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(掲載日 2009.05.05) |
このほど実家で暮らしていた老父が緊急入院し、さらには寝たきり状態になってしまった。当方は急きょ故郷に戻り、その介護に当たった(正確に言うと、介護をする母を支援するのがおもな役目である)。
この体験で、三つの「現実」に直面したというのが感想である。
(1)他人事でなく自分の親の「番」になったという現実 (2)寝たきりにしない理想に対し、そうなってしまった現実 (3)若くて元気だった姿から変わってしまった老父の姿や、さびれた故郷の現状という現実、である。
そして、これらの体験から得た結論は、介護は家族の負担はできるだけ少なくし、社会全体で行うという「理想」の重要性である。以下、雑感を記したい。
一つ目の現実は、介護が他人事でなく自分のことになったという意味である。これまで介護のことは仕事柄、その現場を取材もし、原稿を書いてきた。
しかし、それは一般論であって、自分という個別のことではなかった。一般論は普遍性があれば重要である。
一方で、我が身にのしかかった現実は、やはり重いと実感した。自分の親の床ずれなどを目の当たりにした。
親のベッドの隣や近くにも何人もの高齢者がいた。叫んだり、徘徊したりする。それらを医者やナース、介護員らのプロたちが「○○さん、おむつを替えましょうね」などと話しかけ、世話をしてくれる。
彼ら、彼女らは本当によく尽くしてくれている。感謝したい。介護とは(もちろん医療も)、現実の人間に触れて行うことと思った。
その仕事は口でいうのと違って現実に本当に大変である。志が必要だと改めてわかった。
しかし、発見があった。大変だからこそ、ある種ユーモアやゆとりが必要なのだ。
父をストレッチャーからベッドに移すとき、数人がかりで持ち上げ「ほうら空を飛んだ」と声をかけてくれた。この掛け声は介護の定番せりふのようだ。
ナースたちの会話を耳にして、そのうちの傑作は、高齢者が盛んに「イモ洗い」と言うのでなんのことかわからなかったいうことだった。何のことはない。「MRI」のことである。高齢者がそれをうまく言えないのだという。
二つ目の現実は、寝たきりのことである。会社時代の先輩で、高名な女性記者が寝たきりにさせるから寝たきりになるのだという趣旨のことを唱えていたのを思い出す。喝破していた、と思う。今も、それはその通りであると考える。
しかし、現実に当方の目の前にいるのは寝たきりになった父の姿である。とても家庭で介護をするのは無理であるし、寝たきりを改善することは難しいと思う。
結果論をいえば、寝たきりになる前のどこかの時点で、そうならないための予防策を講じればよかったと、いえばいえる。「あれなければ、これなし」という因果関係みたいな話である。しかし、なってしまったという現実がある。
ただし、この問題で、リハビリ担当の医師が、せめて車いすで動けるようにするなど改善したいですね、と父に話しかけてくれた。残存能力を可能なかぎり活かすための努力を続けるという姿勢である。
「理想」は、あくまで維持するというタテマエを崩さなかった。これもプロとしての使命であろうと理解した。(追記:実は、その後、「理想」は一部実現した。父は転院し、その病院で車いすに乗せてもらって少しだけ移動できるようになった。)
三つめ。故郷を離れて30年もたった。要するに浦島太郎になった。いつまでも元気だと思った親は、そういう状態だし、商店街は絵に描いたようなシャッター通りになっている。
決められた日にごみ出しをすると、知らない顔ばかりである。親のことを気遣って声をかけてくれる人もいる。しかし、それがどこの人であるか、当方にはわからない。いかに空白が大きかったか。少しずつ、埋める毎日である。
さて、先取りしておいた結論である。介護は家族でのみやるのは誤りである。介護の現場は、プロにお願いするのが正しい。家族では無理である。ノウハウ、体力、設備などもろもろの点でそうである。
折しも、国会答弁で舛添厚労相も「介護はプロに任せるべきだ」と述べたというニュースがあった。介護はプロに、家族は愛情を、というのは同感である。身内の介護を経験すると、いろいろなことが実感を伴ってわかると思う。
そして、バックアップも大事であると痛感した。隣近所や縁戚など地域社会で支えあうことである。たとえば、病院にいくため家をあけるとき、隣近所が見守ってくれているから安心できる。
介護とは総合力なのだといえる。だからこそ体制、財政、人手など様々な課題がある。いずれ改めて記したい。
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