、抜本的な対策の実施を後押ししていることは明らかである。

■危機感をポジティブに利用することが変革への第一歩

 翻って日本を考えると、「病を治す」というプロフェッショナルとしての信頼が低下しきっているということに加え医療費低減策により、改善の力さえ失われようとしている。現在現場で行われているさまざまな問題に対しての対策を実効性と説得力をもって国民に伝えなければ医療への信頼を取り戻すことはできない。そして医療費の低減によりその対策の効率性も同時に求められる。

 いまこそプロセスや慣習を客観的に見つめ、問題の根源をドラスティックに改善しなければならないのではないだろうか。医療においては安全を確保するという理由で保守的な決断が好まれる傾向がある。しかし保守的な決断が最も安全であるとは限らず、それは客観的に全てのオプションを考えた上での決断でなければならない。そしてその第一歩は今までのやり方を批判的に見つめることであり、この第一歩をサポートする最初のステップが危機感を共有することにある。

 現在の日本の医療危機をネガティブに捉え、思考停止に陥ってしまっては変革も何もあったものではない。が、変革が起きる最初のステップはその変革を起こす集団が、危機を本当に認識しその危機感を変革への第一歩とすることだそうだ。

 そういった意味では、現在の診療報酬改訂をはじめとした危機は十分に日本の医療界にインパクトがあり、ここをスタートとして、日本の医療危機を乗り越える大きな変革が生まれてくるのかもしれない。もちろん、道を誤れば、日本の医療は衰退する。医療に従事するものはそのリスクを背負ってでもプロフェッショナルとしての信頼を回復しなければいけない時期に来ているのかもしれない。
(※1)
 Critical Resource Management: 航空業界で行われているCrew Resource Managementの医療版とも言うべきものであり、医療機関で患者が危険な状況に陥った場合にチームで対処を行うためのトレーニングなどを指す。病棟や手術室などを模した施設で行われるチームワーク、コミュニケーション、リーダーシップの養成などを行う。

[参考著書]
 Leading Change: Why Transformation Efforts Fail(J.P. Kotter, Harvard Business Review, 1995)
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