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「脱線事故の“陰”に」 山内 昌彦
(掲載日 2005.12.13)
 「今、バス事故のニュースが流れたけど、まさかあなたのバスじゃないわよね」。仙台市に住む佐藤結花さん(44)は、1人息子の学さんの携帯電話にメールを送った。テレビ画面には、福島県の磐越自動車道でバスの横転事故が起きたことを伝えるニュース速報が流れていた。

 メールは返ってこない。電話をしてみる。呼び出し音は鳴るが学さんは出ない。「他の乗客の迷惑にならないようマナーモードにしているんだ。寝ていて気づかないだけだわ」。自分に言い聞かせる。「そもそも大阪から仙台に向かうバスが磐越道を通るはずがないんだから」。

■奪われた命

 4月28日午前6時。大阪発、仙台行きの近鉄バスは、福島県の磐越自動車道を時速100キロ近いスピードで走っていた。6時10分、バスが猪苗代町にさしかかったとき、運転手が小物入れの扉を閉めようとして左腕を伸ばした。片手運転。無理な体勢にバランスを崩し、急ハンドルを切った。バスは中央分離帯に激しく衝突。車外に投げ出された学さんの体を横倒しになったバスが押しつぶす。18歳の青年はバスの車体と路面に挟まれたまま、60メートル引きずられた。この事故で、学さんを含む3人が死亡、20人が重軽傷を負った。

 学さんが希望していた同志社大学に入学したのは、バス事故の3週間前。大型連休を利用して初めての里帰りの途中だった。遺品となった腕時計には深い亀裂が入り、金属のベルトも切れていた。母親の結花さんは腕時計をさすりながら言った。「本当に代わってあげたかった。でも出来ないんですよね。母親なら子どものために何でもしてあげられると思っていたんですけど、命だけは無理でしたね・・・」。

■大きく報じられなかった事故

 しかし、バス事故が大きく報じられることはなかった。その3日前、JR福知山線で脱線事故が起きていたからだ。つぶれた車両の中ではまだ捜索が行われ、犠牲者の数は増え続けていた。

 JR西日本の安全管理に多くの問題があることが明らかになった。責任の所在と新たな対策を求める声が大きなうねりとなっていった。

 脱線事故から3か月後の7月25日、同志社大学で追悼式が行われた。脱線事故で亡くなった学生・卒業生4人と、学くんの合同追悼式だった。壇上の学くんの写真を見て、初めてバス事故を知った参列者も多かった。

■バス会社との交渉

 「バス事故を風化させ、学の死を無駄にしたくない」。8月、結花さんは、他の遺族とともに近鉄バスに質問状を送った。会社側の対応は担当者によってバラバラで不信感が募っていたからだ。

 事故の原因を運転手個人に押し付けてはいないか。安全管理は十分だったのか。再発防止に向け、どんな対策をとったのか。文書による回答を求めたが今も返事はない。「脱線事故の陰に隠れてしまったことが悲しいんじゃないんです。人の命を預かるバス会社がこれだけの事故を起こしておきながら、責任や再発防止策がうやむやになってしまったことが悲しいんです」。結花さんは、今後も近鉄バスと交渉を続けていこうと心に決めている。

■公共交通の事故調査

 航空機や鉄道で事故が起きた場合、「航空・鉄道事故調査委員会」が調査に乗り出す。原因を究明すると、国土交通大臣や関係機関に再発防止策を提言することになっている。

 これに対しバス事故は、一般の交通事故と同じように警察の扱いになる。その結果、運転手が罪に問われただけで終わってしまい、組織の問題点や再発防止策まで踏み込めないケースがほとんどだ。ここ数年、バスをめぐる事故やトラブルは全国で相次いでいる。酒気帯び運転や高速道路の逆走。にもかかわらず、「事故から学ぶ」という姿勢が抜け落ちているように思う。

 報道機関にも反省点がある。果たして何人の取材者が、事故の再発防止につながる視点を持ち合わせていたのか。23人もの死傷者を出したバス事故は、仮に脱線事故がなかったとしたらかなり大きなニュースになっていたはずだ。だとしたら、発生当初はともかく、ある程度時間がたった段階では、もっと違う報道の仕方があったのではないか。

■大惨事の“陰”に潜むもの

 医療事故の調査や報道も極めてよく似ている。表層に現れた事故にばかり目を奪われると本質を見失う。事故の背後にある組織や制度・システムの欠陥、人事や派閥の締め付け、個々人の鬱屈した思い、さらに関連産業や研究機関との連携不足。公共交通や医療のように人の命を預かる分野の事故防止には、こうした問題をひとつひとつ解決していくことが求められる。

 脱線事故の“陰”に隠れているのは、バスの横転事故だけではない。
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