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コラム
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(掲載日 2008.09.23)


 前回と同様、あえて“患者の立場”から言わせてもらう。

 福島県立大野病院事件判決(8月20日、福島地裁)は控訴を断念した検察の完敗で終結した。新聞は20日付の夕刊と21日付朝刊で福島県警の無謀な逮捕と事故原因究明を目指す第三者機関の必要性を強調した。  

 紛れもなく、警察・検察には、基本的な医療知識が欠落しており、“医師逮捕”という功名心が逮捕・起訴に踏み切らせたといってもよい。

 県事故調査委員会報告書と癒着胎盤の知識の乏しい医師による鑑定書などを頼りに、公判を維持してきた経緯をみれば、検察側に有罪を勝ち取る意欲や自信が最初からあったかどうかも疑わしいくらいだ。  

 福島県警内には「患者を死なせた産科医を裁判に引きずり出しただけでも、100点満点」との声があったというから、あきれる。判決前、県警本部長賞を出した本部長は何を考えていたのか。業務上過失致死容疑による医師逮捕の方が凶悪殺人犯の逮捕より、警察的には価値が高いとでも言いたかったのか。  

 それにしても、かけがえのない家族を突然失い、警察・検察に引っ張られた遺族の思いは察するにあまりある。同時に、無謀な逮捕・起訴で職場を離れなければならなかった医師と家族の心痛もいかほどであったか。警察・検察権力の暴走が被害を大きくしたことは間違いない。    

 とはいえ、医師・医療関係団体の発言やコメントにも腹が立つことがあった。「(被告の)医師行為は適切で、無罪は当然」―これは問題ない。

 だが、「医師逮捕で産科医が去り、地域医療の崩壊が始まった」とか「あれ(大野病院事件)で逮捕されたら産科医なんかやってられない」。これはどうか。  

 (1)産科医がやめるのは、何も、福島県で産科医が逮捕されたからだけではない。産科勤務産科医の激務や、家庭・経済的な事情、大病院への転職希望―など複雑な事情が絡んでいる。あたかも大野事件が産科医を大挙してやめさせているかのような言動は誤解と不安を与える。  

 (2)逮捕が怖いなら、最初から医師になるなと言いたい。非合法な職業でない限り、どんな職業人でも、正当な仕事の結果であれば、逮捕を恐れる必要などない。医師の仕事は命と健康に直接関与する社会的な意義のある仕事の一つに違いない、だが、特別な職業でもない。職業に貴賤はない。

 間違っていなければ、患者・遺族に十分説明し、医師を続けてこそ職業人としての医師の誇りではないのか。「やめてやる」は職業人の言葉とは思えない。「何様のつもりなのか」「思い上がるなよ」と言いたい。    

 医療版・事故調設置が具体化している。個人的にはあまり評価しない。裁判で黒白をつけるほど酷くはないにせよ、専門医とはいえ、密室で起きた個々の事故の原因を本当に究明できるのか。

 “一歩前進”の声もあるが、“事故調丸投げ”では、患者・遺族も医師も救われないのではないか。医師・医療機関が全事実を開示し、患者・遺族と時間をかけて話し合いをする。これに尽きる。

 政府や自治体に数多くの第三者機関が設置されているが、評判のよい話はあまり聞いたことがない。

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