政府・与党の医療制度改革大綱が12月1日に決まった。厚生労働省試案が10月19日に公表されてから、わずか40日後の決着だった。筆者は取材現場を離れて久しく、政策決定過程について論評する資格があるとは思えないが、まだ取材現場にいた前回の2002年度改革を踏まえながら今回の顛末を振り返ってみたい。
■存在感の希薄な医療関係団体
今回の改革は、医療保険財政の建て直しが最優先されたということに尽きよう。75歳以上の後期高齢者を対象にした老人保健制度に代わる高齢者医療制度の創設は、換言すれば老健制度の圧縮・縮小に過ぎない。新制度から除外される前期高齢者(65歳〜74歳)は窓口負担で分割され、70歳以上は現行1割から2割に引き上げられ、65歳以上は3割据え置きとなる。厚労省試案では前期高齢者は2割負担とされたが、小泉首相の裁断で分割方式が決まった。
1997年8月の自民、社民、新党さきがけの3党合意で医療保険制度の抜本改革に向けた重要課題の一つに位置付けられた高齢者医療制度の創設をめぐっては、長らく日本医師会などが主張した「独立型」と健保連などの「突き抜け型」、国保連や地方自治体が求める統合一本化による対立が続いた。それが、2003年3月にまとまった政府・与党の基本方針で後期高齢者をそれぞれの医療保険から切り離して運営する「独立型」が採用された。
しかし、独立型といっても保険者や財源構成の詰めが行われたうえでの決定ではなく、その後も言い出しっぺの日本医師会をはじめ医療関係団体はスキームらしいスキームを提示することなく、今日に至った経緯がある。
健保連は今年7月に「新たな高齢者医療制度の創設を含む医療制度改革に向けての提言」の最終報告書を取りまとめたが、65歳以上の高齢者を対象にした独立型であり、中味を見ても政府の財政優先思想に太刀打ちできるものではなく、公表の時期も遅すぎた感は否めない。日医も何らかの対案を出したようだが、筆者は見ていない(不勉強!)し、一般紙が取り上げたという記憶もない。医療関係団体は最終局面が迫りながら、存在感が極めて希薄だった。
■財務省・経済財政諮問会議ペースで進んだ医療制度改革
02年度改革以降、小泉政権はときに内閣支持率を低下させながらも大きな波乱もなく、首相自身が「構造改革の本丸」と位置付けた郵政民営化関連法案の処理という大きな山場を迎えた。参院本会議での法案否決をきっかけにした衆院解散、そして総選挙は大方の意表をつく決断だったが、首相は賭に勝ち、総裁任期切れまで残り1年を切ったにもかかわらず、大きな政治基盤を手にした。
こうした中で、医療制度改革は財務省・経済財政諮問会議ペースで進んだ印象が強い。マクロ指標と連動した医療費総額管理方式の導入については一歩引いたものの、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の側面支援も得て、着々と高齢者の窓口負担引き上げや入院中の食費・居住費の原則自己負担化、そして診療報酬引き下げの流れをつくった。財務省は同審議会の建議とりまとめに先だって、診療報酬の本体部分を5.3%引き下げる案を示したが、予算編成の1か月以上も前にこうした数字を明らかにし、それをマスコミが大きく報じ、その一方で反論らしい反論が意図的か、そうでないかは別にして掲載されなかったことは異例のことだろう。
厚労省試案公表後も、医療関係団体の存在感はそれまでと同様に希薄だった。以前、このコラムで書いたことがあるが、的確に情報を発信したり運動を繰り広げない限り、マスコミはそれを取り上げない。医療関係団体は戦略的にもミスを犯したと言える。
■族議員の小型化、派閥の衰退
大綱の正式決定後、族議員の力量低下云々を指摘した記事を読んだが、厚生族、いまは厚生労働族というのかもしれないが、医療行政に大きな影響力を発揮できる自民党の国会議員は存在するのだろうか。筆者が旧厚生省を担当していた20年ほど前には、小沢辰男、斎藤邦吉、橋本龍太郎、田中正巳各氏を合わせて「4ボス」と呼び、確か「水曜会」という名称だったと記憶しているが、インナーサークルが存在していた。厚生事務次官が省内人事や予算など重要案件を「水曜会」で説明していたように思う。
しかし、ボス会議は議員の引退などで次第に形骸化した。4ボスの最後の生き残り、橋本元首相も先の衆院選を前に引退した。その衆院選で脚光を浴び、いまでもテレビが追いかけているのは「小泉チルドレン」と言われる新人議員であり、派閥の影響力低下は「総合病院」を自称した旧田中派の流れを組む旧橋本派の現状を見ても明らかだ。族議員は個人の力量もさることながら、派閥という背景があって初めて調整能力を発揮できるのであり、族議員の小型化、派閥の衰退が重なったいま、族議員頼みという戦略ではどうしようもないのではないか。
小泉首相の鶴の一声で、65歳から69歳までの窓口負担が3割に据え置かれたことが、いまの政治状況を如実に物語っている。来春の診療報酬改定も引き下げ幅はともかく、中央社会保険医療協議会(厚労相の諮問機関)をめぐるこれまでの改革の流れや、今回の大綱に医療関係団体が委員を推薦する方式の廃止や診療側、支払い側委員の減員と公益側委員の増員が盛り込まれたことから、財務省主導で淡々と決まるものと思われる。
■行き着く先は「小泉院政」?
医療制度改革が山場を超えたいま、筆者の関心はポスト小泉にある。10月31日に発足した第3次小泉改造内閣は、麻生太郎、谷垣禎一、安倍晋三、竹中平蔵、与謝野馨といった有力とされる後継者を閣内にずらりと取り込んだ。実務型の布陣は、首相が得意とするサプライズ人事とは色合いを大きく異にしたものだった。ライバル同士を競わせながら、首相への忠誠心を値踏みするような意図もうかがえるが、財政再建に向けた取り組みをめぐって、谷垣財務、与謝野経済財政両相と竹中総務相の対立が早くも表面化している。中川秀直・自民党政調会長も竹中氏と足並みをそろえ、今後の政策決定などに少なからぬ影響を与えそうだ。
ただ、ポスト小泉の有力候補といっても、首相という大きな惑星の周囲を回る衛星でしかなく、そうした構図は首相引退後も変わらないと思われる。新総裁・首相は通常、“親離れ”をしていくが、それは派閥という力の源泉があってはじめて出来ることだ。派閥が衰退、形骸化したいま、有力候補にはその部分が欠けており、首相の庇護がないと物事が進まないという状況になりかねない。そうなれば、行き着く先は「小泉院政」になる。田中角栄・元首相は首相退陣後も、派閥をしゃにむに拡大することで影響力を維持したが、小泉首相はポスト小泉候補の首をすげ替えるだけでそれが可能になるかもしれない。党内世論の形成では、「小泉チルドレン」が力を発揮するだろうし、国民世論の形成はお手の物だろう。
首相は党総裁任期切れ後の続投を明確に否定しているが、「小泉構造改革」の成果を確かなものにするためには、もっと時間が欲しいはず。そのために、院政を敷く誘惑があってもおかしくはない。小泉劇場は終幕どころか、まだ序幕なのかもしれない。
|