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コラム
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(掲載日 2008.12.23)

 「国民年金の保険料を払わない者が多い」と、いわゆる「年金の空洞化」が言われて久しい。ところが、最近は年金記録の欠落、報酬額の改ざん等、社会保険庁の不祥事が相次いで大きく取り上げられるせいか、空洞化問題は相対的に収縮した感がある。

 しかし、平成19年度の納付率は63.9%、前年比マイナス2.3ポイントである。問題は解消されるどころか、深刻さを増しているといってよい。本コラムでは保険料未納を例として、社会保障教育の必要・重要性を論じたい。

 まず、保険料を納付しない被保険者は、おそらく3つに大別されると思われる。

 一つは保険料を払う余裕がない場合である。これに対しては収入に応じて保険料が減額・免除される制度が用意されている。この免除制度を知らずに未納を放置する者が納付率を下げることになる。時には、免除申請をしたが、免除基準に外れるとして申請が却下されることがある。これに承服できず、結局、未納を続けるタイプもある。

 もう一つは、確信犯的に未納を続けるケースである。今、保険料を納めても、将来、老齢年金をもらえない、払っても得なことはないと考えて納付を拒否するのである。比較的余裕のある中高年自営業者に見られ、しばしば民間保険会社が販売する個人年金に加入している。

 最後は「何も考えない」で未納状態を続ける場合である。払えないわけでもなく、かといって、年金崩壊を信じているわけでもない、いわば無関心派である。若年未納付者の相当数がこれに該当すると思われる。

 社会保障制度は、「払って損」「払って得」という損得勘定になじまない最たるものである。このことは、公的年金制度に加入するメリットが最も大きい人は誰かという問いに、答えることが困難であることを考えれば、容易に理解することができる。

 なぜなら、すべての人が等しく年をとり、障がい者や遺族になる同じ確立・可能性を持つからである。この人生最大のアクシデントに個人や家族の力では堪えきれないので、みなで助け支えあう年金制度が存在するのである。このことを、小学校高学年あるいは中学生の頃から教えるべきであろう。

 「払った以上は、必ず元を取る」という思想は、社会保障の世界では成り立ち得ない。この世界が「持ちつ持たれつ」構造であるからである。

 あるいは、この世界が給付を多く受ける人を、給付をあまり必要としない人が支えることを前提として作られているから、ともいえる。このような社会保障の基本的な構造ないしは理念を、子供の頃から学ぶ機会があれば、上記第2のタイプはかなり減るのではないだろうか。

 現在の学校教育では、受験を意識した「読み書きそろばん」的な教育が中心である。達成目標が常に設定され、学習効果が問われる。受験科目得点に結びつかない教育は、ある意味、アリバイ的に実施されがちである。

 したがって、国民の権利義務教育などは、時間割に張り込む余地などない。穿った見方をすれば、権利義務をよく知る国民の養成を当局が望まないのかもしれない。

 しかし、そのツケが、ひとつには後年、年金保険料を納めないという義務の不履行に結びつくとすれば、学校教育を再考する契機になるだろう。

 子供たちに国民の権利義務教育を実施することは、社会保障制度を維持するための先行投資といってもよい。第3のタイプには、このような教育が即効性はないが、長い目で見れば最も効果的であるといえよう。

 以前、消費者保護を研究する先輩から、子供の頃から必要な3つの教育を聞いた。労働者、消費者そして患者になった場合の教育だそうである。

 生涯、消費者と患者にならない者はなく、ほとんどが労働者として生きていく。昨今の社会現象を見聞するにつけ、これらの教育の重要性を実感する。

 その立場におかれたときに、保障される権利と果たすべき義務を学ぶことは、自身が尊厳ある人生を送るうえで不可欠であると同時に、他者への配慮と社会構成員であることの自覚を促すことに至るはずである。

 但し、注意すべきは、教育方法を間違えると、流行のクレイマーやモンスターを増殖させ、あるいは思考を停止させた盲目的服従小国民を生み出しかねない。教育者の力量が問われる領域でもある。

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