(掲載日 2008.06.03)
「がん告知」と「わが子の障害告知」はどこか似ている気がする。自分のチカラでは及ばない、とてつもない大きな困難の前に立たされている感覚において通底するものがある気がする。
それは人間の賢さなのだろうが、その受容のプロセスにおいて、目の前の困難の前に埋もれているポジティブな要素をみつけて立ち直って生き抜いていけるものだ。特にそれは女性においてそうだと思う。腹をくくったときのたくましさは男性の比ではない。
ただそのためには、ちょっとしたきっかけが必要なのだ。
昨年暮れに、京都で行った講演会で、障害の子のママのための美容講習会を開いたら、びっくりするほど好評だった。みな、日々の暮らしに疲れきって、自分自身であることに目をそむけて暮らしている。お化粧なんて何年ぶりという方もいらした。
化粧というものがそのひとらしさを取り戻すためにどれだけチカラをもっているかいまさらながら、驚いた。たとえどんなことがあっても、美しくありたいというココロがひとのいのちを輝かせる。
もちろん予想どおり、化粧なんて、健常者にこびるのかと、旧来の障害論を振りかざし、非難してくるひともいたが、私は、一向に構わない。
理屈はひとを救わない。アジア論を振りかざす論客たちが、誰もアジアの人々の今の暮らしに関わっていないのと同じ匂いがする。
いま、厚生労働省の「女性の健康づくり推進懇談会委員」をしている。
「女性の健康週間」として啓発活動として位置づけられた、今年3月5日に
都立駒込病院にて、抗がん剤治療中のがん患者さんに、「わたしのいのちを美しく生きる」と題して、美容セミナーを開いてみた。
抗がん剤治療中の女性の多くが、副作用による、顔の変化に悩んでいる。顔の傷と折り合いをつけながら生きてきた私にとって痛いほどわかる。 肌の黒ずみ、まゆげ、まつげの抜け。ちょっとしたメイクの工夫で、驚くほどかわるものだ。ひとと目を合わせて話すことも、ひさしぶりにしたと、明るい声があふれた。
とかく、いのちのギリギリの現場では、美容なぞといわれ、優先順位の低いものにされがちだが、なによりもココロが元気になることで、思いがけなくカラダもパワーを得るものだ。
今回はUICC−AROの主催というカタチをとった。UICC-AROではAsian Cancer Beauty Program (BEAUTY- Bringing Education And understanding To You )として多くの人々とがんという病にまつわる問題を乗り越えるための智慧を分かち合いたいと考えているからだ。
昨年11月の南京でのシンポジウムに平行して執り行った、南京市内の小中学校での活動の際に手伝ってもらった資生堂に今回も協力していただいた。 美容が絡むと、関わる現場の人たちになんとなく高揚感がある。中国のお堅いお役人たちの態度も、柔らかかったのは今でも覚えている。
ココロとカラダは、ひとつながりのものだ。どんな素晴らしい医療技術で医学的に治療が施されても、ココロがげんきでなければ、カラダも本当には、げんきにはなれない。 ココロの声にそっと耳を澄ませ、自分のカラダとそっと折り合いをつけながら生きていく。そうした細やかな視点こそが、医療水準が上がった今日、必要とされることだろう。
女性にとって、一番いのちが輝くときはどんなとき?それは、恋をしているときといって、私は「恋するように子育てしよう!」を書いたのだけど、美しくありたいという自分であることのワクワク感は、なににも変えがたいチカラがある。
美しさ(BEAUTY)という言葉には「美容」ということを超えて
大きな力が潜んでいると私は思う。
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