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(掲載日 2009.04.21) |
エープリールフール(四月馬鹿)には、毎年こころに決めて、神様にお願いしていることがある。「この日ばかりは、一日嘘をつかずにいますから、どうぞ残りの364日分の嘘はお許しください」と手を合わせる。
だらしない性格なので、家の中で、ちっちゃくて、面倒くさいことは、結構嘘をついてごまかしてしまう。ただし、自分の本筋の仕事のことでは嘘はつかない。
だって、「下駄箱からポン酢の出てくる」とっ散らかった頭では、どこでどんな嘘をついたか、覚えていられる自信はない。つじつま合わせで、あとで自分の首を絞めるから、自衛手段として、絶対嘘はつかない。
この歳になってくると、真面目でない人、人の値踏みをする人、相手によって態度を変える人など、たちの悪い嘘つきは、仕事の上で全く通用しないことがわかってくる。
まあそういう意味では、「嘘をつかれるのは、ばれても、『しょうがないなぁ』といってくれる、心をゆるしている関係だけだよ」と、つまらない嘘をなじる長男に言った。
ついでに「オンナは嘘つきだということを、これを機会に学習しなさい」と付け加えたのだけど、「てめえ、いい加減にしろ」と息子にしかられ、数日口を聞いてもらえなかった。「それはなにかって?」誰に聞いても、「サイテー」とののしられたので、言うのはやめておきます。
ところで私は、「女癖の悪い嘘つき男」は結構好きだ。ずっと前から、思っているのだが、「女癖の悪い嘘つき男」の医者は、名医の素質があると思っている。なぜなら、患者は嘘をつくから。
嘘には、嘘つきにしかわからない微妙なニュアンスがある。嘘つきは、嘘を嗅ぎつけても、けしてそれを指摘することなく、うまい塩梅にいなしていくもの。
嘘は追及されればされるほど、嘘の上塗りをして現実から遠い世界に旅立たねばならないから、嘘をついてるほうにとっても、結構しんどいのだ。なんとか真実に近づきたいとするならば、騙されたふりをして、その場をするっと、すりぬけるコミュニケーションスキルこそが大切である。
診断技術の進歩で、様々な医療情報が医療現場でカラダから採取され、数値化されていく。カラダは正直モノになるしかないのか。しかしながら、どれだけ医学が進歩しようとも、人のカラダは人の暮らしの営みのなかにある。
まだまだ、人の口づてに聞かねばならない情報はたくさんある。実証的データの体系的収集のための 調査研究はまさに、「人の口から聞かねばならない情報」であり、心の深い森に分け入らねばならない。
われわれの領域の中では、アジアの癌対策に共同で取り組むために、医療情報を科学的に意味のあるものとして、比較可能なデータに落とし込むことが課題である。それぞれの病の概念をとりまく人々の感じ方など、民族疫学的な情報を体系的に整理しておく必要性が出てきている。
人はどんな事象にスティグマを背負い、隠そうとするのか、その心の奥底に潜むものをみることは非常に難しい。まさに、そこにこそ、ScienceとHumanityの融合という醍醐味があるのだろう。
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