(注1) |
『花と竜』の表記もあるようだ。本稿では文庫本に従い、『花と龍』とする。 |
(注2) |
『信念の人 鶴島正男・追悼』(07年12月。火野葦平資料の会幹事会発行)。 |
(注3) |
朝日新聞西部本社発行夕刊社会面コラム『偏西風』。これは各部デスクが交代で書くコラムで、当方の
「『花と龍』の政治学」は96年7月の掲載。
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(注4) |
吉田敬太郎は戦中、父を継いで代議士を務め、軍部批判をして憲兵隊によって投獄・弾圧された。戦後、キリスト教の牧師となり、若松市長も務めた。
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(注5) |
葦平の従軍手帳に、兵隊とはかなしいものだという趣旨で「春のひねもすをいくさするすべにすごしつ」とあったうち、「いくさするすべ」は、当初「人ころすすべ」と葦平は書いていたのを鶴島さんが発見したという。現実を直視したところに実は反戦の思想があるのだ、とする。生前、当方が話を聞いたときも、このことを繰り返し語っていた。 |
(注6
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本稿を書くに当たって、若松の葦平資料館に電話して今後の動きを聞いてみたところ、資料展示は続けるとのこと。ただ、その他の詳細は未定のようであった。 |