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コラム
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「問われる医師のリーダーシップ」 小林 肇
(掲載日 2006.04.04)
 先日産婦人科医が業務上過失致死と医療法21条違反で逮捕される事件があったのは皆さんもご存知のことだと思う。産婦人科医であれば今回の事件のようなケースは決して他人事ではなく、自分の身に降りかかったらと考えると臨床に集中できなくなる方もいるのではないだろうか。この事件はつまるところ、臨床的に非常にまれなケースであってもそのアウトカムが悪ければ警察に逮捕される可能性が常に存在するということである。

 この事件の背景には産婦人科医や病院の人員不足などの様々なシステム的な問題点が存在することが指摘されているが、現在の低医療費政策下においては、それらが解決されるどころか、より悪化することのほうが現実的である。いまや医師が日々の臨床を行っている土台は医療訴訟や刑事事件などのひび割れが足元に及び、いつ崩れてもおかしくない非常に脆い物だといえる。

■医学の進歩がもたらしたもの、もたらさなかったもの

 日々の医学研究の成果は臨床に還元され、日本の医療レベルは皆保険制度ができた当時とは比べ物のならないほど高い水準に達した。これに加え、患者が医療機関に容易にアクセスできる環境が皆保険制度の下で整備されたことで、日本の医療は少ない医療費で周産期死亡率など様々な指標で海外のデーターと比較しても非常に優秀な成果を出してきた。

 これらの結果を出している医療現場では、一人医局長や慢性の看護士不足などに代表されるリソースが極めて少ないぎりぎりの状況の中で、様々なリスクと背中合わせに働く医療者の姿がある。これらの医療現場の労働環境の問題、医療をめぐる法律的問題点の解決や、経営的視点を持った医療機関の運営、国民のニーズの変化への対応、さらには日本の医療のあり方などについては医学同様の長足の進歩を遂げているとは言い難い。今回の事件は現在の医療に関わる臨床的、法的、社会的リスクのコントロールが整備されていない結果として現れてきた氷山の一角である。

■医学以外の分野とのコラボレーションの必要性

 日本の医学教育制度は昨今になり学士入学を奨励し始め、新しい臨床研修制度の導入では出身大学を超えた医師の人材交流が強まりつつある。しかし、卒後の臨床研修を終えた医師の将来の選択肢は、臨床・研究・教育の中からひとつないし複数をとる傾向がまだまだ強い。これには従来の医師像や医療界のヒエラルキー及び同質を好む傾向が影響しているともいえる。しかし上記に示したような問題を解決する第一歩は、政治・社会・経済などの異分野と密接なコミュニケーションをとることである。

 これは容易なことではなく、分野が違えば同じ日本で動く社会であっても全く異なる常識、異なる専門用語が使われており、それらの分野との深く交流するためにはその双方の分野の経験が必要となる。このためには医学だけでなくそれぞれの専門分野のエキスパートとして活躍する人材が不可欠だ。臨床を離れ他分野で活躍する医師は医師ではないとする向きもある。しかし臨床の現場を知りながら他分野のエキスパートの能力を身に着けることは容易なことではなく、多くの場合臨床から一時遠ざかる必要もあるだろう。しかしそれでも医師なのである。

 医学単体では解決のできない医療にまつわる問題は山積している。日本の法律の解釈運用に精通し、今後起こり得る司法と臨床医療の摩擦を回避するためには、臨床医療の経験だけでなく法律や政治的な能力も要求される。現在の医療事故クライシスを乗り切るだけでなく、日本の医療を衰退させることなく競争力を高めていくには、臨床医の経験を持ちながら他業界の品質改善、組織改革に精通・実行経験のある人材が不可欠である。

 より高度な能力が要求される医療を安全に確実に行うことのできる臨床医を育てるためには従来の講義形式の授業だけでなく、教育心理学的視点を持ちながら学生も研修医も指導できるような教育者がいなくては将来の医師は育たない。これらは医学以外の分野と協力して解決していかなければならない医療問題のほんの一例である。医療と他分野の橋渡しができる人材は今後さらにその重要性を増すことは間違いない。

 米国を例にとってみると、航空機などの中での医療活動の免責などを定めたよきサマリア人法の制定、すでに20年前のものでNewではないが「New Pathway」と呼ばれる従来の講義形式を一新した医学教育方法、統合医療ネットワークなど、医学・医療と他分野が協力することでしか成しえない成果は多数ある。

 統合医療ネットワークの病院の買収や統合は市場経済で動く米国であれば当たり前であり、医療をビジネスと考える米国の象徴とする向きも日本にはあるが、例えば複数の大学病院と派遣病院が経営統合するということそのものを考えてほしい。実際スタンフォード大学付属病院とカリフォルニア大学サンフランシスコ校の医学部付属病院およびその関連病院は1997年に経営統合している。 このような巨大組織、しかも組織文化の違う私立大学と州立大学の経営統合は熟練したM&A専門家などの経営陣だけでも、また医療者だけでも成し遂げること不可能であり、各々の分野の専門家とその間を埋める橋渡しを勤める医療と他分野の複数の経験を持つ人材が不在であれば経営統合は成し遂げられなかったことは誰の目にも明らかである。

■まとめ

 「医療」を語る上でのステークホルダーは多い。しかし日々の診療に責任を持つのは医師であり、プロフェッショナルとして日本の医療の行く末を他のステークホルダーに任せるわけには行かないのである。医療は人を幸せにするものであり、不幸にするものではない。医療は国を豊かにするものであり滅ぼすものではない。他業種と交流を持つことのできる人材を活用し、医師はより強いリーダーシップをもって日本の医療システムを支え、改善していかなければならないのである。

 医師法総則第1章第1条「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」この条文の意味を臨床医療行為以外の側面、すなわちどのようにして今後の医療を提供するのかという観点から再考し対策を行わなければならない時期が来ているのではないか。
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