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(掲載日 2007.07.24) |
「盲目は前世の業」「父親の死体でも喰ってな」
白杖を手におぼつかない足取りで、街を歩く子供に、道行く老婆から容赦ない蔑みの言葉が浴びせられる。
盲目の少年は、「僕は前世のカルマだからしょうがない」とつぶやく。
映画「ブラインドサイト」(公式サイト:http://www.blindsight-movie.com/)のワンシーンだ。
盲目のドイツ人教育者サブリエ・テンバーケンは、チベット工芸品をさわったことがきっかけでチベットに興味をひかれ、チベット学を専攻。チベットに点字がないことを知る。点字をつくったことを縁として、チベットに渡った。
チベットには、「盲人は罪人」という言葉まであるという。彼女はそのチベットで初の盲人のための学校を設立。この学校は、後に、発展途上国の視覚障害者教育施設のモデルとして国際的に知られるようになる。
そして数年後、彼女は盲人初のエベレスト登頂成功者であるアメリカ人登山家、エリック・ヴァイエンマイヤーと出会う。その後、サブリエの学校の子供たちはエベレストの北側、標高7000メートルのラクパリ山頂を目指すことになる。
この映画は、盲目の6人の少年少女が目標を達成するために精一杯の勇気を出し、チャレンジする姿を追ったドキュメンタリーである。
2007年 ベルリン国際映画祭・パノラマ観客賞受賞、2007年 パームスプリングス映画祭・ドキュメンタリー部門観客賞受賞。2006年 AFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)映画祭・ドキュメンタリー部門観客賞受賞など海外で高い評価を得た。この夏世界に先駆けて、日本で公開される。
試写をみた人々は口にする。「こんなひどい国もあるんだね」と。日本はチベットに比べればいい国だとおもうのかもしれない。
でも、果たしてそうだろうか。
私は、生後まもなく事故で、鉄板ストーブに落ち、左頬はやけどで引きつり、左目の視力をほぼ失った。
移植手術をするまでは、ケロイドで引きつった左頬からは汁まで出ていた。
街中で、すれ違いざまに見知らぬひとに「うわぁー気持ち悪い」「みて、すごい」「なんかのたたり」とか小声でささやかれることなんて、よくあることだった。
おまけに、父は父で、娘の顔の傷は、自分が戦地で人の顔に油をかけて焼いたことの業だと思いこんでいた。
冗談じゃない。私はカルマなんかじゃない。
でも、これはそんなに遠い昔ではない。昭和の終わり頃の日本でのことだ。今だって、そうは変わっていないのではないか。
人はみな、自己と他者を引き比べ、値踏みをしながら生きている哀しい生き物だ。
すっぴんでジーンズにTシャツ姿の私は、顔面の引きつりをものめずらしそうに覗き込み、慌ててそらす視線に気がつくことがよくある。
でも、高そうに見える服をきて、シャネルの香水、ランコムのマスカラを塗りたくった、エラそうな、似非セレブ風のときは、顔の傷を隠しおおせてなくても
誰もそんな無礼な視線は浴びせない。友人の作家に言わせると、派手な化粧で、世の中を恫喝してるように見えるそうだ。
弱者への偏見のまなざしは、憐れみとともに、ひとの値踏みという卑属な人間のいやらしさと同居している。
そして、このまなざしは、時には自分自身も射抜いている。異形のものは、外界から拒まれ、そして自らも世界を拒む。
映画の中で、盲目の子供たちの心は閉じている。
世間から蔑まれていると思った優等生ゲンゼンは4年間引きこもっていた。貧しい暮らしの中、必死に生きているキーラは、「本当は死んだほうがましなんだ」と言った。
障害ゆえに、親から見捨てられたタシは、心をかたくなに閉ざしている。障害が怖いのではない。障害ゆえ、引きこもり、自らの手で世界を拒絶し、世の中から忘れられた存在になるのがいたたまれないのだ。
サブリエはいう。「技術を手にいれれば、可能性は無限大。達成感をカラダで感じることで、その後の人生を生き抜いていける自信を身につけてほしい」
しかし、エベレストは思いだけで登れる山ではない。
多くのスタッフとともに支援組織をつくって登るが、途中支援者たち自身も、複雑な局面に出会い、自らの行動と理想との葛藤にさいなまれる。
障害のこどもたちを利用して自分たちがなにかを証明しようとしているだけではないかと。
山の極限の状態で、繰り広げられる本音のぶつかり合い。
登山家エリックは言う。「人間は弱いものだ。だから人とつながって生きていかなければならない。共に苦しむから強くなれる。」
ありがちな単純なストーリーではない。ひょっとしたら、障害者に関わっていないと、この映画にどう反応していいか、戸惑ってしまうかもしれない。
でも、けして障害映画ではない。人間存在の偉大さとたまらないほどの弱さ。だからこそ、強いのだ。脆弱性ゆえの強さは、「いのちは繋がっている」ということだ。誰が見ても、自分自身の人生の中で出逢ってきた何かと出逢える映画だ。
まずは、映画をみて、感じてもらいたい。
私はこの夏、東京大学先端科学技術センターにて「DO-IT Japan 障害のある高校生,高卒者のための大学体験プログラム」というサマーセミナーの開催に携わる。
参加する12人の高校生は、自らの障害と向き合い、大人の階段を登っていく途中にある。皆、自分の無限の可能性にチャレンジしようと応募してきた。
事故で瞬きしかできなくなり、ストレッチャーでくる子もいる。発達障害の子もいる。親元から離れたことのない子供たちが初めて自立をして自分で困難にぶつかってみるのだ。
5日間どうなるか。 支える側の人間が直面する、理想と現実にもがく自分自身との葛藤もあるだろう。
私自身にも大きな変化が起こるに違いない。
映画のラストに盲目の幼子が歌う"HAPPY TOGETHER"が流れる。
「想像してごらん、世界は素敵だよ。運命がどうあれ、僕は君が必要、HAPPY TOGETHER」
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