「格差社会」をめぐる論議がかまびすしい。通常国会では、野党のみならず与党内からも、今年9月で自民党総裁任期切れとなる小泉首相が推進してきた「構造改革」が格差拡大を招いたとの批判が出されている。
首相の答弁は明快だ。「言われているほどの格差はない」、あるいは「格差が出るのは別に悪いこととは思わない」。また、流行語でもある〈勝ち組・負け組〉に関しては、「勝ち組はいずれ負け組になるかもしれないし、負け組もまたチャンスがあれば勝ち組になるかもしれない」と批判を突っぱねた。
■自己責任だけで決まらない「勝ち・負け」
最近、勝ち負けを体現した人物と言えば、証券取引法違反容疑(偽計、風説の流布)で逮捕、起訴されたインターネット関連企業「ライブドア」前社長、堀江貴文容疑者(33)に尽きるだろう。勝ち組から一転して負け組に転落した足跡を見ると、企業人としてのモラルのあり方が問われたという意味で多くの教訓をもたらした。そして、堀江容疑者が再び勝ち組になるチャンスは、めぐってこないと思われる。
いまトリノ五輪では連日、熱戦が繰り広げられている。トップアスリートの戦いは、テレビ、新聞では伝えきれない運・不運といった要素がからむにしても、結局は技量の差が明暗を分ける。「運も実力のうち」は実力本位、その根底にある自己責任の重さを含んだ言葉であり、スポーツは勝者にしても敗者にしてもある種のすがすがしさが漂う。
堀江容疑者の転落は自己責任の結果だが、世の中を見ると、自己責任とは言い切れない部分で勝ち負けが決まる場合も少なくない。さらに、いったん負け組になると、それが既成事実化してしまい、そこからはい上がるチャンスが皆無とは言えないまでも、なかなかめぐってこないことは往々にしてある。小泉首相の答弁は建前論が強すぎる印象が否めない。
例えば、1990年代はじめに一部の大企業が導入し、いまでは中小企業まで広がりつつあるとされる「成績・成果主義」に基づく人事考課制度は、さまざまな問題を抱えている。その一つが、評価が固定化しがちになる弊害が見られる点だ。営業や事業部門は確かに成績・成果という「ものさし」を当てはめることができるが、総務・経理といった管理部門では成果をそもそも数値化するのが難しい。しかし、人事考課は全社一律で適用されるから、上司はよくわからないながらもマニュアルと首っ引きで部下を査定する。よほど優秀か、その逆の場合は評価しやすいが、中間層の評価は極めてやりにくい。それでも評価は点数化され、ランク付けが行われる。そこには上司の好き嫌いといった要素が入り込む余地も生まれる。
問題はその先だ。上司が異動で交代しても、人事考課制度の評価基準やルールが確立されていないと、新任の上司は前任者の評価を参考にしてしまう。安易と言えば安易だが、その方が安心できるからだ。そうなると、勝ち負けのスパイラルが続くことになる。成果が数値化しにくい職場では、こうした傾向が強まっている印象が否めない。
■格差論議より少子化対策を
最初に同じスタートラインに立って、勝ち負けが決まるならまだ納得感が担保されるかもしれない。しかし、その一方で「負け組」からのスタートを余儀なくされる現実もあるのではないか。親の所得によって子どもの教育レベルが規定されがちになるのもその一例だろう。社会全体が高度化・専門化する中で、4年制の大学教育を受けただけでは企業の即戦力になりにくい現実がある。大企業ほどこうした傾向が強い。
心ある親は大学院まで進学させたいと考えるだろうが、そのためにはかなりの資力が必要だ。有名校や伝統校ともなれば、幼少時から激烈な受験戦争を勝ち抜かなければならず、教育費負担はさらに重くなる。
昨今、企業は人件費を抑制するため、正社員ではなく派遣社員やアルバイトなど非正規社員を多く抱え込むようになっている。派遣社員は会社に縛られずにキャリアアップを図る新しい働き方だ、と存在意義を協調する見方もあるが、労働者派遣法で規定された専門26業種といっても本当の意味で専門能力を発揮できるのは「通訳」などごくわずかに限られている。「ファイリング」「事務用機器操作」といった業種は、言葉は悪いがお茶くみやコピー取り、郵便物の仕分けといった雑務係として働いているケースも少なくない。
筆者は建前と現実が大きく異なっている印象を持たざるを得ない。正社員と非正規社員に分かれる要員はいろいろあるだろうが、いわゆる学歴のその一つ。学歴の違いで職業や就職先が限定されれば、最初から「負け組」意識を持ってもおかしくない。
子どもを産まない理由の一つに「教育(費)が大変」があるという。その根っこは相当深い。理工系学部に入学した筆者の同級生も、多くは大学院の修士課程に進んだ記憶がある。30年近く前のことである。いまでは、その先の博士課程に進むケースも少なくないのかもしれない。
所得格差の程度を示すジニ係数が上昇しているという。小泉構造改革がそれに影響を与えた面もあるかもしれないが、合計特殊出生率の予想外の低下から「1・57ショック」という言葉が生まれて以降、政府は有効な少子化対策を構築できないままだ。因果関係がはっきりしない小泉構造改革と格差拡大を結びつける議論よりも、少子化をめぐる掘り下げた論議が急務ではないか。
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