先見創意の会 (株)日本医療総合研究所 経営相談
MENU
 
コラム
今週のテーマ
「思春期と軽度発達障害」 河原 ノリエ
(掲載日 2007.02.27)
 昔から、地域には『あそこの家の子、ちょっとした変わり者だよね』といわれる若者はたくさんいた。しかし、最近の地域の人間関係の薄い中で、家庭内暴力、引きこもりと問題が先鋭化しやすく、ある種の発達障害をもった子の家族が孤立していることが多いといわれる。東京都発達障害者支援センターでも、17年度の相談件数のうち、16歳以上の軽度発達障害を持つ人の197人中93人が「在宅」で、家族以外との接触のない状態だという。

 小・中学校と通常学級で過ごしながらも、高校や大学でドロップアウトして、就職できなかったり、離職を繰り返している人が多いのだという。進学や就労に対して世間体だとか、あらなければならない姿への固執がある場合は、特に家族自身も精神的に追い込まれている可能性がある。

 「発達障害を抱えた子が自立して巣立っていくために、高校時代の適切な配慮が重要なのですが、日本の高校での理解は殆ど進んでいません」と、ある高校教師は言う。この教師は四人に一人が中途退学をする、いわゆる「底辺校」で、LD(学習障害)、ADHD(注意欠如・多動性障害)など軽度発達障害をもつ生徒の支援に携わってきた。

 昨年六月の学校教育法の改正で、四月から盲・聾・養護学校、通級指導児童生徒が対象の特殊教育と、普通学級に通う軽度発達障害の子も加えた特別支援教育という枠組みで動いていくことになる。

 文部科学省は全国の小・中学校に、発達障害の子の支援のための特別支援コーディネーターの配置や校内委員会の設置などを進めており、高校での連携も図られるとされている。しかし現実は高校においては、殆ど対応が進んでいない。

 もともと小・中学校には、各学校に特殊教育担当の教師が配置されていることが多く、発達障害者支援法以降、異例のスピードで進む体制整備に、予算も人手がないままでも、形の上だけでも対応ができていた。もちろん、軽度発達障害は、従来の特殊教育でカバーしきれるものではないが、高校にいたっては、発達に遅れのある子供は養護学校に入学するため、特殊教育の人員が殆ど存在していない。だから、対応できるのは保健室の養護教諭だけという学校も多い。

 しかも小・中学校と比べ、高校教師は独立性が強く、管理職側から発達障害への理解を求めても、「ただの甘やかしだ」という考えも未だに一部に根強く、足並みが揃わないのが現状だ。また、中学校までの行動の特徴や指導記録など支援にとって命綱ともいえる情報など、高校進学時に、本人や親の申し出がない限り、受験に不利になるとの判断から、内申書に発達障害についてかかれるケースは殆どない。生徒が触法行為を犯してしまってから、発達障害をもっていたことに、初めて担任が気がついたということはよく聞く話だ。

 それでも、いわゆる「底辺校」といわれる学校においては、ゲタを掃かせても、なんとか卒業させねばという現場教師の至上課題がある。特別支援教育が注目を集める前から、「この子は、手助けの必要な子ではないのか」という気づきがあるという。

 前出の教師はこう呟いた。「たぶん進学校などにも、ADHDやアスペルガー症候群などの困難を抱えた生徒がかなりいると思いますが、現場教師は、気づいているのでしょうか?」

 高校現場の認識がもう少し高まれば、微妙な時期に救われる子は必ずいる。

 発達障害は困難がみえづらく、高学歴な子のほうが周囲から理解が得にくいため困難さの度合いが強い。大学などの学生相談機関においても、うつ病として取り扱っているケースのかなりの割合のケースに、基礎障害としてこの問題があることをわれわれは気づくかねばならないのではないだろうか。思春期の発達障害の特性への理解の眼差しを社会全体でもつことが、彼らが、もがきながらも、自分の足で立って歩いていける一助になるはずだ。
javascriptの使用をonにしてリロードしてください。
コラムニスト一覧
(C)2005-2006 shin-senken-soui no kai all rights reserved.