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コラム
今週のテーマ
「第ニ話「母の想い」連載小説(小説『年金の不都合な真実』)」 杉山 濫太郎
(掲載日 2007.05.15)
<舞台> アジアのとある国
<設定> 大きな内戦が終わってから60年がたった。その内戦は民族対立に端を発し、10年にわたった。疲れ果てた国民は難民として周辺国に流れ出し、周辺国の治安悪化が進んだ。対立していた国民は、強い外圧を受けてようやく和解したのだった。もともと勤勉な国民で、交通の要衝にも位置していたため、戦後60年でその国は急速な発展を遂げた。その一方で、国民の間に新たな火種ができている。それは「年金問題」だった。
<主な登場人物>
 ○東都大学准教授・・・西山勘助(にしやま・かんすけ)
 ○保険勤労省年金局企画課課長補佐・・・斎藤誠太郎(さいとう・せいたろう)
 ○夕刊紙「毎夕新聞」の記者・・・島谷涼風(しまたに・すずか)
 ○保勤省年金局数理調査課・・・三森数馬(みつもり・かずま)
 ○年金問題に執念を燃やす政治家・・・西郷竜一郎(さいごう・りゅういちろう)
 ○与党 民自党党首・・・川上一太(かわかみ・いった)
※ 日本人に読まれることを想定しているため、日本的な名前にしているが、他意はない。
<< 第一話 「若き年金官僚の死」
<前回までのあらすじ>
 保険勤労省年金局数理調査課の若き官僚、三森数馬が自殺した。それを知った東都大学西山勘助・准教授は教え子の毎夕新聞、島谷涼風に驚きを伝え、涼風はそれを記事にした。

 「西山先生にご相談したいことがあります。お取り次ぎいただけないでしょうか」

 「西山先生ではわかりませんね。ここは毎夕新聞編集部ですよ」

 毎夕新聞編集局に電話がかかったのは5月17日の午前10時だった。ちょうど、夕刊を出す作業が本格的になり始めた時間だ。電話をとった記者、山下達哉の声からは緊張感が伝わってきた。

 つっけんどんな応対に、三森洋子は受話器を置きたい気持ちをこらえて話を続けた。

 「お忙しいところ申し訳ありません。きのうの毎夕新聞を見て電話をしています。自殺したと伝えられている保勤省の三森数馬の母です。新聞に載っていた東都大学の西山勘助先生にお話ししたいことがあるのです」

 「それは失礼しました。すぐに担当記者に代わります」

 そう言って、山下は原稿を書いているパソコンに向かいながら、肩にはさんでいた受話器を持ち直し、話口を押さえて涼風を呼んだ。

 「島谷。電話だぞ。保勤省の三森のおふくろさんだ。少し離れたところで電話を取れ」

 「あ、はい。すぐに出ます」

 涼風は編集局のはずれにある机に走った。編集作業が進む編集局は建設現場のようなものだ。取材先を電話でせかす声や、いらだったデスクの怒鳴り声が響くこともある。そんな中で話をするとつい、声が大きくなる。三森の母に対する山下の配慮はさすがに10年のキャリアを感じさせる。

 「もしもし、島谷といいます」

 「初めまして。三森洋子といいます。昨日の息子の記事を読んで電話をしています。西山先生にお話をしたいことがあって電話したのですが、取り次いでいただくことができますか」

 「喜んでそのようにいたします。ただ、このようなお電話をいただいて、こんなことを聞くのも失礼ですが、どうして直接、東都大にご連絡をしなかったのですか」

 「それは、きのうのような記事を書いた記者の方にもお話を聞いてほしかったからです。私は数馬の死がどうしても納得できません。ご迷惑でしょうけど、ご都合をつけていただけないでしょうか」

 「私も同席してもいいんですね。ありがとうございます。ご迷惑はおかけしませんので、よろしくお願いします」

 涼風は、すぐに西山勘助に連絡を取り、翌日の午後一番の約束を取り付けた。

 鈴風から連絡を受けた三森洋子は対応の早さに安心しながら、手元に置いていた数馬のノートに目を落とした。それは数馬がつけていた日記だった。最後となった5月14日には「もういやだ」とだけ大きく書いてあるが、それまでは、細かく、日々のできごとがつづってある。

 15日の未明にやってきた警察官が参考資料にすると言って持ち帰ったが、16日の午後には洋子のもとに帰ってきた。警察はコピーをとったという。16日は通夜だったため、弔問客が帰った深夜から読み始めた洋子は、涙が止まらなかった。夫と2人で何度も読み返して朝を迎えた。

 朝になって、弔問客の一人が持ってきた毎夕新聞の数馬に関する記事を読んた。読み終えて、すぐに、題字の下にある電話番号に電話をかけたくなったのだ。

 翌日、涼風は三森洋子と東都大学の最寄り駅の改札口で待ち合わせて大学に向かった。歩くと15分かかったが、簡単にあいさつをしたあと、2人はほとんど口をきかなかった。涼風はそれを特に苦痛には感じなかった。洋子は見るからに憔悴している。こんな時に話したいことはどんなことなのか――。いろいろ想像を巡らせながら歩くと、あっという間に大学についた。

 西山勘助は研究室で待っていた。涼風にとっては通い慣れた場所だ。散らかった机の上を見ると、つい、皮肉の一つも言いたくなる。それをこらえてかしこまってあいさつをした。

 「きょうはお時間をいただき、ありがとうございます。こちらが保勤省年金局の三森数馬さんのお母様です。きょうは、私も同席させていただけることになっていますので、よろしくお願いします」

 「三森洋子といいます。お忙しいところ、さっそくお時間をいただき恐縮です」

 「西山勘助です。わざわざ不便なところまでお越しいただき、ありがとうございます。どうぞ、お座りください。島谷さんは、私の教え子なんです。どうぞ、お気軽になさってください」

 「実はそうなんですよ。先生、私、お茶入れますね。三森さん、きょうお聞きすることは、お許しがないことは記事にしません。遠慮無く、先生とお話しください。私は助手ぐらいに思ってくださるといいんですけど」

 「なんだよ、助手とは出世したな。ま、いいだろう。じゃあ、さっそくお茶を入れてくれたまえ」

 「いまどき、お茶を入れる助手なんていないと思いますけどね」

 笑顔で応えた涼風は、さっそく冷蔵庫からペットボトルのお茶を出し、紙コップを3つ持って机に戻った。

 そんな2人の会話を聞いてか、三森洋子は少し落ち着いた様子になって、机の上にノートを取り出した。

 「これは、数馬のノートです。このページを開いて机の上に置いてありました」

 「もういやだ」。サインペンの太くて黒いなぐり書きがあるページが開かれている。A4版の分厚い大学ノートだが、残りはわずかになっている。

 「なるほど、遺書のようなものというのは、これのことだったんですね。もう、ずいぶん使ったものですね」

 勘助が話すと、洋子はノートを勘助の前に押し出した。

 「どうぞ、読んでください。私たち夫婦はこれを読んで涙が止まりませんでした。いまも、泣き出したい気持ちです。数馬が日記としてつけていたようです。難しいこともたくさん書いてあって、私たちにはわからないことも多いのですが、数馬が保勤省に入って、いろいろ苦労していたことが、なんとなく伝わってきます。本当は夫も一緒に来てお話を聞きたがっていたのですが、2人とも家を空けるわけにもいかないものですから…」

 勘助はノートをパラパラとめくり始めた。数馬が保勤省に入った1年前からのできごとがこと細かく書いてあるようだ。

 「さすがに緻密に書いていますね。これは、私にとっても貴重な資料です。まず、お聞きしたいことがあれば聞いていただけますか。その後で、もし許されるなら、じっくり読ませていただきたいのですが、コピーを取らせていただいてもいいですか」

 「どうぞ、コピーを取ってください。まず、わからない言葉から教えていただけますか。基本的なことなのでしょうけど、私たちにはさっぱりわからないのです」

 「じゃあ、そうしましょう。島谷君、その間にコピーを取ってくれるか。丁寧に扱うんだぞ」

 「はい。わかりました」

 涼風は部屋の隅にあるコピー機に向かった。
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