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コラム
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「また反省なし」 浜風
(掲載日 2006.02.28)
 公務員は「反省」という言葉を知らない。バブルの時も、その崩壊の時も、金融危機さえも、公文書に「社会経済状況の激変によって…」と責任を回避し、まるで天災扱いだった。

 あれほど整備を急がせた療養病床の23万床削減も本質は同じ。朝令暮改の医療行政に対する医療機関経営者の怒りや嘆きは理解できるが、悲惨なのは入院患者と家族だろう。「どこへ行けば良いのか」。そんな声を、誰が受け止めるのか。

■将来がない・・・

 「療養病床の将来像について」――。厚生労働省が中央社会保険医療協議会(中医協)などで配布した資料のタイトルだ。ゆくゆくは全廃する腹づもりなのに、タイトルからして、既に「将来像」は欺まんそのもの。

  中身は?と言えば、のっけから、ドイツやフランスなど他の主要先進国との国際比較だ。日本は病床数が多く、平均在院日数が長い、という厚労省お得意のデータで先制攻撃。日本の平均在院日数は36.4日(療養病床は172.3日)で、フランス、ドイツ、英国、米国を大きく引き離き、最長。だから「医療費の適正化」の観点から、「療養病床の再編などが急務」と引っ張る。

 この論理は(いつものことだが)、データが精緻なもので、各国比較が平等に行われていることが前提だ。ところが、日本の平均在院日数には療養病床や一般病床以外の病床が混在。しかも国によって平均在院日数のカウントの仕方が異なることを無視している。「だいたい当たっているとみても良い」(厚労省保険局)では済まされない。都合の良いデータだけをかき集め、我田引水の論理を組み立てるやり方は、宿敵(?)の財務省や経済財政諮問会議にそっくり。

■勘繰れば・・・

  おかしいのは、「療養病床の入院患者の約半数が入院治療の必要性が低い」とする厚労省の結論だ。医療経済研究機構の「療養病床における医療提供体制に関する調査」(2004年)と、中医協「慢性期入院医療実態調査」(2005年)の2つのデータを使って結論付けたと言う。

  前者のデータでは、介護型・入院患者の28%が「容体急変の可能性は低く、福祉施設や住宅によって対応可能」で、35%は「容体急変の可能性は低いが、一定の医学的管理を要する」という(医療型も同様のデータ)。

 後者のデータは、介護型・入院患者の50%が「医師による直接医療提供の必要性はほとんどない」となっている。勘繰りだが、厚労省の論理は後者の50%を取り込んでつくったようだ。

  そこで後者の調査に応じた病院(神奈川県内)に問い合わせたところ、担当医は「医療機関が医師の直接医療がほとんどいらなくなった患者を入院させておくこと自体が犯罪的。それが半数もいるとは、信じられない」と驚きの声を挙げる。データは正確なのか?

■どこに行けば…

 万事がこの調子。介護保険が適用される3施設を比較し、療養病床の入院コストが高いことを、ことさら強調し、コストがより低い老人保健施設や特別養護老人ホームへの患者移動を促す。さらにケアハウスや有料老人ホーム、グループホームなどの地域密着型サービスまで、しっかりPR。まるで「療養病床から退院しても、受け皿がたくさん用意されているから」と言わんばかりである。

 そんなに受け皿があるのであれば、舌をかみそうな「経過型介護療養型医療施設」を新設する理由は何だ?医師や看護職員を減らし、介護職員を少し増し、コストカットできれば、立派な「介護施設」になるらしい。医療の質を犠牲にした「安上がり施設」としか映らない。

 そもそも「社会的入院」という言葉が気に入らない。医療・介護行政の貧困やゆがみが、自宅に帰れない虚弱な患者を大勢発生させたのであって、その責任を医療機関や患者・家族に転嫁するのは、お門違い。

 公務員は自らの失敗を社会や経済の動向にすり替えるのが実に上手い。半面、言葉の真意・真相を考えず、公務員の言うがままに「社会的入院」という言葉を乱用するマスコミのレベルは、先進国の中でも際だって低いと言わざるを得ない。
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