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コラム
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(掲載日 2007.09.04)
 太古の昔から、人々は病み傷つくことから不可避であった。このような者を前にして、その苦痛を取り除き、治癒を祈ることも祈祷師や巫女の仕事となり、また、中国から影響を受けて具体的な施術を行ったり薬草を煎じて飲ませたりする、言わば医療行為者が出現してきた。

 日本が近代国家としての体制を整え始めた明治7年に医制が布かれた。これは明治39年、制定された医師法の母法である。また大正11年に健康保険法が制定され、一般労働者が医療保障制度の適用対象に含まれるようになった。さらに昭和34年の国民健康保険法施行により、ついに、わが国に国民皆保険が達成されたのである。

 医療は、その必要性ゆえに自然発生的な性質を有している。さきにニーズあり、換言すれば医療行為ありきであり、制度は国家の発展とともに整備・充実されてきたといえる。

 いわんとすることは、医療とは、制度自体は後付け的なものであって、医療の必要性は普遍的、そして私たちの生命・身体を守ることが至上命題であり、最大の理念であるならば、制度の改変に過剰反応し、振り回されることは本末転倒ではないだろうか、ということである。

 なお制度後付け論は、人間相手である教育や介護についてもあてはまる。ただし、医療と教育・介護との間には大きな差異がある。それは医療を提供する医師や看護師などには専門的な知識と技量が要求され、それゆえに、また行為そのものが人の生命健康に関わることから医療行為の実施は彼らに限定されている。

 つまり、私が近所の子供を集めて英語を教えたり、自宅で祖母の介護をしても罰せられることは無い。しかし、怪我をした友人に麻酔注射を打って、縫合手術をすることは違法である。

 ところで、制度の改変に過剰反応した例として古くは「入院3ヶ月」ルール、最近では「7:1看護」などがある。前者は、不要不急の入院やいわゆる社会的入院を解消することを目的として、経済的なインセンティブを設けて始められた。その結果、マスコミをにぎわした現象が、まだ十分に回復していないのに退院を求められた等々の患者やその家族の不平不満である。

 医療の目的・理念にブレが無ければ、そして自ら行う医療行為について正当性を疑うことが無いのであれば、「入院3ヶ月ルール」を入退院の考慮事項とするべきではないだろう。仮に、上記ルールを無視して、当該医療機関において必要な医療提供のため、患者の入院が長期に及んだ結果、経営が傾くのであれば、それは明らかに制度が間違っている。   

 一部の医療機関による無用な長期入院を是正するために、このルールが設定されたことはやむをえない。しかし、だからといって診療報酬の改定に振り回され、医療上の必要性よりも経営上のそれを優先させるような医療機関の対応は、患者・国民の支持を失わせるといえよう。

 また、「7:1看護」による看護師引き抜きや新卒看護師の青田買いなどは、現場に混乱を引き起こしたと報道されてきた。周知の通り、これは「7:1」を整えた病院には手厚い診療報酬を支給するということに由来する。

 このように医療保険や診療報酬制度改正にあわせ、診療報酬上、高く評価してもらうために右往左往するならば、制度改正は医療機関や医師・看護師らの行動を操作する道具として当局に利用されかねない。そして、医療機関などが診療報酬の多寡にあわせて行動するありさまを見る国民の目は、厳しいものであろう。

 医療職、あるいは私の従事する教育職なども理念を持って働くことのできる恵まれた職業である。職業倫理に従い、与えられた業務を遂行して合理的な額の報酬を得たところ、たとえば医療機関の場合、経営が困難になるのであれば、先述したとおり、それは制度に欠陥があるといってよい。

 そのときこそ、医師やその職業団体である医師会、大学医学部が一致団結して、政策担当者である政府と対峙するべきであろう。そのとき、国民がどちらを支持するかは自明である。
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