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コラム
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(掲載日 2008.01.29)
 
 参院の与野党逆転で政局が流動化しているからといって、このところの「政治報道」なるものにはあきれるばかりだ。自社の都合のいいように世論を誘導しようという思惑だけが先行している。一見、もっともらしい言葉に踊らされると、とんでもないことになりそうだ。

 諸悪の根源は各テレビ局のワイドショーだ。2005年の「郵政解散」以前から「政治報道」の中心的役割を果たしてきた。お茶の間に政治の動きをわかりやすく伝え、国民の政治への関心を高めたのは確かだ。

 しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。政治ネタで視聴率が稼げるとみると、やれ、「消えた年金」だ、「防衛次官のゴルフ接待汚職」だ、「ガソリン代値下げ」だと、中途半端な内容で、次から次に電波を垂れ流す。

 与野党双方の国会議員を引っ張り出して討論させるのは、まだ、ましな方で、あたかも有識者であるようなふりをしたコメンテーター(電波芸人と呼んでもいい)が、もっともらしい解説(らしきもの)をしてお茶を濁す番組がほとんどだ。

 こういう場合のコメントは大抵、誰かの悪口だ。「他人の悪口は蜜の味」という大衆心理から導き出されたテレビ番組制作の基本スタイル。

 それも、官僚(政府)や自民党、いわゆる「権力側」を罵るのがお決まりのやり方だ。かつて「進歩的」であることを自任していた一部の新聞が多用していた(いまだにしている)手法を真似ているに過ぎないが…。

 最近では、福田康夫首相(自民党総裁)と小沢一郎民主党代表による党首会談で、自民、民主両党を中心とする「大連立」構想が話し合われた際に、戦時中の「大政翼賛会」を引っ張ってきて、民主政治の危機を叫んでみせた。

 視聴者に軍部主導時代を想起させることによって、連立はおろか、両党による政策協議まで封じ込めてしまおうという思惑が透けて見える。どうやら、「政策協議ができないようにしてしまえば、衆参のねじれ状況の中で、福田政権は立ち往生し、いずれは民主党政権ができる」と単純に考えているらしい。

 政権交代は視聴率アップにつながる。民主党政権ができたら、そのときには民主党政権を叩けばいい。

 いかにも、視聴率至上主義。思うように視聴率が稼げないときには視聴率を買ってでも自分の出世の足がかりにしようとする番組制作スタッフの考えそうなことだ。

 だが、二大政党が対立している状況だけが民主主義だというわけではない。国会の場を含めて、政党と政党が当面する政策課題についてしっかりと話し合い、国民生活に有益な結論を出す。それが民主政治の理想だ。

 もちろん、行き過ぎた与野党なれあいは批判されるべきだ。密室ですべてを決める談合政治も厳しく排除しなければならない。とはいえ、話し合いは民主主義の基本であり、それを否定することはあってはならない。

 政権交代を狙って、必要以上に「対決」をフレームアップすることが国民のためになるのか。テレビ画面、新聞紙面のこちら側にいるわれわれも、「政治報道」に惑わされず、そのことを真剣に考えなければならないと思う。
 
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