先見創意の会 (株)日本医療総合研究所 経営相談
MENU
 
コラム
今週のテーマ
「プロのあるべき姿とは―その技と倫理を考える」 浜田 秀夫
(掲載日 2006.09.12)
 最近、プロたちの仕事ぶりがお粗末なための事件や事故が相次いでいる。それらがどうにも気になる。報道によれば、福祉の介護士が暴言を吐いた。クレーン船が電線を切断した。ガス湯沸かし器で何人もの購入者が死んで、しかも隠していた……。プロの力量が衰えている。そう感じる。では、プロはどうあるべきか。

 こんなことを考えるのは、自分がプロの職を離れたせいで、現役の皆さんの仕事ぶりが目に付くせいだと思う。自分の力量は十分だったか、それを振り返ると内心忸怩たるものはある。だからこそ反省も込めて言いたい。プロの力量とは、技と倫理を高めることだと思う。「倫理」などというのも少し恥ずかしい。しかし、大事だと今こそ思うので、しばらく、おつき合い願いたい。

■プロの「本質」とは

 もともとプロとは専門職の意味だから、代表例はおそらく人類最古の専門職である医師であろう。ただ、最近は、技術職も専門職に含めていいようである。高度技術に依存する現代社会は、技術者たちの技術を一般国民が信頼することで成り立つ。

 たとえばわれわれはふつうエレベーターの構造は知らないで乗る。挟まれて死ぬとは想定しない。逆に技術者たちの側は、国民の信頼にこたえるべく、安全に最善を尽くす必要がある。そのプロの「力」が衰えているのが、昨今の事件である。

 プロの力量を考えるうえで象徴的だと思うことがある。民放テレビの朝の番組で、新聞記事を読み上げるのにトチってばかりいる女性アナウンサーが最近まで出ていた。何度つかえてもあっけらかんと笑っているように見えた。当方は、彼女の姿を見て、仮説を立てた。アナウンサーという職業の本質を理解していないのだ、と。

 ニュースを正確に聞き取りやすく読んで視聴者(国民)に伝える。それが職業の本質であるはずなのに、何かタレントのように単に元気で明るければいいんだと錯覚しているのだと考えると説明が付く。彼女を採用する側も見抜けなかった。というか、そういう人材を採るようになったのかもしれない。

 この職業の持つ「本質」がプロの力量の言い換えでもあると思う。まずプロは当然ながら技が必要だ。その内容は、基本動作とプラスアルファであろう。平凡なプロと一流プロを分けるのは、基本動作がしっかりしているか、加えて固定観念を破る飛躍した発想やプレーができるかだ。たとえば将棋の羽生善治の「マジック」などだ。

 そして、人が見ていないところで技の鍛錬を怠らないことが大事だと思う。ストイックな営みが技ばかりか人間性を高めるのは想像しやすい。すると結果もついてきて社会的評価が高まる。社会がつまり他人が喜んでくれる。それと同時に、その職業がもつ社会目的が明確に意識される。

 どの職種にも必ず社会目的がある。タクシーの運転手の場合、客を安全にすばやく目的地に運ぶことである。道路など地理に詳しく、渋滞を鮮やかに抜けると客は喜ぶ。運転手側が、客の喜ぶ姿を見て頑張ろうと思うようになれば理想である。他人に対する思いやりが出てくる。それが「倫理」だと思う。技と倫理が互いに支え合うのがあるべき姿だろう。

 このようにプロの力量を、技と倫理と考えると、昨今の不祥事はこの原則というか基準を満たしていない。特別養護老人ホームの介護職員は、技を発揮するどころか、見えない密室で精神的虐待をした疑いがある。人生の最後を安心して暮らしたいという高齢者を手助けするという社会目的も果たしていない。

■不祥事の原因

 報道に基づく感想ばかりでは、当方も「技」がない。そこで、せめてどんなホームなのか外観だけでも見てこようと思い、東京の西部にある同所へ行ってきた。詳細は省く。建物の前にガードマンが立ち、「許可なく立ち入り禁止」の張り紙がある。

 これを見て、つまらない対応だと思った。ピリピリしているのはわかる。しかし、不祥事をバネにして、思い切って全面公開で何でも見てくださいとでもやれないか。危機管理の平凡さから、この社会福祉法人の経営者は一流とは言えないと見た。

 反対に、プロの力量の高さを見せてくれた事例もある。日本経済新聞の昭和天皇発言のメモである。議論が大きすぎるので、技だけにとどめておく。少なくとも言えるのは、記者が取材先との、しかもその遺族とも、信頼関係を長い時間をかけて築いたことである。その技に敬意を表したい。

 話をダメな例に戻す。一連の不祥事の原因は何か。福祉の現場では介護職員の報酬が低く、定員も足りないので余裕がないとされる。企業の不祥事でも、業績悪化で利益優先・倫理無視となる傾向があるのかもしれない。貧すれば鈍す、である。

 そうした側面は否定しない。しかし、待遇がよい職場でも倫理欠如は見られる。日銀総裁の開き直りは、およそ通貨の番人のトップとは、当方には、思えない。この組織内ではおそらく善悪の問題を職員が口に出せない空気が強いのだろう。ほとんどの人間が保身や既得権を考えてしまうからだ。

 原因が何であれ、こうした不祥事に共通するのは、時間をかけて「悪事」が常態化したことではないか。最初に倫理欠如の問題を起こしても「これぐらいの違反はたまにはある」と放置する。そうこうするうちに「これまでばれなかった」などと言い訳しながら、腐敗が進行する。

■倫理とプロ意識

 こうした体質は時間をかけて出来上がったのだから、一挙に解決するのは難しいだろう。しかし、ある日、突然、破局を迎える可能性はある。一般に、悪事は長続きしないからだ。しかし、多くのプロは他人事だと思うのだろう。自分だけは大丈夫だと。しかし、事件は起きる。その繰り返しがしばらくは続くのだと思う。

 最近、出版された米本昌平さんの『バイオポリティクス』(中公新書)を読むと、米国の製薬メーカーは自分たちのビジネスを正当化するために倫理学者を動員するのだという。したたかなものである。なんだか倫理まで効率優先のようでやりすぎの感もある。

 ただ、その製薬メーカーの視線は世論つまり消費者(国民)に向けられているのは間違いない。最古の専門職である医師は今も将来も常に倫理の問題から離れられないのは、患者(国民)と向き合うからだ。技術職やその他プロも自分の保身や組織維持でなく国民のことを第一に考えるようになるのが理想である。

 厳しいビジネス競争を勝ち抜くためには倫理を重視することが必要条件であると、だれもが意識するようにならないものか。それがプロのあるべき姿だと思うのではある……。
javascriptの使用をonにしてリロードしてください。
コラムニスト一覧
(C)2005-2006 shin-senken-soui no kai all rights reserved.